横利根閘門 横利根閘門の概要

横利根閘門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/15 01:37 UTC 版)

横利根閘門

利根川改修工事の一部として1914年(大正3年)に着工し、7年後の1921年(大正10年)に完成した。日本における煉瓦造閘門のひとつの到達点を示す近代化遺産として重要文化財に指定されている。

立地

横利根川が利根川に合流する地点に立地する。横利根川は利根川と常陸利根川とを結ぶ河川で、常陸利根川のさらに上流には霞ヶ浦がある。閘門付近は横利根川が千葉県と茨城県の県境となっているが、閘門は茨城県の稲敷市にある。

現在、閘門の周辺は横利根閘門ふれあい公園(香取市・稲敷市管理)として整備され、サクラの名所、横利根川に面した釣の名所として憩いの場となっている。2006年(平成18年)に日本の歴史公園100選に選定された[1]

香取市内の佐原市街地と利根川北部の十六島地区を結ぶ、船舶や自動車交通の要衝部にあり、水郷のシンボル的施設として親しまれている。地元の人は「かんもん」と呼ぶことが多い[2]

構造

サクラと閘門の内側(閘室)
横利根閘門の扉(利根川側)。奥が大扉、手前が小扉

閘門はパナマ運河の閘門などと同じ種類の複式閘門複扉式で、閘室と、閘室の両端にある閘頭部(閘扉室)からなる[3]。閘門の有効長は300尺(90.9メートル)、幅員36尺(10.9メートル)、深さは平均低水位以下約8.6尺(2.6メートル)。当時就航していた船舶で最も大きい通運丸や銚子丸などを基準に設計された[4]

閘室の底部はコンクリートブロック敷である。コンクリート面の高さはY.P.(江戸川工事基準面)以下8尺(約2.4メートル)である[5]。閘室側面は法面勾配1割のコンクリートブロック積で、法面には木造の防舷材(緩衝材)が設けられている[5]。さらにその上部に法面勾配2割の芝生張斜面がある[3]。側面が垂直ではなく斜面となっているのは、閘室の断面積を減らして給排水の時間を短縮させるためと、閘室の底面積を減らして底部築造にかかる工費などを節約するためである[3]

閘扉室は、側壁、翼壁と、基礎、底部から成る[6]。側壁は長さ24.8メートル、翼壁は長さ16.5メートル[3]。どちらもコンクリート造りで、表面は煉瓦および石張りとなっている[5][7]。基礎としては、コンクリート中詰・煉瓦積みの井筒が各閘扉室に14個設けられている[8]。井筒の表面はY.P.以下7.4尺(2.2メートル)で、その上部に側壁がある。底部は側壁の間にあり、幅36尺(約10.9メートル)、長さ81.87尺(約24.8メートル)で、コンクリート造り、石張りである[5][9]。底部表面の高さはY.P.以下7.4尺(2.2メートル)である[5]

門扉は大扉4枚、小扉4枚の合計8枚で、各閘扉室に大小2枚ずつ設置される。扉はどちらもマイタ―ゲート(観音開きのゲート)で、大扉は閘扉室の前扉、小扉は閘扉室の後扉として使用される[10]。大扉は高さ24尺(約7.3メートル)、幅20尺11寸(約6.4メートル)。設置したときの高さはY.P上17.2尺(約5.2メートル)で、これは側壁の高さよりも1.5尺(約0.45メートル)低く、計画高水位よりも3.5尺(約0.91メートル)高い[11]。小扉は高さ17尺2寸3/8(約5.2メートル)幅20尺8寸1/2(約6.3メートル)。設置したときの高さはY.P上10.5尺(約3.2メートル)である[11]。扉はどちらも軟鋼製で、鋼板に5本の縦桁、2本の横桁がリベットによって接合されている[10][12]

使用方法

船で利根川と横利根川を行き来する際に、水位を調整する。

例として、利根川から横利根川に向かう場合を考える。閘室の水位が利根川の水位と同じであれば、横利根川側の門扉が閉まり、利根川側の門扉が開いた状態にして船は閘室に入り、利根川側の門扉を閉める。利根川の水位が横利根川の水位より高い場合は大扉を使用し、利根川の水位の方が低い場合は小扉を使用する[13]。門扉の開閉はラックバー(ラック棒)が使われている[14]。閘門建造時は手動で門扉を開閉させていたが、現在は電動化されており、操作盤を使って開閉させている[12][15]。なお、閘室の水位が利根川の水位と異なっている場合は、閘室に入る前に利根川側、横利根川側の両門扉を閉めてから、注水または排水して、閘室の水位と利根川の水位を等しくさせる必要がある[16]

閘室へと入船後、利根川と横利根川の水位に差がある場合は、閘室内から排水、または閘室へと注水することによって水位が横利根川と等しくなるように調整する。ただし現在では両側の水位差はほとんど無い[12]。水位調整後、横利根川側の門扉を開けて船は閘室から出る[12]


  1. ^ 小栗(2009) p.63
  2. ^ 「ACE」2015年11月号 p.11
  3. ^ a b c d e f g 茨城県教育委員会(2001) p.7
  4. ^ 小栗(2009) p.60
  5. ^ a b c d e f g 小栗(2009) p.61
  6. ^ 中川(1926) p.13
  7. ^ 中川(1926) p.17
  8. ^ 中川(1926) p.15
  9. ^ 中川(1926) p.16
  10. ^ a b 中川(1926) p.18
  11. ^ a b 中川(1926) pp.18-19
  12. ^ a b c d e f g 小栗(2009) p.62
  13. ^ a b 東町史編纂委員会編(2003) p.953
  14. ^ 中川(1926) p.19
  15. ^ 須藤(2001) p.44
  16. ^ 中川(1926) pp.139,145
  17. ^ 福田(2000) pp.16-17
  18. ^ 中川(1926) pp.5-6
  19. ^ a b 松浦(2016) p.37
  20. ^ a b 利根川百年史編集委員会他編(1987) p.639
  21. ^ 松浦(2016) pp.22-23
  22. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) p.419
  23. ^ a b 松浦(2016) p.25
  24. ^ 松浦(2016) p.23
  25. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) pp.418-419
  26. ^ a b 東町史編纂委員会編(2003) p.945
  27. ^ 久保田・竹村・三浦・江上(2011) p.147
  28. ^ 松浦(2016) p.28
  29. ^ 松浦(2016) p.29
  30. ^ 松浦(2016) p.33
  31. ^ 東町史編纂委員会編(2003) p.946
  32. ^ 松浦(2016) pp.37,39
  33. ^ a b 松浦(2016) p.39
  34. ^ 松浦(2016) pp.39-40
  35. ^ 松浦(2016) p.40
  36. ^ 久保田・竹村・三浦・江上(2011) pp.147-148
  37. ^ 大熊(1981) pp.142,158-161
  38. ^ a b c 中川(1926) p.23
  39. ^ 中川(1926) p.6
  40. ^ 中村他(2013) p.189
  41. ^ a b 中川(1926) pp.24-25
  42. ^ 中村他(2013) p.190
  43. ^ 「ACE」2015年11月号 p.190
  44. ^ a b 中川(1926) p.30
  45. ^ a b c 中村他(2013) p.191
  46. ^ 中川(1926) pp.30-31
  47. ^ a b 中川(1926) p.31
  48. ^ 千葉県香取郡佐原町編(1931) p.236
  49. ^ 中川(1926) pp.31-32
  50. ^ a b c d e 中川(1926) p.32
  51. ^ 中川(1926) p.33
  52. ^ a b 中川(1926) p.139
  53. ^ 久保木(1988) p.198
  54. ^ 中川(1926) p.146
  55. ^ 中川(1926) pp.146-147
  56. ^ 東町史編纂委員会編(2003) pp.946,953
  57. ^ a b 千葉県香取郡佐原町編(1931) p.212
  58. ^ a b c 「土木建築工事画報」4巻6号 p.48
  59. ^ a b 「水利と土木」4巻8号 p.125
  60. ^ a b 千葉県香取郡佐原町編(1931) p.237
  61. ^ 白土・羽成(1984) p.40
  62. ^ 白土・羽成(1984) p.41
  63. ^ 白土・羽成(1984) p.36
  64. ^ 久保田・竹村・三浦・江上(2011) p.149
  65. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) pp.874,905
  66. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) p.914
  67. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) pp.914-915
  68. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) p.923
  69. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) p.984
  70. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) pp.1015-1016
  71. ^ 利根川百年史編集委員会他編(1987) p.1016
  72. ^ a b c d e f 「日経コンストラクション」1999年7月23日号 p.86
  73. ^ a b 「日経コンストラクション」1999年7月23日号 p.85
  74. ^ 「日経コンストラクション」1999年7月23日号 p.87
  75. ^ 馬場(2000) p.14
  76. ^ 福田(2000) p.17
  77. ^ a b 馬場(2000) p.13
  78. ^ 中村他(2013) p.191
  79. ^ a b 中村他(2013) p.192
  80. ^ 中村他(2013) p.194
  81. ^ 中村他(2013) pp.192-193
  82. ^ 中村他(2014) p.129
  83. ^ a b 松田他(2014) p.63
  84. ^ 「ACE」2015年11月号 pp.11-12
  85. ^ a b 中村他(2014) p.132
  86. ^ a b 松田他(2014) p.64
  87. ^ 「ACE」2015年11月号 p.12
  88. ^ 「ACE」2015年11月号 p.13
  89. ^ a b c 是永(1995) p.501
  90. ^ 北野・是永(1999) pp.22,178
  91. ^ 北野・是永(1999) p.22,
  92. ^ 国土交通省. “近代土木遺産リスト”. 2017年12月24日閲覧。


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