十円紙幣 い号券

十円紙幣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 17:14 UTC 版)

い号券

1943年(昭和18年)12月14日の大蔵省告示第558号「日本銀行券拾圓券等ノ樣式略圖」[52]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り[2]

  • 日本銀行券
  • 額面 拾圓(10円)
  • 表面 和気清麻呂
  • 裏面 護王神社本殿
  • 印章 〈表面〉総裁之印、発券局長 〈裏面〉なし
  • 銘板 内閣印刷局製造
  • 記番号仕様
    • 記番号色 黒色[通し番号あり]/赤色[通し番号なし(組番号のみ)](製造時期により2種類あり)
    • 記番号構成 (製造時期により2種類あり)
      • 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
      • 〈記号〉組番号:「{」+数字3桁+「}」 〈番号〉通し番号なし
  • 寸法 縦81mm、横142mm[52]
  • 製造実績
    • 印刷局から日本銀行への納入期間 1943年(昭和18年)4月28日 - 1946年(昭和21年)5月29日[2]
    • 記号(組番号)範囲 [2]
      • 1 - 480(1記号当たり900,000枚製造)
      • 481 - 542(1記号当たり5,000,000枚製造)
    • 製造枚数 [3]
      • 432,000,000枚[通し番号あり]
      • 265,774,000枚[通し番号なし(組番号のみ)]
  • 発行開始日 1943年(昭和18年)12月15日[52]
  • 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日[39](証紙貼付券に限り1946年(昭和21年)10月31日[40]
  • 発行終了
  • 失効券

事実上有名無実化していた金本位制1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行により正式に廃止され、管理通貨制度に移行したことに伴い兌換文言等が表記された兌換券が名実ともに実態にそぐわないものとなったことから、不換紙幣の「日本銀行券」として発行された[53]。時代は第二次世界大戦に突入し、材料や資機材などに至るまであらゆるものが戦争に駆り出された結果、紙幣もコスト削減や製造効率向上を目的に品質を落とさざるを得なくなり仕様が簡素化されている[53]

表面の意匠は兌換券である丙号券の流用だが、裏面は異なっている[45]。表面の変更点は、題号の「日本銀行券」への変更の他に、兌換文言の削除、発行元銀行名の位置変更、銘板の記載変更、印章を表面に2個(「総裁之印」・「発券局長」)印刷するようにしたことと、地模様の刷色変更だが、その他の図案は丙号券を流用したもので同様の内容である[54]

裏面には丙号券と同じく護王神社の本殿が描かれているが、裏面の印刷方式を簡易な凸版印刷に変更した影響で丙号券よりも粗く太い画線で描かれている[54]。そのほか、上方には瑞雲、下方には、左右には古代鏡型の彩紋、地模様には宝相華があしらわれているが、丙号券の重厚感のあるデザインと比較すると大幅に簡素化されたものとなっている[45]。またアラビア数字による額面表記は存在するものの、これまで裏面に印刷されていた英語表記は削除され、英語表記が全くない券面となっている。

当初は記番号が黒色で印刷されていたが(2次10円)、1944年(昭和19年)11月に記号(組番号)の色が赤色に変更され通し番号が省略された[55](3次10円)。2次10円の通し番号については基本的に900000までであったが、補刷券と呼ばれる不良券との差し替え用に900001以降の通し番号が印刷されたものが存在する。

発行開始時の透かしは丙号券と同じ「拾圓」の文字と神護寺古瓦の図柄であったが[45]、1944年(昭和19年)に「日本」と「拾」の文字に変更され[55]、これに合わせて紙幣用紙についても従来の三椏のみを原料とするものから、粗悪な木材パルプを30%混合したものに変更されている[56]。さらに透かしの図柄については度重なる変更が行われ、1945年(昭和20年)に日本銀行行章(ここまで白黒透かし)[55]、そして発行末期は白透かしの桐と3度にわたり変更されている[注 4][57]

い拾圓券の変遷の詳細を下表に示す。前述の通り戦況の悪化に伴い仕様を一段と簡素化する仕様変更が度々行われており[56]、い拾圓券は2次10円2タイプ、3次10円3タイプの合計5タイプに分かれる。

通称 発行開始日 日本銀行への納入期間[2] 組番号範囲[2] 記番号仕様[58][2] 透かし[58][2]
2次10円 1943年(昭和18年)12月15日[52] 1943年(昭和18年)4月28日 -
1944年(昭和19年)7月26日
1 - 403 黒色・通し番号あり 「拾圓」・神護寺の古瓦(白黒透かし・定位置)
1944年(昭和19年)8月25日[59] 1944年(昭和19年)7月26日 -
1944年(昭和19年)10月12日
404 - 480 「日本」・「拾」(白黒透かし・不定位置)
3次10円 1944年(昭和19年)11月20日[60] 1944年(昭和19年)10月12日 -
1945年(昭和20年)4月30日
481 - 510 赤色・通し番号なし
1945年(昭和20年)6月11日[61] 1945年(昭和20年)3月29日 -
1946年(昭和21年)5月29日[注 5]
511 - 530 日本銀行行章(白黒透かし・不定位置)
不明[注 6] 531 - 542[注 7] 桐(白透かし・不定位置)

使用色数は、2次10円(通し番号あり)については表面6色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章1色、記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、地模様1色)、3次10円(通し番号なし)については記番号を印章と同色に変更したことにより表面5色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、地模様1色)となっている[58][2]

新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった[39]。新円切替の際、丙号券~ろ号券に証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行された[50]。この証紙貼付券は十分な量の新円の紙幣(A号券)が供給された1946年(昭和21年)10月末限りで失効した[40]


注釈

  1. ^ a b 1895年(明治28年)9月以降製造分[23]。発行開始日は不詳。
  2. ^ 概ね縦1:対角線2の比率
  3. ^ 日本銀行券全体としては小額の一部券種を除き1946年(昭和21年)に発行開始されるA百圓券まで。
  4. ^ 末期の桐のちらし透かしはい拾錢券い五錢券A百円券(一部除く)等と共通化された透かし図柄である。
  5. ^ このうち、桐の不定位置透かしのものは1945年(昭和20年)10月18日から日本銀行に納入開始[62]
  6. ^ a b 第二次世界大戦末期から終戦直後の混乱期であり、本来は官報公示をもって紙幣の様式変更を公布しなければならないところ、公示を行わないまま発行開始されているため正確な発行開始日は不詳。1945年(昭和20年)10月18日に印刷局から日本銀行に納入開始したとされる[62]ことから、それ以降の発行開始と考えられる。
  7. ^ 記録上。実物が確認されているのは531と533のみ。組自体が補刷券として刷られたものではないかと推測する説もある(『日本紙幣収集手引書第四集・日本銀行券「A号シリーズ」編』南部紙幣研究所、1991年)。
  8. ^ 敗戦によるハイパーインフレーションなどの可能性を想定。
  9. ^ a b 1945年(昭和20年)11月頃に発行開始したとされる[70]。第二次世界大戦終戦直後の混乱期であり、本来は官報公示をもって紙幣の様式変更を公布しなければならないところ、公示を行わないまま発行開始されているため正確な発行開始日は不詳。
  10. ^ 記号の頭1桁と下2桁を除いた残り1 - 4桁
  11. ^ 最終組付近など、一部未確認の組がある。
  12. ^ 1946年(昭和21年)2月17日付け大蔵省告示第23号「昭和二十一年二月二十五日ヨリ發行スベキ日本銀行券百圓券及拾圓券ノ樣式ヲ左ノ略圖ノ通定ム」では同年2月25日と予告されていた。
  13. ^ 凸版印刷、大日本印刷、共同印刷、および東京証券印刷の4社。
  14. ^ 肖像の伐折羅大将像の表情が「日本国民の戦勝国に対する憤怒の感情を表現しているかのようである」とされた。
  15. ^ 日本銀行行章が印刷されるようになった甲百圓券以降の日本銀行券において、このA十円券以外で日本銀行行章が券面上に存在しないのは昭和金融恐慌時に緊急的に発行された乙貳百圓券のみである。
  16. ^ 円記号(「¥」)が表記されているのは日本銀行券の中では唯一である。
  17. ^ 日本銀行券の大半の券種ではローマ字表記による「NIPPON GINKO」の発行元銀行名の表記があるが、ローマ字表記により国名表示がなされている券種は他に存在しない。
  18. ^ これは寸法を縮小することで用紙を節約し、更に券種間で原版の版面を流用し易くすることを目的として各券種の券面の縦寸法を一定のサイズに統一する構想があったことによるものである[68]
  19. ^ 十円金貨については、新貨条例で制定されたものは1897年(明治30年)10月1日の貨幣法施行により額面の2倍である20円に通用することとなっていた。

