地蔵菩薩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 13:38 UTC 版)
勝軍地蔵
兜と鎧を身に着けて、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持ち、戦馬に騎乗する[9]。勝軍地蔵を念ずれば戦に勝利するとされ、武家の信仰を集めた[10]。また過去世に犯した罪の報いをまぬがれたり、飢饉を防ぐともされた[10]。
愛宕権現の本地仏。大宝年間、役小角が白山修験の開祖とされる泰澄と山城国愛宕山に登ったとき、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。また、敏達天皇の御代、日羅が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『元亨釈書』には清水寺の延鎮が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に坂上田村麻呂の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、儀軌などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。[要出典]幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。
鬼門地蔵
中日新聞(2020年)によれば、愛知県半田市亀崎地区には「鬼門地蔵」と称する地蔵がある。個人宅の鬼門方向に祀られ、2003年の調査では、同地区で約70体が確認されている。史料はなく、由緒は不明という[11]。
法蔵地蔵尊
東京・小石川の伝通院の正門を入って境内左側にある銅像の仏。中央の本尊は「法蔵地蔵尊」で、脇待は向って右が観世音菩薩、左が勢至菩薩である。このような組み合わせの三尊は異例。法蔵菩薩から仏となった阿弥陀如来が、あえて、大衆信仰の親しみやすい地蔵の姿をもって出現したもの[12][13]。
注釈
出典
- ^ a b c 鏡花の女人救済の原型(諸岡哲也)仏教大学大学院紀要文学研究科篇第47号(二〇一九2019年3月)
- ^ 大江吉秀『日本のほとけさまに甘える』2016年、東邦出版、27頁。
- ^ 大江吉秀『日本のほとけさまに甘える』2016年、東邦出版、28頁。
- ^ 「ろくどう‐のうげ」 - デジタル大辞泉
- ^ 『地蔵菩薩本願経』「若未來世有善男子善女人見地藏形像及聞此經乃至……得二十八種利益」
- ^ 『地蔵菩薩本願経』「若現在未來天龍鬼神聞地藏名禮地藏形或……得七種利益」
- ^ 『印と真言の本』108頁
- ^ 高田 1959, p. 47.
- ^ 「勝軍地蔵」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ a b 「勝軍地蔵」 - デジタル大辞泉、小学館。
- ^ 高田みのり (2020年10月30日). “鬼門地蔵謎の密集”. 中日新聞朝刊県内版: p. 20
- ^ 伝通院 公式サイト http://www.denzuin.or.jp/ の「法蔵地蔵尊」の説明 閲覧日2023年8月14日
- ^ 境内「法蔵地蔵尊」 - 伝通院、2023年8月16日閲覧
- ^ 「地蔵」 - 世界大百科事典 第2版
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