富田林寺内町 富田林寺内町の概要

富田林寺内町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/24 14:37 UTC 版)

富田林 寺内町
富田林 寺内町(夜)

概要

寺内町は、大阪府の南東部に位置する富田林市の中心にあり、東西に7本、南北に6本の街路で区画された東西約400メートル、南北約350メートル、面積約13.3ヘクタールの楕円形に広がる周辺よりも一段高い台地上に、近世の町割りを残している[1]。周辺の低地との境目は、幅の広い土居が設けられていて斜面の一部に竹藪を残しており、また南の石川と面するところから境域がよみとれる[1]土居の中にある整然とした街路の両側には、河内風の白壁の土蔵や、格子造りの民家が連なっており、歴史的な街並みをつくっている[1]。町の区画は六筋七町とよばれていて、六筋とは南北方向の通りのことで、東筋、亀ヶ坂筋、城之門筋、富筋、市場筋、西筋の6つの通りをいい、七町とは、北から順に壱里山町、富山町、北会所町、南会所町、堺町、御坊町、林町となっている[1]

現在も多くの町屋が残り、1997年平成9年)10月に大阪府で唯一、国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。また、寺内町のほぼ中心を南北に通る城門筋(市道富田林6号線)は、1986年昭和61年)8月10日に歴史性と親愛性を基準に、「近世の自治都市」として旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選ばれている[2]

歴史

富田林寺内町は、戦国時代末期の永禄3年(1560年)、本願寺一家衆興正寺第16世・証秀が、石川西側の河岸段丘上の荒芝地を百貫文で購入し、一向宗興生正寺別院を中核に開発された宗教自治都市であった[1]。周辺4ヶ村(中野・新堂・毛人谷(えびたに)・山中田)の「八人衆」の協力で、芝地の開発、御堂(興正寺別院)の建立、畑・屋敷・町割等を行い、富田林と改めたことに始まるという(興正寺御門跡兼帯所由緒書抜)。 由緒書には上記のように記載されているが、由緒書は江戸時代の編纂物であることから確固たる信憑性を得ることは叶わない。

八人衆は、この功により年寄役となり、寺内町の自治を行った。織田信長石山本願寺による石山合戦時には、本願寺・御坊側につかなかったことから、信長から「寺内之儀、不可有別条(じないのぎ、べつじょうあるべからず)」との書状を得ることにより、平穏を保った。しかし、近年では寺内町内部に御坊派と穏健派がいたことも示唆されている[3]。 そして石山合戦終戦後において、織田信長から再度書状を得たがそこには「河州石川郡之内富田林」と記載されていることから寺内町を否定した。 正確な否定は豊臣秀吉が1584年に蔵入地化してからという指摘もあることを留意しなければならない。

江戸時代公儀御料となり、在郷町として栄え、南河内における商業の中心地であった。また、酒造業も盛んであった。幕末期には、19名の大組衆(杉山家、仲村家、奥谷家などの有力町人衆)により自治が行われていた。

都市構造

富田林寺内町の構造上の特色として、土居にて周囲を囲んでいる点、四方の出入口に門を構えている点、街区を碁盤の目状としている点、中央に開発根本寺院である富田林興正寺別院が置かれている点が指摘されている[4]。街路のほとんどは直行しておらず、角で少しずらされた「あてまげ」によって、まっすぐの見通しが妨げられている[1]


  1. ^ a b c d e f 「日本の道100選」研究会 2002, pp. 136–137.
  2. ^ 「日本の道100選」研究会 2002, p. 10.
  3. ^ 堀新による。[要出典]
  4. ^ 牧野信之助「中世末寺寺内町の発達法蔵館」,法蔵館『寺内町の研究〈第1巻〉戦国社会と寺内町』、1998年、p. 127
  5. ^ 寺内町全域が重要伝統的建造物群保存地区に追加選定されました”. 富田林市 (2018年9月27日). 2018年11月5日閲覧。
  6. ^ 中井家住宅”. 富田林寺内町の探訪. 2018年11月5日閲覧。
  7. ^ 仲村家年中録(三)p. 14 大谷女子大学 資料館編 1988年3月
  8. ^ 『河内名所図会』『和泉名所図会』のおもしろさ p. 138 森田恭二編著 和泉書院 2010年2月
  9. ^ 嘉永癸丑吉田松陰遊歴目録
  10. ^ (富田林市広報 平成7年12月号)富田林市 1995年12月


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