三宅康和 三宅康和の概要

三宅康和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 08:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
三宅 康和
時代 江戸時代後期
生誕 寛政10年8月9日1798年9月18日
死没 文政6年2月8日1823年3月20日
改名 元吉(幼名)、康和
戒名 篤巌院殿源底透徹大居士
墓所 愛知県田原市北番場の霊巌寺
官位 従五位下、備中守、対馬
幕府 江戸幕府 大坂加番
三河国田原藩
氏族 三宅氏
父母 父:三宅康友
母:大岡忠喜の娘・美濃(黙笑院)
兄弟 於佐恵(加藤伝兵衛室)、亀吉、康和康明
友信
養子:康明
テンプレートを表示

生涯

寛政10年(1798年)8月9日、第8代藩主・三宅康友の次男として江戸で生まれる。文化3年(1806年)2月に兄の亀吉が死去したため、4月25日に世子となった。文化6年(1809年)、父が死去したため家督を継いだ。

文化7年(1810年)6月から藩財政再建などを中心とした藩政改革に取り組み、9月には藩校・成章館を創設し、文化9年(1812年)や文政元年(1818年)10月などには5ヵ年にわたる倹約令を出すなどしたが、日光祭祀奉行や江戸城和田倉門番などにおける出費、さらに康和自身が病弱だったため、改革は失敗した。文化12年(1815年)12月16日に従五位下・備中守に叙位・任官し、文化14年(1817年)9月に対馬守に遷任している。

文政6年(1823年)2月8日、江戸で死去した。享年26。跡を弟で養子の康明が継いだ。

系譜

父母

養子





「三宅康和」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三宅康和」の関連用語

三宅康和のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三宅康和のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三宅康和 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS