ワシントン・タイムズ
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歴史
創刊
『ワシントン・タイムズ』は1982年に、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズによって創刊された。同社は、韓国、日本、南米の新聞社やUPI通信社を保有する、統一教会関連の国際メディア複合企業である[24]。統一教会の古参幹部である朴普煕が創刊時の社長兼会長を務めた[25]。統一教会教祖の文鮮明は、ホロコーストについての著書があるラビで大学教授のリチャード・L・ルーベンスタインに理事を依頼した[26]。ジェームズ・R・ウィーランが初代編集長兼発行人となった[27]。
『ワシントン・タイムズ』が創刊された当時、アメリカの首都ワシントンD.C.における主要な日刊紙は、リベラルで民主党寄りの『ワシントン・ポスト』一紙しかなかった。マッシモ・イントロヴィーニャは、2000年の著書『統一教会』の中で、ポスト紙は「アメリカで最も反統一教会的な新聞」であったと述べている[28]。2002年、タイムズ紙の創刊20周年記念式典で、文鮮明は「ワシントン・タイムズには、アメリカの人々に神について知らせる責任がある」「ワシントン・タイムズは、神についての真実を世界に広める道具となるだろう」と述べた[29]。
『ワシントン・タイムズ』は、ワシントンD.C.の「第2の新聞」と呼ばれた保守系新聞の『ワシントン・スター』が経営難で廃刊した翌年に創刊された。社員の大半はスター紙の出身者だった。創刊時の記者は125名で、その25%が統一教会の信者だった[30]。
創刊当時のアメリカのブランケット判の新聞では珍しく、1面をフルカラーで印刷した。それ以降現在まで1面をフルカラーにしており、他の面にもフルカラーの部分がある。また、ポスト紙よりも手に付きにくいインクを使用している[31]。
1980年代、タイムズ紙の記者たちは、南アフリカの公民権運動家で投獄中のネルソン・マンデラを訪ねた。マンデラは、自伝『自由への長い道』の中で、タイムズ紙の記者について、「彼らは、私の意見を知りたいというよりも、私が共産主義者でテロリストであることを証明しようとしているように見えた。彼らの全て質問はその方向に向けられたものだった。私が共産主義者でもテロリストでもないと繰り返すと、彼らは、マーティン・ルーサー・キング牧師は暴力に訴えたことがないと主張して、私がキリスト教徒でもないことを示そうとした」と書いている[32][33]。
スミス・ヘンプストーンが短期間編集長を務めた後、1985年から1991年まで、『ニューズウィーク』出身のアルノー・ド・ボルシュグラーブが編集長を務めた[34]。ボルシュグラーブは、記者の精力的な取材を奨励するとともに、異例のジャーナリズム的決定を下すことでも知られていた。ボルシュグラーブの在任中、タイムズ紙は、ニカラグアの反政府勢力「コントラ」のために募金活動を行い、ナチスの戦争犯罪者の逮捕につながる情報に報奨金を提供した[35][36]。
1985年、ニューズ・ワールド社はタイムズ紙の姉妹誌として、週刊ニュース誌『インサイト・オン・ザ・ニュース』の発行を開始した。インサイト誌の報道は、論争を招くこともあった[37][38][39][40]。
ロナルド・レーガンが大統領在任中に毎日目を通した新聞としても知られており[41]、タイムズ紙は戦略防衛構想を始めとする、レーガン政権の強硬な対ソ連政策を後押しした。1997年、レーガンは「アメリカ国民は真実を知っている。あなた方、『ワシントン・タイムズ』にいる私の友人がそれを伝えてくれたのだ。それは常に大衆に支持されるものであるとは限らなかった。しかし、あなた方の声は大きく力強いものだった。私と同じように、あなた方は今世紀で最も重要な10年紀の始まりにワシントンに来た。私たちは一緒に、袖を捲って仕事を始めた。そして、そう、私たちは冷戦に勝利したのだ」と語った[42]。
ウェスリー・プルーデン編集長時代(1992年-2008年)
ウェスリー・プルーデンは、特派員からマネージング・エディターを経て、1991年に編集長に就任した[43]。プルーデンの編集長在任中、同紙は保守的で排外主義的な姿勢を強く打ち出した[21]。
1992年、タイムズ紙の記者で、後に国連世界食糧計画の事務局長となるジョゼット・シーランは、西側のニュースメディアで唯一、北朝鮮の金日成にインタビューを行った[44]。当時、ポスト紙の発行部数80万部に対して、タイムズ紙の発行部数はその8分の1の10万部で、購読者の3分の2は両紙とも購読していた[45]。1994年、全米向けのタブロイド判週刊紙を創刊した[46]。
