成田空港 空と大地の歴史館
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沿革
- 1996年(平成8年)4月 - 成田空港地域共生委員会内に「共生会館(仮称)建設準備委員会」が設置される[7]。
- 1997年(平成9年)8月5日 - 成田空港地域共生委員会が歴史伝承部会を設置。
- 2004年(平成6年)4月 - 財団法人航空科学振興財団[注釈 5]の歴史伝承委員会に引き継がれる。
- 2009年(平成11年) - 成田国際空港株式会社が歴史伝承委員会を設置して事業を引き継ぎ、歴史伝承館(仮称)の開設に向けて動き出す。
- 2011年(平成23年)6月23日 - 成田空港 空と大地の歴史館が開館。
- 2016年(平成28年)7月1日 - 朝日のラウンジ内に「空港情報コーナー」が開設。
施設
歴史館に隣接して、成田空港地域共生・共栄会議の事務所もある。
利用状況等
年間の見学者は年間1万人程度であり、施設は成田国際空港株式会社の新入社員や国家公務員の新入職員の研修の場としても活用されている。
一方、成田空港問題は現在も継続中であり、成田国際空港周辺には空港関連従事者と空港反対派との居住が共存しており、公立学校での取扱が難しいことから、地元の小中学校での社会科見学の対象とはなっていない[2]。
反対意見
円卓会議に参加していない反対同盟(北原派)および中核派は歴史館の建設に反対していた[8][9]。
利用案内
交通アクセス
注釈
出典
- ^ 空と大地の歴史館:成田空港問題45年、芝山町にきょう開館 評価に賛否『毎日新聞』2011年06月23日。
- ^ a b c d 城之内和義 (2016年2月27日). “「空と大地の歴史館」はトリビアに満ちあふれていた 「流血の日々」コーナーには闘争ヘルメットや火炎瓶も…”. 産経ニュース (産経新聞社) 2017年3月28日閲覧。
- ^ 『「成田空港 空と大地の歴史館」の開館について』(PDF)(プレスリリース)成田国際空港、2011年6月6日 。2017年3月28日閲覧。
- ^ 『「成田空港 空と大地の歴史館」の開館について』(html)(プレスリリース)芝山町、2011年7月11日 。2017年6月29日閲覧。
- ^ 『7月1日「成田空港 空と大地の歴史館」館内に「空港情報コーナー」がオープン』(PDF)(プレスリリース)成田国際空港、2016年6月16日 。2017年3月28日閲覧。
- ^ 館内の協力者一覧掲示より
- ^ “NAA歴史伝承委員会の紹介”. NAA歴史伝承委員会. 2017年3月28日閲覧。
- ^ “石毛博道らによる「歴史伝承館」策動許すな”. 三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派) (2009年2月16日). 2017年3月28日閲覧。
- ^ “「歴史伝承館」による闘争破壊許すな”. 革命的共産主義者同盟全国委員会 (2009年3月1日). 2017年3月28日閲覧。
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