戸畑市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/18 18:19 UTC 版)
とばたし 戸畑市 | |||
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旧戸畑市役所(現・戸畑図書館) | |||
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廃止日 | 1963年2月10日 | ||
廃止理由 |
新設合併 戸畑市、門司市、小倉市、八幡市、若松市 → 北九州市 | ||
現在の自治体 | 北九州市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 九州地方 | ||
都道府県 | 福岡県 | ||
市町村コード | なし(導入前に廃止) | ||
総人口 |
108,155人 (推計人口、『北九州市史 近代・現代 行政社会』800頁、1963年10月1日現在) | ||
隣接自治体 | 小倉市、八幡市、若松市 | ||
戸畑市役所 | |||
所在地 | 福岡県戸畑市新池町 | ||
座標 | 北緯33度53分36秒 東経130度49分47秒 / 北緯33.89344度 東経130.82981度座標: 北緯33度53分36秒 東経130度49分47秒 / 北緯33.89344度 東経130.82981度 | ||
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北九州市が1964年(昭和38年)4月1日に政令指定都市に昇格した際、旧戸畑市域は行政区の一つである戸畑区となり、大字中原の一部が小倉区(現:小倉北区)に組み入れられた[1]。
歴史
地名の由来は、岬門の端にあるので「門端」の意味。奈良時代には「飛幡浦」あるいは「鳥旗」と記されている。室町時代、筑前国御牧(みまき)郡麻生庄に「戸幡」とあり、「戸端」「都波多」「鳥羽田村」とも記された。江戸時代には福岡藩に属し、「戸畑村」と称し漁業と農業が産業であった[2]。幕末に福岡藩が砲台を築いたが慶応3年(1867年)に取り壊された[3]。
1871年、廃藩置県によって福岡県に属した。農業、漁業が営まれていたが、明治20年(1887年)代から石炭関連のコークス工場などが建てられるようになり工業化が進められた。大正末期から埋立、区画整理が進められ、工場用地が拡張された。昭和30年(1955年)代にほとんどの農地は宅地化され、市役所などの公共施設を新池町に集中して整備を行った[3]。
沿革
市域の変遷
※北九州市となるまで市域の変更はなかった。
- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、遠賀郡戸畑村・中原村が合併し村制施行して戸畑村が成立。
- 1899年6月10日 - 戸畑村が町制施行して戸畑町となる。
- 1924年9月1日 - 戸畑町が市制施行して戸畑市となる。
- 1963年2月10日 - 小倉市、八幡市、門司市、若松市と合併して北九州市となり消滅。
- 1963年4月1日 - 北九州市の政令指定都市昇格に伴い旧市域が戸畑区となる。
人口の変遷
- 1925年 37,748
- 1930年 51,674
- 1935年 67,800
- 1940年 84,260
- 1945年 56,585
- 1947年 68,083
- 1950年 87,885
- 1955年 97,214
- 1960年 108,708
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