ジョージ・H・W・ブッシュは大統領在任中、タイムズ紙を始めとする統一教会の活動がアメリカの外交政策の支援のために政治的影響力を持つことを推奨した[12]。1997年、『ワシントン・レポート・オン・ミドル・イースト・アフェアーズ』は、タイムズ紙とその姉妹紙『ミドル・イースト・タイムズ』について、イスラム教と中東に関して客観的で有益な報道を行っていると評価する一方で、概してイスラエル寄りの編集方針を批判した。また、これらの新聞は宗教団体が所有しているため、アメリカ国内の親イスラエル圧力団体の影響を受けにくいと指摘した[47]。
2003年、ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門のファイナリストにノミネートされた[48]。
2004年、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニスト、デイヴィッド・イグネイシャスは、統一教会幹部の郭錠煥がタイムズ紙に対し「国連などの国際組織を支援し、世界平和と宗教間の理解を求める運動をすること」と望んでいると報じた。イグネイシャスは、このことがプルーデン編集長やタイムズ紙の一部のコラムニストに困難をもたらしたとしている。イグネイシャスは、統一教会の北朝鮮に対する融和的な態度(当時は共同事業も行っていた)や、アメリカとイスラム世界との間の理解促進という郭錠煥の主張なども論点に挙げている。イグネイシャスは、連邦議会やジョージ・W・ブッシュ政権の保守派は、郭錠煥よりもプルーデン編集長の方を支持するだろうと予測した[49]。
2006年、文鮮明の息子で、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ社の社長兼CEOの文顕進は、マネージング・エディターのフランシス・クームズを解雇した。クームズは人種差別的な論説を非難されており、また、タイムズの他の従業員から人種差別的、性差別的な発言をしたと訴えられていた[22]。
ジョン・ソロモン編集長時代(2008年-2015年)
2008年1月、プルーデンが編集長を退任し、後任にジョン・F・ソロモンが就任した。ソロモンはAP通信社を経て、直前まで『ワシントン・ポスト』で調査報道と複合メディア開発の責任者を務めていた[50][51][52]。ソロモンの編集長就任から1か月以内に、タイムズ紙はスタイルガイドの一部を変更し、メディアの主流となりつつあるものに適合させた。例えば"illegal immigrants"(不法移民)や"gay"(ゲイ)と言った言葉の使用をやめ、それぞれ"illegal aliens"(不法入国者)や"homosexual"(同性愛者)のような「より中立的な用語」を使うようにすると発表した。また、ヒラリー・クリントン上院議員を指すのにファーストネームの「ヒラリー」と呼ぶのを止め、同性婚(gay marriage)の"marriage"を引用符で囲む(「いわゆる同性婚」のような意味合いで、それを認めないとする意図を暗に示す)のも止めた。これらの方針変更は、一部の保守派からの批判を招いた[53]。『プロスペクト』誌は、タイムズ紙が政治的に穏健であるように見えるのは、国連や北朝鮮をめぐる意見の違いによるものだとし、「共和党の右派は最も献身的なメディアの同盟者を失いつつあるのかもしれない」と述べた[54]。
2010年7月、統一教会は、タイムズ紙の方向性に抗議し、タイムズ紙との関係強化を促す書簡を発表した[55]。同年8月、より統一教会に近いグループに売却する契約が成立した。同年1月に編集長に就任したサム・ディーリーは、これはタイムズ紙の編集スタッフにとっては歓迎すべきことだと述べた[56]。同年11月、文顕進と元編集者のグループが、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ社からタイムズ紙を1ドルで購入した。これにより、新聞を完全に廃刊すると脅されていた文家の親子の対立に終止符が打たれた[57]。2011年6月、『オクラホマン』紙の元編集者エド・ケリーが編集長に就任した[58][59]。
2012年、ダグラス・D・M・ジューが上級役員・社長・会長を退任し[60]、タイムズの社長であるトム・マクデビットが会長に就任し、ラリー・ビーズリーが新たに社長兼CEOに就任した[61]。
2013年、タイムズ紙は、ヘリング・ネットワークスと提携して、新たな保守系ニュースチャンネル「ワン・アメリカ・ニュース・ネットワーク」(OAN)を設立し、2013年中頃から放送を開始した[62]。
2013年、タイムズ紙は、オピニオン・エディターとして全米ライフル協会元会長、アメリカ保守連合会長のデイヴィッド・キーンを採用した[63]。同時期に、ジョン・ソロモンが編集長に復帰し、コンテンツ・ビジネス開発担当副社長も務めた[64][65]。ソロモンの在任期間は、収益性を重視していたことが特徴である。ソロモンは、2015年12月にサーカニュースに移籍した[66]。
2019年11月23日、統一教会の機関誌『世界日報』を発行する世界日報社 (本社:東京都中央区) は、タイムズ紙と連携して、同紙の日本語版のWebサイト「ワシントン・タイムズ・ジャパン」(WTJ)を開設した[67]。エグゼクティブ・ディレクターとして、早稲田大学公共政策研究所招聘研究員の渡瀬裕哉が就任した[67]。
2020年の大統領選挙
オピニオン・エディターのチャールズ・ハートは、ワシントンD.C.におけるドナルド・トランプの初期からの支持者の一人だった[68]。2018年、ハートはトランプを、ロナルド・レーガン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マーガレット・サッチャー、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世とともに「自由の偉大なチャンピオン」の中に含めた[13]。2016年の大統領選挙においてはタイムズ紙は特定の候補を支持しなかったが、2020年の選挙戦ではトランプを支持した[69]。
トランプ支持派による連邦議会議事堂襲撃事件の後の2021年1月6日、タイムズ紙は、顔認証システム企業のXRVisionが同社の技術を使用して、暴徒の中にいたANTIFAのメンバー2人を特定したと主張する、退役軍人によるものとする虚偽の記事を掲載した[70]。XRVision社はすぐにこれを否定し、タイムズ紙に対し記事掲載の中止を求めた。同社は、実際に自社の技術によって2人のネオナチとQアノン陰謀論の信奉者を特定したが、それはタイムズ紙が主張するような退役軍人のために行ったわけではないと声明した。翌1月7日、この記事はタイムズ紙のウェブサイトから削除され、訂正版に差し替えられた[71]。記事の訂正前には、大統領選挙の集計作業に関する議論において、アンチファが襲撃に加担した証拠としてマット・ゲイツ下院議員がこの記事を引用し、ソーシャルメディアで広く共有された[71]。
財務状況
1991年、文鮮明はワシントン・タイムズの創刊に9億ドルから10億ドルを使ったと語った[72]。2002年までに、文鮮明はタイムズ紙のために17億ドルから20億ドルを使ったと言われている[29][73]。2009年11月、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ワシントン・タイムズ紙が統一教会からの資金提供を受けられなくなり、発行を中止するか、オンライン版のみの発行にする必要があるかもしれないと報じた[74]。同年中に、370人の従業員のうちの40%を解雇し、購読サービスを停止して、その代わりにワシントンD.C.の一部地域(政府機関など)で紙面を無料配布した。しかし、同紙が運営するウェブサイト"theconservatives.com"は継続され、3時間のラジオ番組"America's Morning News"の放送も継続された[75]。タイムズ紙は、統一教会からの補助に頼らなくても済むように、週刊版を休刊するなどした[76]。2009年12月31日、タイムズ紙はフルサービスの新聞ではなくなると発表し、地域面とスポーツ面を廃止した[77][78]。2011年3月、解雇したスタッフの一部を再雇用し、スポーツ面、地域面、生活面を復活させると発表した[79]。2015年9月には、創刊以来33年で初めて月単位で黒字となった[4][80]。
2020年のCOVID-19パンデミックの際、タイムズ紙は、給与保護プログラムの一環で、連邦政府が支援する100万ドルから200万ドルの中小企業向け融資を受け、91人の従業員の雇用を維持した[81][82]。
固有名詞の分類
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