友寄正人 来歴・人物

友寄正人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 09:15 UTC 版)

来歴・人物

小禄高校沖縄国際大学を経てビル・キナモン審判学校卒業。

自身には野球のプレイ経験は中学の1年足らずだが、小5の頃から審判に興味を持っており、小禄高校時代に沖縄県野球連盟に審判志願した。大学2年生の時には既に、高校野球沖縄県大会の審判員を任されるほどであった。 大学時代に神原中で2年間監督を務めていた。 本人曰く、少年時代は指揮者になりたかったという。

1978年よりセントラル・リーグ審判員。入局以来関西審判部に所属している。抜擢されるのが早く、1980年には22歳という若さで一軍デビューを果たす。1984年ジュニアオールスターゲームで球審を務め、1987年オールスターゲームに初出場し、1992年には日本シリーズの初舞台を踏み、第3戦の球審を務めた。1994年に審判部主任に、2003年には副部長に昇進。2007年10月20日には、セントラル・リーグクライマックスシリーズ第2ステージ第3戦・巨人-中日戦にて通算2500試合出場を達成、2013年8月4日の巨人-阪神第17回戦で球審を務め、歴代19人目の通算3000試合出場を達成。

オールスターゲームには6回出場(1987年、1990年、1994年、1998年、2006年、2013年。内、1987年第3戦、1994年第1戦、1998年第2戦で球審)、日本シリーズ13回出場(1992年~1994年、1996年~2002年、2004年、2006年、2010年。内、1998年2002年2006年に第1戦、2001年に第2戦、1992年1996年に第3戦、1997年に第4戦、1994年2010年に第5戦、2004年に第7戦の球審)を務めた。

2009年2009 ワールド・ベースボール・クラシックの審判員として、渡田均中村稔良川昌美らと派遣され、2次ラウンド2組の一塁・三塁塁審として4試合に出場した[1][2][3][4]

2009年度より、審判部副部長から審判部部長待遇に昇格。役職名変更により2011年からクルーチーフ、2013年から新設されたシニアクルーチーフとなる。 2014年1月より、井野修に替わり第2代審判長に就任。2022年シーズンをもち退任、後任は森健次郎


  1. ^ MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月13日閲覧。
  2. ^ MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月13日閲覧。
  3. ^ MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月13日閲覧。
  4. ^ MLB Gameday”. MLB.com. 2023年9月13日閲覧。


「友寄正人」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「友寄正人」の関連用語

友寄正人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



友寄正人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの友寄正人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS