国鉄DD54形ディーゼル機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 17:24 UTC 版)
評価
DD54を実際に運転した国鉄運転士OBの証言によると、DMP86Z型エンジンの騒音がひどく、国鉄から運転士に耳栓が支給された。山陰本線の運用では「(DD54による)騒音で子供が起きた」「養鶏場のニワトリが卵を産まなくなった」などの苦情が国鉄に寄せられていた。振動もひどく、DD54に牽引されている客車の窓際に置いた缶が振動で落下することもあったという[11]。
機関士の中には「故障するのが嫌で乗りたくなかった」と語る者までおり、どんなに整備をしても突然不調になることが多く、乗務後に「今日はどうだった?」と挨拶するのがいつからか定番になったという[5]。40両製造されたDD54のうち、最末期に稼働できたのは15両にすぎなかった[6]。DMP86Z型エンジンが複雑な構造であったため、本機の保守・点検には長時間を要し、トラブル発生に備えて検査係が本機の実際の運用に同乗して、運行中に部品を交換したことすらあった[12]。検査係のOBは「故障だらけで、1か所だけでなく全体が悪い感じだった」と述べている[5]。
保存機
- DD54 33 - 交通科学博物館(大阪市港区)→京都鉄道博物館(京都市下京区)
- 最後まで使用された4両中の1両で、米子機関区配置時代に特急「出雲」牽引機に指定された6両中の1両でもある。このため、現在も20系客車への空気圧供給用の元空気溜管とヘッドマーク取り付け金具を装着する。
- 1984年(昭和59年)1月に福知山機関区から搬出され、同年3月に交通科学博物館(大阪市港区)へ搬入、第2展示場で保存展示された(当初は鉄道記念日など特別の日のみの公開であった)。
- 2014年(平成26年)4月の同館閉館後は京都鉄道博物館に移設され、2016年(平成28年)4月29日より保存展示を再開した。
- 交通科学博物館時代の1995年に阪神・淡路大震災で手すりが変形しており、震災を伝えるため修繕されることなく展示されている。
-
京都鉄道博物館へ移設後の33号機。
脚注
注釈
- ^ DD54形製造期間中には三原製作所ではED75・ED76・ED77・EF71形やEF30形・EF81形、それにDD51形といった国鉄機関車各形式を並行して生産している。
- ^ これは背の高いDMP86Zを収めるためでもあった。
- ^ DD54 12は公式側排障器にSGホース掛けを装備する。
- ^ DOHC6バルブ、バンク角60°V型16気筒、ボア185 mm×ストローク200 mm、排気量85.973 L、最大出力2000 hp / 1600 rpm
- ^ 工事は1970年1月まで集中的に実施され、一時的に機関車不足を招いたため、代機としてはC57形やD51形を他区から借り入れて蒸気機関車による運用が復活する事になった。
- ^ 最高速度は95 km/hのため同時期のEF65形500番台(P形・F形)などのような電磁自動空気ブレーキ指令用ジャンパ連結器設置や応速度編成増圧ブレーキ装置搭載は未施工。
- ^ 冬期の低温対策としてDD54 9以降では廃止している。
- ^ DD54 16・17も当初の配置は米子であった。
- ^ 「出雲」牽引指定機についても、急行「だいせん」やその他の一般列車も牽引することがあった。
- ^ そのため、当初米子機関区に配置された後期製作車8両の内、先行して1972年に転属となったDD54 30以外の7両については、故障頻発が深刻化した1974年4月25日付で鷹取工場に近い福知山機関区へ転属の措置がとられている。
- ^ 自動車を始めとする水冷エンジンのサーモスタットや潤滑系のバルブに用いられるワックスを充填したサーモエレメントの伸縮動作によるサーモアクチュエーターの一種。
- ^ DD54 1 - DD54 9・DD54 13・DD54 14・DD54 35
- ^ DD54 15 - DD54 18・DD54 21・DD54 26・DD54 34・DD54 36 - DD54 38
- ^ DD54 10・DD54 19・DD54 20・DD54 22・DD54 23・DD54 25・DD54 27・DD54 28・DD54 39・DD54 40
- ^ DD54 11・DD54 24・DD54 29・DD54 31
- ^ DD54 12・DD54 30・DD54 32・DD54 33
- ^ 長らく留置されていたのは、労働組合の抗議活動によって『欠陥機関車の証拠』として残すため、解体を阻止され福知山機関区に留置されたとする説も存在する。
- ^ 最初に製作され、結果的に本形式で最も長い期間使用されたDD54 1は、1966年6月24日新製配置、1976年6月30日廃車で、書類上新製から10年と数日で廃車となっている。
- ^ DD54 35。同車は1971年9月9日に米子機関区へ新製配置され、1974年4月25日に福知山機関区へ転属、1976年6月30日に変速機系の致命的な故障が原因で修理不能としてトップナンバーを含む初期車11両と共に廃車となっている。
- ^ 特に本形式の導入が開始された1966年当時の国鉄監査委員長が前三菱重工業社長の岡野保次郎であったことから、国鉄内で適切な意志決定がなされないままに総額約30億円におよぶ予算の無駄遣いがなされたのではないか、との指摘・追求が日本共産党の内藤功参議院議員(当時)からなされている。
出典
- ^ ふちい萬麗「DD54の時代考証」プレス・アイゼンバーン『レイル』No.54 P.80 - P.81
- ^ 前里孝「福知山区のDD54改造顛末記」交友社『鉄道ファン』1970年4月号 No.107 P.112
- ^ ふちい萬麗「DD54の時代考証」プレス・アイゼンバーン『レイル』No.54 P.80 - P.83
- ^ 大田裕二「DD54投入と無煙化の足跡」交友社『鉄道ファン』1977年5月号 No.193 P.52 - P.53
- ^ a b c “悲運の機関車DD54が大役を任された日”. 朝日新聞デジタル 2017年12月3日. 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月10日閲覧。
- ^ a b 両丹日日新聞 (2017年7月10日). “悲運の機関車DD54(2) トラブル続きで次々解体”. WEB両丹. 2020年3月29日閲覧。
- ^ 星山一男「お召列車50年の記録」交友社『鉄道ファン』1976年12月号 No.188 折込付表
- ^ DD54型 また事故 推進軸に裂け目『朝日新聞』1969年(昭和44年)11月19日夕刊 3版 11面
- ^ 麻布学園鉄道研究部「DD54近況」交友社『鉄道ファン』1976年12月号 No.188 P.105 - P.107
- ^ 第87回国会、参議院 交通安全対策特別委員会 5号、昭和54年5月9日
- ^ 両丹日日新聞 (2017年7月8日). “悲運の機関車DD54(1) 故障などトラブル続きで短命に”. WEB両丹. 2020年3月29日閲覧。
- ^ 両丹日日新聞 (2017年7月11日). “悲運の機関車DD54(3) 運用中に部品交換”. WEB両丹. 2020年3月29日閲覧。
固有名詞の分類
国鉄・JRの車両形式 |
国鉄8500形蒸気機関車 国鉄9600形蒸気機関車 国鉄DD54形ディーゼル機関車 国鉄サル28形電車 国鉄DD13形ディーゼル機関車 |
日本国有鉄道のディーゼル機関車 |
国鉄DD15形ディーゼル機関車 国鉄DD91形ディーゼル機関車 国鉄DD54形ディーゼル機関車 国鉄DD13形ディーゼル機関車 国鉄ケDB10形ガソリン機関車 |
- 国鉄DD54形ディーゼル機関車のページへのリンク