得宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 10:05 UTC 版)
北条得宗家邸
後醍醐天皇が北条一族の慰霊の為、1335年足利尊氏に命じ、北条得宗家邸跡に宝戒寺を建立。 ここは「小町亭」と呼ばれ、代々の執権が暮らしていた。
備考
- 時氏以降の得宗当主やその兄弟には、おしなべて短命が多かった。時氏以降の当主では最も長く生きた貞時ですら41歳で没したほか、31歳で自害した最後の当主・高時も病弱であった。得宗家の当主は、同じ北条氏や外戚である安達氏から室を迎えることが多く、そういった近親婚の積み重ねが歴代当主の短命に影響したという指摘がある[13]。
- 歴代の得宗当主は、本来ならば将軍の下で一御家人という立場にありながら、烏帽子親関係による一字付与を利用して、他の有力御家人を統制していたことが近年の研究で指摘されている(→北条氏#北条氏による一字付与について)。
系図
凡例:数字は得宗家代数、太字は執権経験者、斜字は連署経験者
時政1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗時 | 義時2 | 〔時房流〕 時房 | 政範 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泰時3 | 〔名越流〕 朝時 | 〔極楽寺流〕 重時 | 〔政村流〕 政村 | 〔金沢流〕 実泰 | 〔伊具流〕 有時 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時氏4 | 時実 | 公義 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
経時5 | 時頼6 | 〔阿蘇流〕 時定 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時輔 | 時宗7 | 〔宗政流〕 宗政 | 宗頼 | 〔桜田流〕 時厳 | 宗時 | 政頼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞時8 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高時9 | 泰家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
邦時 | 時行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ 細川重男・本郷和人「北条得宗家成立試論」(『東京大学史料編纂所研究紀要』11号、2001年、9頁)
- ^ 「得宗」『世界大百科事典 第2版』
- ^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P26-28.
- ^ 細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(講談社、2011年) 90-95頁
- ^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P17-18.
- ^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P19.
- ^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P18-19.
- ^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P20-26.
- ^ 呉座勇一『頼朝と義時 武家政権の誕生』講談社〈講談社現代新書〉、2021年、P204・233-234.
- ^ 細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』日本史史料研究会、2007年、P19-20.
- ^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館、2011年) P132-133
- ^ 細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館、2011年) P142-145
- ^ 奥富敬之『時頼と時宗』(日本放送出版協会、2000年) 156頁
- >> 「得宗」を含む用語の索引
- 得宗のページへのリンク