安芸トンネル 安芸トンネルの概要

安芸トンネル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/11 09:01 UTC 版)

安芸トンネル
概要
路線 山陽新幹線
位置 広島県東広島市安芸郡熊野町・安芸郡海田町広島市安芸区
1.東広島駅方坑口、2.広島駅方坑口
座標 入口: 北緯34度20分47.79秒 東経132度41分20.66秒 / 北緯34.3466083度 東経132.6890722度 / 34.3466083; 132.6890722 (安芸トンネル入口)
出口: 北緯34度22分54.04秒 東経132度33分40.65秒 / 北緯34.3816778度 東経132.5612917度 / 34.3816778; 132.5612917 (安芸トンネル出口)
現況 供用中
起点 広島県東広島市黒瀬町乃美尾
終点 広島県安芸郡海田町国信二丁目
運用
建設開始 1970年(昭和45年)5月15日[1]
開通 1975年(昭和50年)3月10日
所有 西日本旅客鉄道(JR西日本)
管理 西日本旅客鉄道(JR西日本)
通行対象 山陽新幹線
技術情報
全長 13,030 m[2]
軌道数 2(複線
軌間 1,435 mm標準軌
電化の有無 有(交流25,000V 60Hz架空電車線方式
勾配 12パーミル[3]
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建設の背景

東海道本線の需要の伸びに伴い建設された東海道新幹線は1964年(昭和39年)10月1日に開業し、さらに飛躍的な輸送量の伸びを示した[4]。これにより東海道の輸送力不足は打開されたが、大阪市以西の区間についても輸送量が伸びて、山陽本線についても輸送力の限界に近付きつつあった。この問題について検討した結果、東海道新幹線との接続の関係から、新幹線をそのまま西に伸ばすことが最良であると判断され、山陽新幹線の建設が決定された[5]。特に輸送力が逼迫していた新大阪 - 岡山間をまず1967年(昭和42年)3月16日に起工し[5]、続いて岡山 - 博多間についても1970年(昭和45年)2月10日に起工することになった[6]

経路の選択

山陽新幹線を三原駅から広島駅まで建設するにあたっては、この中間の地形が問題となった。三原駅も広島駅も標高はほぼ0メートルであるが、この間には標高が300メートルから700メートルに達する山地があり、西条から黒瀬に至る地帯(現在の東広島市内)が標高200メートル程度の西条盆地となっている程度であった。このため、西条盆地をいかにして通り抜けるかが経路選択の問題であった[7]

経路選択に当たって北限は現行の山陽本線程度、南限は西条盆地南端程度と考えて、その間に9通りのルートを設定して比較検討した。その結果いずれの経路であっても最長で13キロメートル程度の長大トンネルは避けられないとされた[7]。制限勾配が12パーミル、曲線半径が4,000メートルを満たし、地質の条件が良く経済的で、工期短縮のための斜坑を設けられることや、工事用道路や土捨場の立地条件といったことが比較の上での考慮対象となった[8]。北側を通る案は、酒どころである西条に大渇水を起こす恐れが高く、それを避けるためにさらに北側に迂回させると、広島駅への取り付け工事が不利になるとされた。一方南側に振ると、地質的な問題は少ないがトンネル延長が長くなって経済的に不利であるとされた[8]竹原市田万里町付近の断層の回避も考慮に入れて、最終的に竹原市葛子を西進し上田万里で南西に方向を変え、西条盆地を地上で通り抜けて黒瀬町において全長約13キロメートルの安芸トンネルに入って北西に向きを変え、海田町国信に出て瀬野川を渡る案に決定された[7]。この案は、トンネル延長も短く明かり区間に軌道工事の基地を建設でき、斜坑建設に適当な地点があり、近くの谷に土捨て場を設けられるといった有利な条件があった[8]

結果的にこの経路で選ばれた安芸トンネルは、3つの斜坑を利用して5工区に分割して工事したこともあり、早期に着工でき、トンネル残土(ずり)の処理も容易で、大きなトラブルもなく所定の工期で建設でき、「急がば回れ」で選定してうまくいった代表例だとされる[2]。トンネル名は、広島県を代表するトンネルとして安芸トンネルと命名された[9]

