仮面の告白
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文壇での反響
『仮面の告白』は刊行同年の12月26日付の読売新聞の「1949年読売ベスト・スリー」に、選考員10名中、平野謙、川端康成、福田恆存、伊藤整、青野季吉、丹羽文雄ら6名の推薦を受けて選ばれた[20]。
発表当時の他の作家や文芸評論家たちの反響も概ね良好で、瀬沼茂樹は、「自己苛虐的な自己嫌悪を漂わせながら逆に自己を誇示してみせるところに、凡庸でない才能がひらめいている」と評し[30]、神西清は、「聖セバスチャン」の場面について触れ、「ひろく世界文学を通じても珍らしい男性文学(あるひは一そう端的に牡の文学といつてもいい)の絶品」だと高い評価をしている[31]。
北原武夫、林房雄、中野好夫らも、批判点を挙げつつも「才気」を認め、「このくらいになると面白い」と総評している[32]。
花田清輝は特に高く『仮面の告白』を評価して、この「仮面は、懺悔聴聞僧(confessor)を眼中におき、おのれの顔をかくすためにとりあげられているのではなく、逆におのれの顔をあきらかにするために――ほとんど他人の視線など問題にせず、いわば、仮説としてとりあげられている」とし、そこに三島の「告白の独自性」があるとしている[33]。
そして花田は、三島の「仮面」は、森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』の「老獪な」仮面や、田山花袋の『蒲団』の無意識的な「愚直」の仮面の「外向型」でない、「性的倒錯という内向型の仮面」であるが、太宰治の『道化の華』の「内向型」とも違い、「三島だけは、きれいに肉体が喪失されており、仮面は、かれの肉体を探がしだすための道具になっている」と考察しながら、「かれは、全然、あたらしいのだ。そうして、ここから、ようやく、文学の領域において、半世紀遅れ、日本の二十世紀がはじまるのである」と絶賛している[33]。また、三島がその「内向型の仮面」を被り、「ひたすらかれが、おのれの肉体を模索しているのは、理知的な、あまりに理知的な自分自身に不満をいだき、きびしい自己批判を行なっているせい」だとし、そのために「透明な論理的抒情」があふれていると評している[33]。
なお発表当時から、『仮面の告白』で異端的に描かれている性的倒錯に関する評には、「同性愛とサディズムの世界を書くつもりでいながらあくまで健康で」あるとする声もあり[34]、荒正人は、「倒錯心理などみんながそれぞれもっているもので、異常心理でもなんでもなくむしろ生理的な現象なのでしょうが、温室で育った故か、雨風にいためつけられず、二十歳すぎまで保存されていたというだけのこと」だとし[35]、青野季吉は、「この才能ある作家が解剖してみせるインポテンツの青年の心理には、正常な人間にも思ひ当る屈折が含まれてゐる」と述べている[36]。
本多秋五は『物語戦後文学史』で、『仮面の告白』を「怪作」と呼び、「三島は、戦後文学の第四年目に『仮面の告白』を発表するにおよんで、はじめて否定できぬ特異な才能として文壇の評価をえたのである」と記しつつ[3]、主人公の心理など理解し難いものがあるものの、「ウソいつわりでないもの」が感じられ、「情理ともに終始一貫して、永くその境に住し、そこから世界をも自分自身をも観察しつづけてきた人でなければ発することのできない響きが、ここにはきこえる」と評している[3]。
注釈
出典
- ^ 「第三回 性の自己決定『仮面の告白』」(徹 2010, pp. 36–49)
- ^ a b 松本徹「仮面の告白」(事典 2000, pp. 68–73)
- ^ a b c 「戦後派ならぬ戦後派三島由紀夫」(本多・中 2005, pp. 97–141)
- ^ a b c d e f g h 「I 『仮面の告白』――三島文学の磁石」(田坂 1977, pp. 13–96)
- ^ 井上隆史「作品目録――昭和24年」(42巻 2005, pp. 391–393)
- ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
- ^ a b c d 「あとがき――仮面の告白」(『三島由紀夫作品集1』新潮社、1953年7月)。28巻 2003, pp. 98–100に所収
- ^ 坂本一亀「『仮面の告白』のこと」(現代の眼 1965年4月号。文藝 1971年2月号に再掲載)。新読本 1990, pp. 42–46に所収
- ^ a b c d e 田中美代子「解題――仮面の告白」(1巻 2000, pp. 680–681)
- ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目――仮面の告白」(事典 2000, pp. 708–709)
- ^ a b c d e 「作者の言葉(「仮面の告白」)」(1949年1月13日執筆)。付録として、復刻版『仮面の告白』(河出書房新社、1996年6月)に全文掲載。27巻 2003, pp. 176–177に所収
- ^ 「第三章 問題性の高い作家」(佐藤 2006, pp. 73–109)
- ^ a b 「坂本一亀宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。38巻 2004, pp. 507–508に所収
- ^ a b c d e f 「『仮面の告白』ノート」(『仮面の告白』月報 河出書房、1949年7月)。27巻 2003, pp. 190–191に所収
- ^ 山内 2001
- ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。川端書簡 2000, pp. 59–61、38巻 2004, pp. 264–266に所収
- ^ a b 「年譜――昭和23年11月25日」(42巻 2005)
- ^ 「II 自己改造をめざして――『仮面の告白』から『金閣寺』へ 『仮面』の創造」(村松 1990, pp. 123–149)
- ^ a b 井上隆史「新資料から推理する自決に至る精神の軌跡 今、三島を問い直す意味―『仮面の告白』再読―」(続・中条 2005, pp. 18–54)。「『仮面の告白』再読」として井上 2006, pp. 13–44に所収
- ^ a b c d 「第三章 意志的情熱」(猪瀬 1999, pp. 217–320)
- ^ a b c 「式場隆三郎宛ての書簡」(昭和24年7月19日付)。38巻 2004, pp. 513–514に所収
- ^ a b 大岡昇平との対談「犬猿問答――自作の秘密を繞って」(文學界 1951年6月)。40巻 2004, pp. 62–81
- ^ a b c 井上隆史「同性愛」(事典 2000, pp. 533–534)
- ^ a b 「国語研究 作家訪問」(NHKラジオ、1964年5月29日)。『昭和の巨星 肉声の記録――大岡昇平・坂口安吾・三島由紀夫』(NHKサービスセンター、1996年)に収録
- ^ 「蜷川親善宛ての書簡」(1949年)。日録 1996, p. 120、猪瀬 1999, p. 262
- ^ a b 「扮装狂」(1944年10月の回覧学芸冊子『曼荼羅』創刊号に掲載予定だった随筆)。没後30 2000, pp. 68–73に掲載。26巻 2003, pp. 445–453に所収
- ^ 「わが思春期」(明星 1957年1月号-9月号)。遍歴 1995, pp. 7–89、29巻 2003, pp. 339–408に所収
- ^ 「第一部 土曜通信」(三谷 1999, pp. 11–133)
- ^ a b c d 「その仮面」(矢代 1985, pp. 99–114)
- ^ 瀬沼茂樹「油がのつた四人の作家」(日本読書新聞 1949年11月30日号)。佐藤 2006, p. 72に抜粋掲載
- ^ a b 神西清「仮面と告白と―三島由紀夫氏の近作」(人間 1949年10月号)。佐藤 2006, pp. 71–72、本多・中 2005, pp. 119–120に抜粋掲載
- ^ 北原武夫・林房雄・中野好夫「創作合評」(群像 1949年11月号)。佐藤 2006, p. 72、事典 2000, p. 70に抜粋掲載
- ^ a b c 花田清輝「聖セバスチャンの顔」(文藝 1950年1月号に掲載)。『花田清輝全集 第4巻』(講談社、1977年)所収。群像18 & 1990-09, pp. 110–117、研究・長谷川 2020, pp. 67–76に所収
- ^ 無著名(図書新聞 1949年7月23日号)。論集II 2001, p. 211、武内 2007, p. 112に抜粋掲載
- ^ 荒正人「異常心理でない」(図書新聞 1949年7月23日号)。論集II 2001, p. 211、武内 2007, p. 112に抜粋掲載
- ^ 青野季吉「現代史としての文学」(中央公論 1950年1月号)。論集II 2001, pp. 211–212に抜粋掲載
- ^ a b c 「第三章 三島由紀夫と森有正 2 文学者の幼児性」(伊藤 2006, pp. 103–110)
- ^ a b c d e 杉本和弘「『仮面の告白』論――園子との物語をめぐって――」(論集II 2001, pp. 204–220)
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