出典

  1. ^ a b 1885年(明治18年)1月22日大蔵省告示第12號「兌換銀行劵見本
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb 大蔵省印刷局『日本銀行券製造100年・歴史と技術』大蔵省印刷局、1984年11月、306-313頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 大蔵省印刷局『日本のお金 近代通貨ハンドブック』大蔵省印刷局、1994年6月、242-255頁。ISBN 9784173121601 
  4. ^ a b 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、P.51頁。ISBN 9784930909381 
  5. ^ a b c d e f g h i 1927年(昭和2年)4月1日法律第46號「兌換銀行券整理法
  6. ^ a b c d 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、149頁。 
  7. ^ a b 植村峻 2015, pp. 98–99.
  8. ^ 日本で最初の「お札」とは?(2) - man@bow
  9. ^ 植村峻 2015, pp. 99–100.
  10. ^ a b c d 植村峻 2015, pp. 102–104.
  11. ^ a b c d e 植村峻 2015, pp. 104–106.
  12. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、148頁。 
  13. ^ a b 植村峻 2015, pp. 100–102.
  14. ^ a b 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、160-161頁。 
  15. ^ a b 1890年(明治23年)7月26日大蔵省告示第33號「改造十圓兌換銀行券見本現品熟覽ニ係ル件
  16. ^ a b c 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、P.54頁。ISBN 9784930909381 
  17. ^ お金の話あれこれ p.9 - 日本銀行
  18. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、151頁。 
  19. ^ 植村峻 2015, pp. 107–109.
  20. ^ a b c 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、153頁。 
  21. ^ a b c d e 植村峻 2015, pp. 114–116.
  22. ^ お札に描かれた動植物 p.3 - 国立印刷局
  23. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、154頁。 
  24. ^ a b c d e f 1899年(明治32年)9月16日大蔵省告示第51號「兌換銀行券ノ内拾圓券改造發行
  25. ^ a b c 植村峻 2015, pp. 120–122.
  26. ^ a b c d 植村峻 2015, pp. 124–126.
  27. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、165頁。 
  28. ^ a b ボナンザ編集部『日本近代紙幣総覧』ボナンザ、1984年8月、162頁。 
  29. ^ 大橋義春『維新以降日本紙幣大系図鑑』大蔵省印刷局、1957年、72-76頁。 
  30. ^ a b c 1910年(明治43年)8月13日日本銀行広告「兌換銀行券記號
  31. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、159頁。 
  32. ^ a b c d e 1915年(大正4年)4月24日大蔵省告示第44號「兌換銀行券條例ニ依リ日本銀行ヨリ發行スル兌換銀行券ノ内拾圓券改造發行竝ニ其見本略圖
  33. ^ 植村峻 2015, pp. 130–132.
  34. ^ a b c 植村峻 2015, pp. 132–133.
  35. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、168頁。 
  36. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、167頁。 
  37. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、170頁。 
  38. ^ a b c d e 1930年(昭和5年)5月15日大蔵省告示第102號「兌換銀行券改造
  39. ^ a b c d e f g 1946年(昭和21年)2月17日勅令第84號「日本銀行券預入令」、ならびに1946年(昭和21年)2月17日大蔵省令第13號「日本銀行券預入令施行規則
  40. ^ a b c d e f g 1946年(昭和21年)9月12日大蔵省告示第687號「日本銀行券預入令の特例の件第一條第一項に規定する日
  41. ^ 植村峻 2019, p. 7.
  42. ^ a b 植村峻 2019, pp. 7–8.
  43. ^ a b c 植村峻 2015, pp. 144–146.
  44. ^ a b 植村峻 2015, pp. 152–154.
  45. ^ a b c d e f g h i j k l 植村峻 2019, pp. 19–21.
  46. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、181-182頁。 
  47. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 8 近代兌換制度の確立と動揺』東洋経済新報社、1975年、189頁。 
  48. ^ a b 1931年(昭和6年)12月17日勅令第291號「銀行券ノ金貨兌換ニ關スル件