建設計画

建設担当

山陽新幹線の岡山 - 博多間の建設にあたり、中国支社の地方機関として1969年(昭和44年)9月21日に広島県内の工事を担当する期間として広島新幹線工事局が設置され、その管轄下で工事が行われた。なお広島新幹線工事局は山陽新幹線開業に伴い使命を終えて1975年(昭和50年)9月30日限りで廃止となった[10][11]。安芸トンネル区間については広島新幹線工事局の下で、入口側に黒瀬工事区、出口側に海田工事区がおかれて管轄した[12]

建設基準

東海道新幹線では、計画最高速度を200 km/h、許容最高速度を210 km/hとして建設した。これに対して山陽新幹線ではさらなる高速化を想定し、当面考えられる速度としては250 km/hであるとされたが、実現にはさらなる研究が必要であった。このため当面は200 km/h運転を前提とするが、将来的な高速化が行われる際に手戻りとならないように配慮して設計することになり、計画最高速度は250 km/h、許容最高速度は260 km/hとすることになった[13]。実際にはこの後、1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正で220 km/h運転が開始され[14]、1989年(平成元年)3月ダイヤ改正で230 km/h運転、1993年(平成5年)3月のダイヤ改正で270 km/h運転、そして1997年(平成9年)3月ダイヤ改正で300 km/h運転を開始している[15]

こうした速度条件の改訂により、最小曲線半径は東海道新幹線で2,500メートルであったのが、標準で4,000メートル以上、やむを得ない場合は3,500メートルとし、また勾配も東海道新幹線で標準で15パーミル、2.5キロメートル以内に限り18パーミル、1キロメートル以内に限り20パーミルとしていたが、標準勾配を12パーミル以下、最急勾配を15パーミルと、いずれも条件を改良することになった[16]。さらに縦曲線半径も拡大し、軌道中心間隔は4.2メートルから4.3メートルへと拡大した[17]

トンネルの断面については、東海道新幹線や山陽新幹線岡山以東でバラスト軌道を採用していたところ、岡山以西ではスラブ軌道になったことにより、レール面高さと施工基面高さの間隔が700ミリメートルから400ミリメートルに縮小された。また中央通路の幅や深さが縮小され、トンネル内下水を中央側溝に流すのが標準であったのが、湧水量が多くない限り両側側溝に流す設計にされた。そしてトンネル内での車両故障時に台車の検査を容易にできるように、曲線半径が7,000メートル未満の曲線区間では側壁の半径を大きなものにして、トンネル下断面の幅を拡大した[18]。こうした変更の結果、覆工の巻厚が50センチメートルの直線区間で比較すると、全断面の面積が東海道で76.8平方メートルであったところ、新大阪-岡山間で77.8平方メートル、岡山-博多間で75.4平方メートルとなった[19]

線形

安芸トンネルの平面線形は、下り列車に対して右に半径5,000メートルの曲線中でトンネルに入り、さらに右に半径4,000メートルの曲線を描いて進行方向が北西になってから直進となり、出口付近では左に半径4,000メートルの曲線を描く[20]。一方縦断線形としては、12パーミルの片勾配が入口から出口まで続いている。標高200メートル程度の西条盆地からほぼ海岸に近い瀬野川付近までを結ぶ必要から、制限勾配いっぱいで片勾配となり、延長10キロメートルを超えるようなトンネルとしては珍しい事例となった[9]が、後に上越新幹線では中山トンネル塩沢トンネルなどが同様の片勾配トンネルとなった。

工区割

安芸トンネルは起点側から乃美尾、楢原、イラスケ、熊野、海田の5つの工区に分割して工事が行われた[21]

安芸トンネル工区割
工区名 乃美尾 楢原 イラスケ 熊野 海田
着工 1971年(昭和46年)11月30日[22] 1970年(昭和45年)11月10日[22] 1970年(昭和45年)12月13日[22] 1970年(昭和45年)12月19日[22] 1970年(昭和45年)9月1日[22]
延長 790 m[22] 2,770 m[22] 3,040 m[22] 3,000 m[22] 3,430 m[22]
作業坑 大多田立坑内径4 m深さ26.0 m
283 km 110 m地点[23]
楢原斜坑375.4 m
285 km 100 m地点[24]
イラスケ斜坑631.0 m
288 km 402 m 34地点[24]
熊野斜坑699.8 m
291 km 941 m 20地点[24]
なし
施工業者 飛島建設[21] 飛島建設[21] 奥村組[21] 前田建設工業[21] 大成建設[21]
平均月進 55 m[22] 99 m[22] 103 m[22] 103 m[22] 105 m[22]
メートル単価 104万円[22] 67万円[22] 74万円[22] 81.1万円[22] 69.4万円[22]

