徳島城 城下町

徳島城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 07:51 UTC 版)

城下町

徳島と寺島、つまり、現在の内町地区のうち出来島・旧花畑(および近代の埋立地)以外が内郭とされた。この外の福島住吉島常三島・出来島・瓢箪島(以上に徳島・寺島を加え阿波の七島と呼ぶ)・助任・大岡・佐古・富田が外郭である。合わせて御城下(ごじょうか)・御山下(ごさんげ)と呼んだ[1]

現状

鷲の門の復元

復元された鷲の門

江戸時代に徳島城を建築した際に蜂須賀氏が正門として建てた。廃城令により徳島城が廃城となった後も、鷲の門だけは残されていたが、1945年昭和20年)の徳島大空襲によって焼失した。

1989年9月27日に徳島市制100周年を記念して復元された[7]。門前にある道路の関係から門の規模と位置は当時とは少し異っている。

城山

徳島城の山城部分は、標高61.7メートル[8]の城山に建っていた。

北面には助任川が流れており、山内の城山原生林は徳島市天然記念物に指定されている。

山麓では1922年大正11年)、鳥居龍蔵により城山の貝塚が発見され調査された。現在、山腹にアオサギが繁殖し糞害で周辺の樹木が枯れる等の問題が起こっている。

になると阿波踊りの練習をするために有名連がここで練習する風景が目立つ。また、付近の幼稚園小中学校の遠足としてよく利用されている。

城跡の主な施設

北西から南東の順。(埋)は、江戸時代には河道だった近代の埋立地に一部が建つ施設である。(移)は、城跡外に移転した施設である。

画像


  1. ^ a b c 河野幸夫『徳島 城と町まちの歴史』(聚海書院、1982年)
  2. ^ a b 岩崎正夫「第一章 徳島中央公園の自然 二 城の石垣」(「徳島城」編集委員会編『徳島市民双書 28 徳島城』徳島市立図書館、1994年)
  3. ^ 財団法人日本城郭協会監修『歴史群像シリーズ 日本の100名城公式ガイドブック』(学習研究社、2007年)
  4. ^ 西ヶ谷恭弘監修『復原「名城天守」』(学習研究社、1996年)
  5. ^ 本田昇「第三章 徳島城 一 縄張」(「徳島城」編集委員会編『徳島市民双書 28 徳島城』徳島市立図書館、1994年)
  6. ^ 本田昇「第三章 徳島城 一 縄張」(「徳島城」編集委員会編『徳島市民双書 28 徳島城』徳島市立図書館、1994年)
  7. ^ 徳島市:徳島中央公園参照。
  8. ^ 「城山」徳島中央公園内案内板


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