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井上甚三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 09:20 UTC 版)

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井上 甚三郎
時代 江戸時代後期
生誕 不明
死没 不明
幕府 江戸幕府 一橋家家臣
主君 徳川斉昭慶喜
水戸藩 藩士
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井上 甚三郎(いのうえ じんざぶろう)は、江戸時代後期の水戸藩士。徳川慶喜の傅役を務めた。

概要

藩主徳川斉昭に仕え、その命で斉昭七男の七郎麻呂の傅役となった[注釈 1][1]弘化4年(1847年)七郎麻呂に一橋家相続の命が下ると昭致に従って水戸より江戸に出府し[2]、同年七郎麻呂(慶喜)が一橋家を相続すると引き続き教育役・側近監督として仕えた[3][4]

剛直な人柄として知られた。監督する慶喜の近臣たちが慶喜と勝負をする時は、慶喜が慢心を覚えないよう決してわざと負けてはならないと言い含めていたという[3]。またある時、慶喜が近臣たちと遊んでいた打毬で、密かに毬を隠し持って不正を働こうとしていることに気付くと、ざるいっぱいの毬を毬門に投げ込んで不正を無効化し、直言で窘めたという[3][4]

登場作品

脚注

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注釈

  1. ^ 斉昭から甚三郎へ、庶子である七郎麻呂への教育方針を訓告する文章が残っている。

出典

  1. ^ 渋沢 1967, p. 12.
  2. ^ 渋沢 1967, p. 50.
  3. ^ a b c 渋沢 1968, p. 292.
  4. ^ a b 徳川 1967, p. 3.

参考文献

  • 渋沢栄一 『徳川慶喜公伝』 1巻 平凡社〈東洋文庫〉、1967年。 
  • 渋沢栄一 『徳川慶喜公伝』 2巻 平凡社〈東洋文庫〉、1968年。 
  • 徳川慶喜、渋沢栄一編 『昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談』 平凡社〈東洋文庫〉、1967年。 



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