マルセル・プルースト 主要な著書

マルセル・プルースト

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主要な著書

楽しみと日々(Les Plaisirs et les Jours
1896年に出版された最初の著作で、短編小説や散文・韻文詩、人物描写、断章などからなる創作集[26]。タイトルはヘシオドスの『労働と日々』をもじっている[26]。マドレーヌ・ルメール夫人の水彩による挿絵と、レイナルド・アーンのピアノ曲、およびアナトール・フランスによる序文が付けられ、1893年にチフスで急逝したウィリー・ヒースに捧げると付されている[5][26]。出版費用はプルースト自身が出しており、一種の自費出版である[26]
収められている作品の大部分は同人誌『饗宴フランス語版』や文学雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』に発表されていたもので(ここで初めて発表された「若い娘の告白」もあり、収録されなかった「夜の前に」もある)、象徴派的な色合いが濃く、憂鬱、悔恨、夢想、忘却、死、愛、官能などの語句が頻繁に出て来る[26]。構成に工夫があり、時系列順ではなく短編小説で他の作品を挟み込むような形で、また作品の主題も円環をなすように配列されている[26][57]
ジャン・サントゥイユ(Jean Santeuil
1895年から1899年頃にかけて書かれた自伝的小説。これは断片的な草稿に留まったまま中断されて日の目を見ず、プルーストの死後1952年にベルナール・ド・ファロワの編集によって出版された[27]。書かれている主題・エピソードは『失われた時を求めて』と重複するものが多く含まれるが、プルーストの実生活をより直接反映したものとなっており、また作者自身の願望、夢も多く現れている[27]。文体はまだ『楽しみと日々』のそれや17-18世紀の偉大な著述家の模倣に留まっており、いまだ『失われた時を求めて』のような堅牢な文体を示していない[58]
ラスキンの翻訳
1890年代後半からジョン・ラスキンに興味を抱いていたプルーストは、そのラスキン研究の成果として1904年にラスキンの著書『アミアンの聖書』、1906年に『胡麻と百合』の翻訳を、長大な序文と膨大な注釈をつけて刊行している[28][29]。ただしプルースト自身は外国語(英語)がほとんどできず、これらの訳は外国語に堪能であった母親ジャンヌが行なった下訳を元に、イギリス人の友人マリー・ノードリンガー(レイナルド・アーンの従妹)や[注釈 3]キップリングの翻訳家ロベール・デュミエールフランス語版らの助言を乞いつつ文章を整えて作られたものであった[29]
しかしプルーストはラスキンを通じて、ものの色彩や形態、感情の微妙なニュアンスを識別する能力[29]、それらをフランス文学においては異例な複雑な統語法による長大な文章に定着させる技術を学ぶという収穫を得た[29][59]
模作と雑録(Pastiches et Mélanges
物まねが得意であったプルーストはまた文体模写(パスティッシュ)にも才能を発揮しており、1908年から1909年にかけ当時ロンドンで起きた「ルモワーヌ事件」と呼ばれる詐欺事件(ルモワーヌというフランス人技師がダイヤモンドを人工的に作る方法を発明したと称してダイヤモンド鉱山会社から金を騙し取ったもの)を題材に、フランスの様々な古典作家の文体を真似た戯文を『フィガロ』紙に発表した[60]
対象となった作家はバルザックミシュレゴンクール兄弟フローベールサント・ブーヴなど8人で、プルーストはさらに多数の作家の文体模写を加えて大規模な模作集を作る計画も持っていたが実現せず、上記の作家にサン・シモン1人を加えた内容のものが1919年に刊行の『模作と雑録』に収録された[60][61]
サント=ブーヴに反論する(Contre Sainte-Beuve
1908年ころ、上述の模作をきっかけにして、プルーストは批評家サント・ブーヴに対する批判を中心とした評論作品を書こうと思い立った[33][60]。サント=ブーヴはフローベールなどと同時代の人物だが、彼は文学作品とその作者の日常的な実人生や人となりとを不可分のものと考えて批評を行い、バルザックやスタンダール、フローベールなど、プルーストが敬愛していた作家たちをその観点から低く評価していた[33]
プルーストはこれに対して、作家の外面・表層的な自我と、より深層にある自我とは別のものだという観点から、作家の外的生活を離れて作品と向き合うという文学観を提示することで、これらの作家を低評価から救おうとしたのである[33]。プルーストはこのエッセイ評論と同時に小説断片も書き進めており、当初の予定では前半を小説、後半を評論としてまとめた1つの作品「サント=ブーヴに反論する――ある朝の思い出」(仮題)にするつもりであった[33]
しかし出版先を探しながら書き直していくうちに構成が変わっていき、これが『失われた時を求めて』へと発展していくことになった[33]。従って「サント=ブーヴに反論する」というタイトルの著作が生前に刊行されたわけではないが、1954年に評論部分の未定稿をもとにした同タイトルの著作が研究者ベルナール・ド・ファロワにより刊行されている[62]
失われた時を求めてÀ la Recherche du temps perdu
小説と評論の2部構成で考えられていた上述の「サント=ブーヴに反論する――ある朝の思い出」は、出版社に断られるなどしながら改稿を続けるうち次第に構成変更と加筆が繰り返されて、やがて『失われた時を求めて』の題を持つ壮大な自伝的小説へと変貌していった[33]。1913年11月に第1篇(第1巻)『スワン家のほうへ』がグラッセ社より刊行された時にはまだ3篇構成の予定だったこの作品は[33]、前述したようなアゴスチネリの事件などを経てさらに大幅な加筆がなされ、最終的に7篇の構成、総計3,000ページにわたる長大な作品となった[63]
作品はプルーストの分身である語り手の半生記であるとともに、当時のパリの社交界を始めとする風俗が、男女の恋愛や芸術観などとともに克明に綴られており、語り手が「無意志的記憶」の作用に導かれて自身の芸術的使命を自覚し、それまでの多くの挿話や見聞の全て(自身の生涯)が小説の素材であることを発見するというところで終結する[8]
最終巻(第7篇)『見出された時』が刊行されたのは、プルーストの死後の1927年であった。第5篇の修正作業の半ばでプルーストが亡くなったために、第5篇の途中以降は不完全な未定稿のままで終わってしまったが、弟ロベールフランス語版や批評家ジャック・リヴィエールらが遺稿を整理して刊行を引継ぎ出版完結となった[1][5][33]

注釈

  1. ^ 年代的にプルーストと同時代人の日本の作家は、明治大正時代期の森鷗外夏目漱石となる[1][4]
  2. ^ セーヌ河の左岸(南側)には、ソルボンヌの学生街を中心とする革新的な気風であった[18]
  3. ^ マリー・ノードリンガーは、プルーストに日本の水中花を贈った人物でもある[28]。日本の水中花は『失われた時を求めて』の第1篇で主人公がマドレーヌの味覚から過去の記憶が鮮やかに蘇る描写において比喩に使われている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 「第一章 プルーストの位置」(鈴木 2002, pp. 17–34)
  2. ^ 「はしがき」(石木 1997, pp. 3–6)
  3. ^ 「はじめに」(鈴木ラジオ 2009, pp. 3–5)
  4. ^ a b c d e f g 「第一回 プルーストの生涯と小説史における位置」(鈴木ラジオ 2009, pp. 11–21)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「年譜」(鈴木 2002, pp. 235–247)
  6. ^ 「第二部 プルーストの作品と思想 第二章『失われた時を求めて』 おわりに」( 石木 1997, pp. 187–191)
  7. ^ a b c 「第二部 プルーストの作品と思想 第二章『失われた時を求めて』 三 作品研究――その一」( 石木 1997, pp. 139–157)
  8. ^ a b c 「第二回 『コンブレ―』に始まる文学発見の物語」(鈴木ラジオ 2009, pp. 22–35)
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「第一章 プルーストの生涯 第一章 幼年時代 一 両親の家系とその生活環境」(石木 1997, pp. 15–20)
  10. ^ a b c 「プルースト年譜」( 石木 1997, pp. 197–203)
  11. ^ a b c d 「口絵写真」(鈴木ラジオ 2009
  12. ^ チリエ 2002, pp. 178–179
  13. ^ チリエ 2002, p. 31
  14. ^ ホワイト 2002, p. 17
  15. ^ a b c d 「第二章 虚構の自伝」(鈴木 2002, pp. 35–50)
  16. ^ a b c 「第一章 プルーストの生涯 第一章 幼年時代 二 《黄金の幼年期》と喘息の発病」(石木 1997, pp. 20–24)
  17. ^ a b c d e 「第一章 プルーストの生涯 第二章 リセ時代 二 文学の世界に」(石木 1997, pp. 31–33)
  18. ^ a b c d e f g h 「第一章 プルーストの生涯 第二章 リセ時代 一 さまざまな出会い」(石木 1997, pp. 25–31)
  19. ^ ホワイト 2002, pp. 46–47
  20. ^ ホワイト 2002, pp. 28–30
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 「第一章 プルーストの生涯 第三章 青年時代 二 社交界と彼をめぐる人間模様」(石木 1997, pp. 38–54)
  22. ^ a b c d e f 「第一章 プルーストの生涯 第三章 青年時代 一 職業への模索」(石木 1997, pp. 34–37)
  23. ^ チリエ 2002, pp. 101–102
  24. ^ ホワイト 2002, pp. 44, 49
  25. ^ チリエ 2002, pp. 118–121
  26. ^ a b c d e f g 「第二部 プルーストの作品と思想 第一章 初期の作品 一『楽しみと日々』」(石木 1997, pp. 91–95)
  27. ^ a b c 「第二部 プルーストの作品と思想 第一章 初期の作品 二『ジャン・サントゥイユ』」(石木 1997, pp. 96–102)
  28. ^ a b c d e 「第一章 プルーストの生涯 第三章 青年時代 三 ラスキンへの傾倒」(石木 1997, pp. 54–60)
  29. ^ a b c d e 「第二部 プルーストの作品と思想 第一章 初期の作品 三 ラスキンの翻訳」(石木 1997, pp. 102–106)
  30. ^ a b c 「第一章 プルーストの生涯 第三章 青年時代 四 母親の死がもたらしたもの」(石木 1997, pp. 60–63)
  31. ^ a b c d e f g h i 「第一章 プルーストの生涯 第四章 創作の時代 一 本格的な創作活動へ」(石木 1997, pp. 64–74)
  32. ^ a b c d e f 「第五回 『花咲く乙女たち』とエルスチール」(鈴木ラジオ 2009, pp. 62–74)
  33. ^ a b c d e f g h i j k l 「第二部 プルーストの作品と思想 第二章『失われた時を求めて』 二 作品の生い立ち」( 石木 1997, pp. 124–139)
  34. ^ a b c 「第九章 アルベルチーヌまたは不可能な愛」(鈴木 2002, pp. 175–194)
  35. ^ a b c d e f g h 「第一章 プルーストの生涯 第四章 創作の時代 二 文壇への足がかりを築く」(石木 1997, pp. 74–82)
  36. ^ a b c d e f g 「第一章 プルーストの生涯 第四章 創作の時代 三 栄光と死」(石木 1997, pp. 82–88)
  37. ^ チリエ 2002, pp. 24–25
  38. ^ ホワイト 2002, p. 101
  39. ^ チリエ 2002, pp. 20–22
  40. ^ チリエ 2002, pp. 135–138
  41. ^ チリエ 2002, pp. 138–140
  42. ^ チリエ 2002, pp. 163–164
  43. ^ チリエ 2002, pp. 278–279
  44. ^ チリエ 2002, pp. 280–284
  45. ^ チリエ 2002, pp. 284–286
  46. ^ チリエ 2002, pp. 286–287
  47. ^ 「第五章 フォーブール・サン=ジェルマン」(鈴木 2002, pp. 77–102)
  48. ^ 「第六回 『ゲルマントの方』と空しい才気」(鈴木ラジオ 2009, pp. 75–88)
  49. ^ ホワイト 2002, p. 49
  50. ^ 「第三回 スワンの恋とスノビズム」(鈴木ラジオ 2009, pp. 36–48)
  51. ^ チリエ 2002, p. 201
  52. ^ チリエ 2002, pp. 201–202
  53. ^ チリエ 2002, p. 206
  54. ^ 「第九回 ユダヤ人の肖像」(鈴木ラジオ 2009, pp. 117–131)
  55. ^ a b ホワイト 2002, pp. 9–10
  56. ^ ホワイト 2002, pp. 10–11
  57. ^ チリエ 2002, pp. 208–209
  58. ^ チリエ 2002, p. 212
  59. ^ ホワイト 2002, p. 84
  60. ^ a b c 「第二部 プルーストの作品と思想 第一章 初期の作品 四 パスティッシュ(模作)」(石木 1997, pp. 106–114)
  61. ^ チリエ 2002, pp. 215–216
  62. ^ 「第一章 序曲『不眠の夜』」(吉川 2004, pp. 1–36)
  63. ^ 「第二部 プルーストの作品と思想 第二章『失われた時を求めて』 一 梗概」(石木 1997, pp. 115–124)
  64. ^ チリエ 2002, p. 321
  65. ^ チリエ 2002, pp. 320–321
  66. ^ チリエ 2002, p. 323
  67. ^ チリエ 2002, p. 325
  68. ^ 回想記に、セレスト・アルバレ『ムッシュー・プルースト』三輪秀彦訳(早川書房、1977年)がある






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