十円紙幣
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丙号券
1930年(昭和5年)5月15日の大蔵省告示第102号「兌換銀行券改造」[38]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り[2]。
- 日本銀行兌換券
- 額面 拾圓(10円)
- 表面 和気清麻呂、兌換文言
- 裏面 護王神社本殿、断切文字
- 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長
- 銘板 大日本帝國政府内閣印刷局製造
- 記番号仕様
- 記番号色 黒色
- 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 4桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
- 寸法 縦81mm、横142mm[38]
- 製造実績
- 発行開始日 1930年(昭和5年)5月21日[38]
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日[39](証紙貼付券に限り1946年(昭和21年)10月31日[40])
- 発行終了
- 失効券
関東大震災により滅失した兌換券の整理が必要となったことから1927年(昭和2年)2月に兌換銀行券整理法が制定され、従来の兌換券を失効させて新しい兌換券に交換するため、乙百圓券・丙拾圓券・丁五圓券が新たに発行された[41]。
これまでに発行された日本銀行券では複数券種に同じ肖像が用いられるなどした結果、券種間の識別が紛らわしくなっていたことなどから[42]、額面ごとに肖像人物を固定化することとし、さらに輪郭や地模様、透かしに至るまで入念な検討のもとに肖像人物と関連性のある図柄が描かれることとなった[43]。デザイン面、印刷技術面の両面で、日本国内のみならず日本国外からも高く評価された紙幣である[44]。
表面右側には和気清麻呂の肖像が描かれている[45]。この肖像については、エドアルド・キヨッソーネが描いた肖像の原画が関東大震災の被害により焼失したため、他の紙幣の肖像を基に新たに作成されたものである[45]。表面中央に地模様として正倉院御物「鹿草木夾纈屏風」の樹木の図柄と、同じく正倉院御物「鳥草夾纈屏風」の瑞鳥の図柄が描かれている[45]。
裏面には中央に京都市上京区にある和気清麻呂ゆかりの護王神社の本殿と、左右の「拾」の文字が配された彩紋模様の上下には正倉院御物の「雙六局の木匣」の花模様があしらわれている[45]。また裏面右端には「日本銀行」の断切文字が配置されている[44]。これまで記載されていた英語表記の兌換文言は本券種から廃止され、英語表記は額面金額のみとなっている[43]。正倉院御物にまつわる図案をふんだんに盛り込んだデザインとなっており、表面の意匠は不換紙幣のい号券に流用されている[45]。
透かしは「拾圓」の文字と、肖像の和気清麻呂と関わりの深い神護寺の古瓦の図柄である[45]。用紙については従前どおり三椏を原料とするものであるが、製法の変更により以前よりもやや黄色がかった色調の用紙に変更されている[43]。また、従来の紙幣は寸法に統一性がなく取扱いが不便であったため、他額面の紙幣も含め一定の縦横比[注 2]に統一した規格に揃えている[42]。この券面寸法の規格は、十円紙幣では1945年(昭和20年)に発行開始されるろ拾圓券まで[注 3]維持されている[46]。
使用色数は、表面6色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章1色、記番号1色)、裏面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・断切文字1色)となっている[47][2]。
丙号券からろ号券までの10円券は、全て和気清麻呂が描かれており、通称では「1次」~「4次」と呼ばれているので、この丙号券は「1次10円」となる。このうちろ号券(4次10円)以外の「1次」~「3次」はデザインが類似している。それ以前の改造券・甲号券・乙号券も和気清麻呂が描かれているが、これらは「何次」とは呼ばれない。
1931年(昭和6年)12月の金兌換停止に伴い、それ以降は事実上の不換紙幣となり[48]、1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行による金本位制の廃止に伴って法的にも不換紙幣として扱われることになった[49]。