  49. ^ a b 1942年(昭和17年)5月1日法律第67號「日本銀行法
  50. ^ a b c d 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年6月、91-92頁。ISBN 978-4-93-090938-1 
  51. ^ a b c d 『日本紙幣収集事典』原点社、2005年、214-215頁。 
  52. ^ a b c d e f 1943年(昭和18年)12月14日大蔵省告示第558號「日本銀行券拾圓券等ノ樣式略圖
  53. ^ a b 植村峻 2015, pp. 171–174.
  54. ^ a b 植村峻 2015, pp. 174–175.
  55. ^ a b c 植村峻 2019, pp. 163–165.
  56. ^ a b 植村峻 2015, p. 177.
  57. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、186-192頁。 
  58. ^ a b c 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、188頁。 
  59. ^ a b c 1944年(昭和19年)8月21日大蔵省告示第387號「日本銀行券拾圓券ノ樣式中改正等
  60. ^ a b c 1944年(昭和19年)11月17日大蔵省告示第525號「昭和十九年十一月二十日ヨリ發行スベキ日本銀行券拾圓券、同五圓券及同壹圓券ノ樣式
  61. ^ a b c 1945年(昭和20年)6月9日大蔵省告示第248號「日本銀行拾圓券ノ樣式中改正
  62. ^ a b 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、P.89頁。ISBN 9784930909381 
  63. ^ a b c d e 1945年(昭和20年)8月17日大蔵省告示第332號「日本銀行券百圓券及拾圓券ノ樣式ヲ定メ從來ノモノト併用方
  64. ^ a b c d 植村峻 2015, pp. 181–183.
  65. ^ a b 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、195-196頁。 
  66. ^ a b 植村峻 2019, pp. 164–165.
  67. ^ a b 『日本紙幣収集事典』原点社、2005年、205-206頁。 
  68. ^ a b c 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、196-200頁。 
  69. ^ a b c 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、189頁。 
  70. ^ 明治以降の紙幣 - 日本銀行金融研究所 貨幣博物館
  71. ^ a b c d 1946年(昭和21年)2月17日大蔵省告示第23號「日本銀行券百圓券及拾圓券樣式ノ件
  72. ^ a b 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、P.91頁。ISBN 9784930909381 
  73. ^ a b 現在発行されていないが有効な銀行券 十円券”. 日本銀行. 2021年6月19日閲覧。
  74. ^ a b c d 植村峻 2019, pp. 62–64.
  75. ^ a b c d 植村峻 2019, pp. 67–70.
  76. ^ a b 植村峻 2015, pp. 187–194.
  77. ^ 植村峻 2019, p. 72.
  78. ^ a b c d e 植村峻 2019, pp. 72–73.
  79. ^ a b c d e 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、205-208頁。 
  80. ^ a b 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の貨幣』東洋経済新報社、1975年6月、210-214頁。 
  81. ^ 植村峻『紙幣肖像の歴史』東京美術、1989年11月、181頁。ISBN 9784808705435 
  82. ^ 植村峻 2015, pp. 190–194.
  83. ^ 日本銀行調査局『図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨』東洋経済新報社、1975年、189頁。 
  84. ^ a b 大蔵省印刷局『日本のお金 近代通貨ハンドブック』大蔵省印刷局、1994年6月、250-251頁。ISBN 9784173121601 
  85. ^ a b 大蔵省印刷局『日本銀行券製造100年・歴史と技術』大蔵省印刷局、1984年11月、195頁。 
  86. ^ 植村峻 2015, pp. 183–184.
  87. ^ 発行されなかった日本銀行券 p.27 - 日本銀行
  88. ^ 植村峻 2019, pp. 165–166.
  89. ^ a b 植村峻 2019, p. 75.
  90. ^ 1896年(明治29年)3月9日法律第8号「國立銀行紙幣ノ通用及引換期限ニ關スル法律
  91. ^ 1898年(明治31年)6月11日法律第6号「政府發行紙幣通用廢止ニ關スル件
  92. ^ 1897年(明治30年)3月29日法律第16號「貨幣法
  93. ^ 1897年(明治30年)3月29日法律第18號「兌換銀行券條例中改正
  94. ^ 1946年(昭和21年)2月17日勅令第83號「金融緊急措置令






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「十円紙幣」の関連用語

十円紙幣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



十円紙幣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの十円紙幣 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS