井上瑤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 06:32 UTC 版)
略歴
1970年代から2000年代初めまで活躍。東京都立八潮高等学校、早稲田大学卒業[注 1][4]。
フリー[2]、新企画[7]、同人舎プロダクション[8]、ピラミッド[4]、ドゥ・コーポレーション[9]、オフィス央、ぷろだくしょんバオバブ、大沢事務所[6]、東京俳優生活協同組合[5]などに所属した。
生い立ち
幼女期は目黒川の川っぺりを、泥んこになりがら過ごしていた[2]。
幼稚園の頃は学校の教師になることを夢を見ていたが、その頃に始めたモダンダンスに魅力に取りつかれて小学生になった頃にはステージダンサーになることを決める[2]。
小学中学時代は、学校から帰宅してから机にかじりついてガリ勉していたわけではなかったが成績は優秀だった[2]。その上、水泳の名手で歌唱力も十分であり、頭がいい上に、行動力に富み、人付き合いもよかったという[2]。生来から目立ちたがり屋だったことから、圧倒的に役者になりたく学芸会ではスターだった[2][4]。しかし高校時代には、井上自身でも「ありゃりゃ……」と驚くほど成績が悪くなり、体操、音楽、国語だけは5だが、あとの課目は全部2ばかりで数学、化学は、サッパリだめだった[2]。その時に自分の長所、短所を知って演劇人になることを決めた[2]。
キャリア
大学時代の放課後は、「好きな演劇を」と思い、劇研に所属していた[2]。当時の訓練は、毎日腹筋運動50回、発音・発声から滑舌法、歩き方等々、プロの俳優訓練も顔負けの猛特訓で、入会早々度肝を抜かれたが、この特訓により、演劇人としての基礎を身につけることができたという[2]。大学時代の卒論は「対人認知」で他人と接した場合、その人物をどう認識するか、という心の問題に取り組んだものだった[2]。芝居がしたかったことから教職課程は敢えてとらなかったという[2]。卒業後は早稲田小劇場に進んだが、劇団自体が主宰者を中心にガッチリ組織され、そういう雰囲気に自分の体質とまったく合わなかったことから1年で退団[2][4]。劇団退団後、ブラブラしていたところ、友人が「銀座に気軽なバーがあるから勤めてみないか」と誘いをかけてくれて、酒も飲めなかったが、ノコノコと出かけてみたという[2]。当時は店の雰囲気は気軽で、服装もジーパン姿で結構という客層もマスコミ関係の若いアーティストが多く明るく、自分の陽気な性格に「ピッタリ」と思い、ここで働くことにしていた[2]。新しい感覚のマスコミ関係者たちと接して、大いに学ぶことができ、アルバイトで始めたTBSの朝のテレビ番組『ヤング720』を皮切りに放送タレントの道へ[2][4]。当初はタレントになろうという気はなかった[4]。テレビに出はじめて3か月目ぐらいに街歩いたところ人が指さし、井上はタレントになったつもり全然ないことから、原因がわからず、気持ち悪かったという[4]。クイズ番組『ベルトクイズQ&Q』の声、『モーニングジャンボ』などTBSのテレビ番組に出演[2]。テレビに出演後に気付いたことは、視聴者に顔を知られると、街を歩くのが不自由になることだった[2]。その時に「テレビだ!」とハタと気づいたワケで以後、声の仕事に切りかえた[2][4]。デモテープを制作して、紹介されていた十社ほどの番組製作会社に持ち込み、CM、DJの仕事が舞い込み、声優としての活動を始める[2]。
初レギュラーは『シートン動物記 くまの子ジャッキー』のアリス役[2][10]。当初、アニメの仕事は苦手であり、アテレコのある日は朝から腹が痛くなっていたという[2]。アニメの売れっ子になった後も「絵は演技をしてくれないから、こちらが懸命に演じていかなければならないので大変、とてもエネルギーの消耗する仕事」と言っていた[2]。それだけに、絵のキャラクターに近づく努力をしていたところ、絵のほうが逆にこちらにぐんぐん接近してくるように感じることがあり、その時には、嬉しくなっていたという[2]。
声優活動以外にも自分の出演番組の台本を書いていたことから、放送作家の仕事が舞い込むようになり、1980年代初めまで、『お笑い頭の体操』『相性診断ピッタンコ』などの構成台本や『クイズダービー』の問題作成の仕事を行なった[4]。同時期には西田堯の下でモダンダンスを学び、国立劇場、日生劇場の舞台に立つ。また「レイ・ホシコ」という名の占い師という顔も持つなど、多才ぶりを発揮していた。
晩年・死去
2000年放映開始の『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』に獏良了役でキャスティングされていたが、体調不良のため41話までで降板。同役は松本梨香が最終回まで継いだ。
2003年2月28日9時29分、東京都目黒区の病院で肺水腫のため死去、56歳没[3]。葬儀には『機動戦士ガンダム』で井上の担当したキャラクターであるキッカ・キタモトとハロの人形が飾られた。最後の声優参加は、ニンテンドーゲームキューブ用ゲーム『機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡』のセイラ・マスである。このゲームには、エンディングにスタッフからのメッセージが表示され、ゲーム発売前に亡くなった井上への追悼の言葉が含まれている。喪主は実弟が務めた。
注釈
シリーズ一覧
- ^ 第1期(1989年)、第2期『熱闘編』(1991年)
- ^ 第1作(1986年)、第2作『リヨン伝説フレア2 禁断の惑星』(1990年)
- ^ 第1作(1981年)、第2作『II 哀・戦士編』(1981年)、第3作『III めぐりあい宇宙編』(1982年)
- ^ 『接触篇』(1982年)、『発動篇』(1982年)
- ^ 『GGENERATION』(1998年)、『ZERO』(1999年)、『F』(2000年)、『F.I.F』(2001年)、『NEO』(2002年)、『SEED』(2004年)、『SPIRITS』(2007年)、『3D』(2011年)、『GENESIS』(2016年)
- ^ 『コンプリートボックス』(1999年)、『GC』(2004年)、『XO』(2006年)、『APORTABLE』(2008年)、『Operation Extend』(2013年)
出典
- ^ a b 朝日新聞 2003年3月6日39面「訃報 井上瑤さん」(朝日新聞縮刷版 2003年3月号p.327)朝日新聞社
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 勝田久「file No.27 井上瑤」『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』駒草出版、2017年2月22日、286-292頁。ISBN 978-4-905447-77-1。
- ^ a b c “井上瑤さん(声優)が肺水しゅのため死去”. 日刊スポーツ. オリジナルの2003年3月29日時点におけるアーカイブ。 2020年2月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n アニメージュ編集部「井上瑤 3つの顔を持つ"マルチ多彩人間"」『アニメ声優24時』徳間書店、1981年7月31日、171-176頁。
- ^ a b 掛尾良夫 編「女性篇」『声優事典 第二版』キネマ旬報社、1996年3月30日、352頁。ISBN 4-87376-160-3。
- ^ a b c 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、23頁。
- ^ 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、71頁。
- ^ 「'80→'81総括と展望・アニメ白書 第1章―80年のアニメ界」『アニメージュ』1981年2月号、徳間書店、1981年1月、25頁。
- ^ 「勝田久の日本声優列伝」『マイアニメ』1983年9月号、秋田書店、1983年8月、164頁。
- ^ a b 小川びい『こだわり声優事典'97』徳間書店〈ロマンアルバム〉、1997年3月10日、18-19頁。ISBN 4-19-720012-9。
- ^ 「南洋じゃ美人」井上瑤著より
- ^ 「セイラさん、おかえりなさい 井上瑤が肌で感じた日本と外国の差!1年3か月のインド旅行体験報告記」『アニメージュ』1985年10月号
- ^ 古谷徹「第二章 「ニュータイプな声優」---アムロを支えてくれた」『ヒーローの声 飛雄馬とアムロと僕の声優人生』角川書店、2009年7月25日、ISBN 978-4-04-715275-5、68頁。
- ^ a b 池田秀一「第5章 去り逝く仲間たちへ…… 愛する妹・井上瑤ちゃんへ」『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』ワニブックス、2007年1月7日、ISBN 4-8470-1700-5、176・178-184頁。
- ^ 青春ラジメニア声優バケツリレー1990年10月13日放送より
- ^ “『とっとと鳥取トリッキーボーイズ』改めての感謝の気持ち”. 2021年8月13日閲覧。
- ^ 『ガンダムエース』[いつ?]での古谷徹の追悼文より
- ^ “作品データベース”. タツノコプロ. 2022年11月26日閲覧。
- ^ “シートン動物記 くまの子ジャッキー”. 日本アニメーション. 2023年5月27日閲覧。
- ^ “宇宙魔神ダイケンゴー コンプリートDVD”. 東映ビデオオフィシャルサイト. 東映ビデオ. 2023年4月16日閲覧。
- ^ “作品データベース 科学忍者隊ガッチャマンII”. タツノコプロ. 2022年12月8日閲覧。
- ^ “CHARACTER”. アニメ 無敵鋼人ダイターン3 公式サイト. サンライズ. 2022年10月25日閲覧。
- ^ “STAFF & CAST”. 機動戦士ガンダム公式Web. サンライズ. 2022年10月25日閲覧。
- ^ “こぐまのミーシャ”. 日本アニメーションOFFICIAL SITE. 日本アニメーション. 2023年6月25日閲覧。
- ^ “闘士ゴーディアン”. メディア芸術データベース. 2016年11月17日閲覧。
- ^ “「未来ロボ ダルタニアス 一挙見Blu-ray」特集”. 東映ビデオオフィシャルサイト. 東映ビデオ. 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b “CHARACTER ソロシップをとりまく人々”. 伝説巨神イデオン. サンライズ. 2022年10月25日閲覧。
- ^ “ゴールドライタン”. メディア芸術データベース. 2016年11月4日閲覧。
- ^ “おそ松くん”. スタジオぴえろ 公式サイト. ぴえろ. 2022年7月31日閲覧。
- ^ “ドクター秩父山”. 株式会社 葦プロダクション 公式サイト. 葦プロダクション. 2022年11月10日閲覧。
- ^ “雲のように風のように”. スタジオぴえろ 公式サイト. ぴえろ. 2023年4月12日閲覧。
- ^ “マクロス7”. 株式会社 葦プロダクション 公式サイト. 葦プロダクション. 2022年11月26日閲覧。
- ^ “地球物語 テレパス2500”. メディア芸術データベース. 2016年8月18日閲覧。
- ^ “おそ松くん スイカの星からこんにちはザンス!”. スタジオぴえろ 公式サイト. ぴえろ. 2016年5月10日閲覧。
- ^ “スタッフロール”. 機動戦士ガンダムオンライン. バンダイナムコオンライン. 2024年4月19日閲覧。
- ^ "『マクロス7』の登場キャラクターを公開!". 「マクロス -Shooting Insight-」公式WEBサイト. ブシロード. 18 October 2023. 2023年10月18日閲覧。
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