新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった[39]。新円切替の際、丙号券~ろ号券に証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行された[50]。この証紙貼付券は十分な量の新円の紙幣(A号券)が供給された1946年(昭和21年)10月末限りで失効した[40]。
その他
第二次世界大戦中に米軍により日本国内で飛行機等から散布された宣伝謀略用の伝単(ビラ)の中には、当時使用されていた丙拾圓券の図柄を模したものが存在している[51]。
一般市民の目に付きやすく手に取られやすいようにするため紙幣に似せたものとなっており、諸外国でも同様のものが見られる[51]。日本で使用されたものは当時流通量が多かった十円紙幣の図柄が用いられた[51]。
当時はこのような伝単を拾得・所持するだけで厳しく罰せられたため、日本国内での現存数は少ない[51]。
注釈
- ^ a b 1895年(明治28年)9月以降製造分[23]。発行開始日は不詳。
- ^ 概ね縦1:対角線2の比率
- ^ 日本銀行券全体としては小額の一部券種を除き1946年(昭和21年)に発行開始されるA百圓券まで。
- ^ 末期の桐のちらし透かしはい拾錢券、い五錢券、A百円券(一部除く)等と共通化された透かし図柄である。
- ^ このうち、桐の不定位置透かしのものは1945年(昭和20年)10月18日から日本銀行に納入開始[62]。
- ^ a b 第二次世界大戦末期から終戦直後の混乱期であり、本来は官報公示をもって紙幣の様式変更を公布しなければならないところ、公示を行わないまま発行開始されているため正確な発行開始日は不詳。1945年(昭和20年)10月18日に印刷局から日本銀行に納入開始したとされる[62]ことから、それ以降の発行開始と考えられる。
- ^ 記録上。実物が確認されているのは531と533のみ。組自体が補刷券として刷られたものではないかと推測する説もある(『日本紙幣収集手引書第四集・日本銀行券「A号シリーズ」編』南部紙幣研究所、1991年)。
- ^ 敗戦によるハイパーインフレーションなどの可能性を想定。
- ^ a b 1945年(昭和20年)11月頃に発行開始したとされる[70]。第二次世界大戦終戦直後の混乱期であり、本来は官報公示をもって紙幣の様式変更を公布しなければならないところ、公示を行わないまま発行開始されているため正確な発行開始日は不詳。
- ^ 記号の頭1桁と下2桁を除いた残り1 - 4桁
- ^ 最終組付近など、一部未確認の組がある。
- ^ 1946年(昭和21年)2月17日付け大蔵省告示第23号「昭和二十一年二月二十五日ヨリ發行スベキ日本銀行券百圓券及拾圓券ノ樣式ヲ左ノ略圖ノ通定ム」では同年2月25日と予告されていた。
- ^ 凸版印刷、大日本印刷、共同印刷、および東京証券印刷の4社。
- ^ 肖像の伐折羅大将像の表情が「日本国民の戦勝国に対する憤怒の感情を表現しているかのようである」とされた。
- ^ 日本銀行行章が印刷されるようになった甲百圓券以降の日本銀行券において、このA十円券以外で日本銀行行章が券面上に存在しないのは昭和金融恐慌時に緊急的に発行された乙貳百圓券のみである。
- ^ 円記号(「¥」)が表記されているのは日本銀行券の中では唯一である。
- ^ 日本銀行券の大半の券種ではローマ字表記による「NIPPON GINKO」の発行元銀行名の表記があるが、ローマ字表記により国名表示がなされている券種は他に存在しない。
- ^ これは寸法を縮小することで用紙を節約し、更に券種間で原版の版面を流用し易くすることを目的として各券種の券面の縦寸法を一定のサイズに統一する構想があったことによるものである[68]。
- ^ 十円金貨については、新貨条例で制定されたものは1897年(明治30年)10月1日の貨幣法施行により額面の2倍である20円に通用することとなっていた。
出典
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- ^ 1897年(明治30年)3月29日法律第18號「兌換銀行券條例中改正」
- ^ 1946年(昭和21年)2月17日勅令第83號「金融緊急措置令」
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