宮浦宮 宮浦宮の概要

宮浦宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 14:55 UTC 版)

宮浦宮

2013年12月撮影
所在地 鹿児島県霧島市福山町福山2437
位置 北緯31度40分15.9秒 東経130度49分10.3秒 / 北緯31.671083度 東経130.819528度 / 31.671083; 130.819528座標: 北緯31度40分15.9秒 東経130度49分10.3秒 / 北緯31.671083度 東経130.819528度 / 31.671083; 130.819528
主祭神 神武天皇
天神七代・地神五代
社格 式内小社・旧県社
創建 不明
本殿の様式 神明造
別名 宮浦大明神
例祭 4月3日
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鎮座地は大隅半島の西の付け根の、姶良カルデラの火口壁が鹿児島湾に迫る形で形成する傾斜地の平坦部に位置し、鹿児島湾を挟んで桜島に正対する景勝地となっている。

祭神

神武天皇と、天神七代12柱、地神五代5柱の計18柱を祀る。

天神七代は国常立神豊雲野神宇比地邇神須比地邇神角杙神活杙神意富斗能地神大斗乃辨神淤母陀琉神阿夜訶志古泥神伊邪那岐神伊邪那美神を指すが、宇比地邇神以下は2柱を各1代と数えて都合7代となる。地神五代は天照大御神天忍穂耳尊天津日高彦火邇々杵尊天津日高彦火々出見尊天津日高彦波限建鵜葺草葺不合尊の神武天皇以前の皇祖5代。

沿革

『延喜式神名帳』大隅国囎唹郡に載せる「宮浦神社」に比定されるが、宝暦2年(1752年)以前の様子は一切不明である。当宮から北北西3キロ弱に若尊鼻(わかみこのはな)という岬があり、神武天皇が幼少期を当地で過ごした故事から「若皇子鼻(わかみこのはな)」と名付けられた事に始まるとの伝承がある[1]。またこの若尊鼻という地名の別の伝承に、かつて日本武尊熊襲を征伐する時、当岬で魚釣をしながら敵の動静を探っていたというものがある[2]

当地は宮崎県都城市高原町に近く、都城には神武天皇の皇居の跡という場所が、高原町には同天皇が降誕したという狭野神社があるので、同天皇が幼少期に当地へ来往する事もあり、そこから同天皇を祀る神社として創祀されたであろうし、上記若尊鼻も同天皇の別称である若御毛沼(わかみけぬ)命(『古事記』)から起こったのではないかという仮説があるが[1]、それは附会で、次に見る禁忌の中にこそ創祀の事情が隠されているかと思われ、その点は不詳であるものの鎮座地が東方都城に連絡する陸路と西方鹿児島湾沿岸諸集落を結ぶ海路との接点に位置する事から船舶に深く関係する神社であった事が窺える[3]。なお、桜島の噴火でたびたび被災したらしく、寛政3年(1791年)には大火で社殿を焼失したが薩摩藩藩主島津斉宣により再興されたという。

当宮祭神はの栽培、正月25日の祭日以前の機織、同じく祭日以前にをする事の3点を嫌うので氏子もそれら行為を禁忌としていたが、生活に差し障りもある為に神慮を宥めてこれを無くそうと諮り、宝暦2年4月に吉田家神位の授与を願った所、式内社である由緒を以て同年12月18日に極位(正一位)の宗源宣旨幣帛が下され[4]、爾来「宮浦大明神」と称された。なお、この時同時に桃園天皇からの勅許も下され、薩摩藩領内の神社では神位授与に際して勅許の下された唯一の神社であったという[4]

明治6年(1873年)県社に列した。なお、同10年の西南戦争で被災している。

祭祀

明治以前は神武天皇が東征に発したという正月25日を祭日としたが、後に3月10日を例祭日とし、現在は4月3日となっている。上述のように宝暦以前は祭日前に機を織る事と灸をする事が禁じられていた。


  1. ^ a b 『鹿児島県神名牒』(『式内社調査報告』所引)。
  2. ^ 『角川日本地名大辞典46鹿児島県』角川書店、3月8日 昭和58。 
  3. ^ 『式内社調査報告』。
  4. ^ a b 本田親盈『神社撰集』(『式内社調査報告』所引)。
  5. ^ 宮浦宮 | 鹿児島県神社庁”. www.kagojinjacho.or.jp. 2023年1月24日閲覧。
  6. ^ 霧島市. “福山のイチョウ”. 霧島市. 2023年1月24日閲覧。
  7. ^ 霧島市. “文化財【福山】”. 霧島市. 2023年1月24日閲覧。


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