トンネルの入口キロ程は282 km 455 mとするもの[24]と、800 km 015 m 43とするものがあり、前者は建設キロ程、後者は管理キロ程によるものである[3]。両者を換算できる資料がなく、単純に工区の長さを足して正しい値が得られる保証もないため、以下では必要に応じて両者を併用して記載する。

また、各工区の着工日は明確であるものの、竣工日については3種類の異なる日付が工事誌に記載されており、特定できなかったため、上記の表には記載していない。

地質

安芸トンネルのある場所の地質は大半が花崗岩であり、より具体的には粗粒の黒雲母花崗岩である広島花崗岩である[25][9]。花崗岩がほとんどを占めるのは山陽新幹線の広島県内のトンネルの大半に共通し、良質で安定した地盤であった[26]。主要な断層は熊野断層と市の畑断層があり、熊野断層はさらに2本に分岐していた。断層破砕帯がかなり幅広くなっていたものの、実際の掘削ではあまり湧水はなかった[9]。入口付近には西条砂礫層という帯水層があり、花崗岩との境界までの施工に注意が必要とされた[25]

工期

国鉄は1969年(昭和44年)6月18日に、運輸大臣に対して岡山-博多間の山陽新幹線延長の認可申請をおこない、9月12日に認可された[27]。この認可申請において、岡山-博多間の工期は約6年とされており、具体的には博多開業を昭和49年度としていた[28]。より具体的な工事計画を同年11月18日に運輸大臣に認可申請し、12月4日に認可された[29]。この工事計画で安芸トンネルも、延長約13キロメートルのトンネルとして記載された[30]。これを受けて実際に着工され[31]、博多までの開業は当初工期をぎりぎりとなる1975年(昭和50年)3月10日となった[32]


  1. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.10
  2. ^ a b 「私のトンネル路線選定秘伝」p.197
  3. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』縦断面図
  4. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.1 - 3
  5. ^ a b 『山陽新幹線』p.41
  6. ^ 『山陽新幹線』p.44
  7. ^ a b c 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.69
  8. ^ a b c 「山陽新幹線・安芸トンネルについて」pp.12 - 13
  9. ^ a b c d e 「最盛期を迎えた安芸トンネル」p.13
  10. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.84 - 86
  11. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.14
  12. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.11 - 12
  13. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.46
  14. ^ 『山陽新幹線』p.59
  15. ^ 『山陽新幹線』pp.64 - 65
  16. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.46 - 47
  17. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.48
  18. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.367
  19. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.368
  20. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』線路平面図
  21. ^ a b c d e f g h i j 「山陽新幹線276kmのトンネル工事」p.97
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.566
  23. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.604
  24. ^ a b c d e f g 「最盛期を迎えた安芸トンネル」p.14
  25. ^ a b 「山陽新幹線、岡山博多間の路線地質概要」p.58
  26. ^ 「山陽新幹線・広島県内 長大トンネル工事とその工法」p.29
  27. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.15
  28. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.17 - 19
  29. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.16
  30. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.22
  31. ^ 『新幹線ネットワークはこうつくられた』pp.53 - 54
  32. ^ 『新幹線ネットワークはこうつくられた』p.64
  33. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.602
  34. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.603 - 604
  35. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.604 - 605
  36. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.603
  37. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.629
  38. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.630
  39. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.630 - 631
  40. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.684
  41. ^ a b c 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.681 - 683
  42. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.621
  43. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.605 - 610
  44. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.610 - 613
  45. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.685
  46. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.23
  47. ^ a b 「最盛期を迎えた安芸トンネル」p.20
  48. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.686
  49. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.613
  50. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.614
  51. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.614 - 616
  52. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.621 - 623
  53. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.655 - 658
  54. ^ a b c d 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.24
  55. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.1248


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