マカリオス3世 マカリオス3世の概要

マカリオス3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 21:59 UTC 版)

マカリオス3世
Μακάριος Γ

マカリオス3世。リヤサ(ラソ)を着用し、クロブークをかぶり、パナギアをさげている。

任期 1960年8月16日1974年7月15日
任期 1974年12月7日1977年8月3日

出生 1913年8月13日
イギリス
キプロス保護領パフォス地区、パナギア
死去 1977年8月3日
キプロスニコシア地区ニコシア
政党 無所属

生涯

イギリス領キプロス島西部・パフォス地区の小さな村で生まれた。13歳で修道院入りし、1942年アテネ大学を卒業。戦後ボストン大学に留学し、ラルナカ主教に叙せられる。

1950年9月18日にキプロス正教会大主教に選ばれるが、その頃からイギリスによるキプロス統治への反発とギリシャへの併合を求めるエノシス運動が活発化。更に強硬派はエオカ英語版ギリシア語版トルコ語版(キプロス戦士民族機構)を結成し、ゲオルギオス・グリバス指導下の下で武装闘争を繰り広げていく。このためイギリスは1955年にエノシスの指導者と目されていたマカリオスをセーシェル諸島へと追放、運動の鎮静化を図るがトルコ系住民も反英に傾き独立・自治を求めるなど事態は一層の混迷を深める。追放中、マカリオスはそれまでのギリシャへの統合から独立へと志向を変え、国際連合総会で独立を訴えた。結局1960年にキプロスは独立を果たし、マカリオスは初代の大統領に選出される。

独立直後はトルコ系のファーズル・キュチュク副大統領と権限を分担しギリシャ系とトルコ系の融和を図ったが、1963年に憲法改正を行いトルコ系の権限を弱めようとした。これに反対したトルコ系と更なる権限強化を要求するギリシャ系が衝突、翌年には国際連合キプロス平和維持軍が派遣される。また、EOKAもマカリオスに対しテロ活動を実行。皮肉にもトルコ系・ギリシャ系双方の住民から怨嗟の的となった。

1974年7月15日ギリシャ軍事政権の後押しを受けたギリシャ系民兵がマカリオスを襲撃英語版、彼は辛くも命拾いしたが一時的に大統領から失脚することになった。また、これを機会にトルコもトルコ系住民保護を名目に北部キプロスへ出兵。キプロスの分断は確定的になり、両者の和解に道筋をつけることが出来ないまま1977年に心臓発作で死去した。

1972年に大統領(国家元首)として日本を訪れた。

先代
-
グラフコス・クレデリス

キプロスの大統領
1960年 - 1974年
1974年 - 1977年
次代
ニコス・サンプソン
スピロス・キプリアヌ



「マカリオス3世」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マカリオス3世」の関連用語

マカリオス3世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マカリオス3世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマカリオス3世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS