曹植
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 23:06 UTC 版)
曹植(そう しょく/そう ち[1]、192年 - 232年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。字は子建(しけん)。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。魏の皇族である一方で唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学における三曹の一人。
- ^ 特に日本の詩文学界では「そうち」と読まれる傾向にある。なお、唐代の詩人李賀の詩「許公子鄭姫歌」末四句は「曹植」で終わっており、七言絶句の押韻法則から「そうしょく」と読ませていることがうかがえる。植の字音と字義の関係は、中国の歴代字書・韻書によって解釈にバラつきがあり、正確には定義できない。
- ^ 倡家(歌姫)の出身であるが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねるほどの賢婦であった
- ^ 下記『曹植』10頁。
- ^ 下記『曹植』記載の年譜では建安元年(196年)頃(204頁)。
- ^ 伊藤正文『曹植』 中國詩人選集 第3巻(第一刷発行)、岩波書店、1958年11月20日。ISBN 9784001005035 。2020年12月1日閲覧。
- ^ a b 川合康三『矛を横たえて詩を賦す 曹操』 中国の英傑 第4巻(第一刷発行)、集英社、1986年8月10日。ISBN 9784480425744。 NCID BN00733040。新版・ちくま文庫、2009年
- ^ この時、留守役として鄴に駐留した曹丕が「感離賦」を送り、弟への別れを惜しんでいる。一方の曹植も従軍中に「離思賦」を作り、曹丕への思慕を表明している。
- ^ 伊藤正文『曹植』 中國詩人選集 第3巻(第一刷発行)、岩波書店、1958年11月20日。ISBN 9784001005035 。2020年12月1日閲覧。
- ^ 『文選』李善注より
- ^ 三国志Ⅲ 非公式ガイドブック P.195
固有名詞の分類
- >> 「曹植」を含む用語の索引
- 曹植のページへのリンク