パーカッションロック式 パーカッションロック式の概要

パーカッションロック式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/24 01:07 UTC 版)

パーカッションロック式が採用された拳銃
パーカッションキャップ(雷管)

仕組み

パーカッションロック式の仕組み。撃鉄によって雷管を発火させ、火門を通じて爆発が装薬に伝播し、弾丸(スペイン語:Bala)と紙の束(スペイン語:Taco de papal)が発射される。

大まかな仕掛けはマッチロック式(火縄銃)フリントロック式(燧発式)と変わりない。大きく違うのは次の二点である。

  • 撃鉄(hammerまたはcock)の先端には、火縄や燧石が取り付けられていない。
  • 撃鉄を落とす終端にニップルと呼ばれる火門(タッチホール en:Touch hole)の開いた突起があり、ここへキャップ状のプライマー(en:Primer (firearm))、つまりパーカッションキャップ(銃用雷管。以下、雷管と略)を装着する。

発砲までの操作・動きは以下のとおりである。

  • 銃口から装薬と弾丸を詰める(火縄銃と同じ)。
  • 撃鉄を少し起こして、ハーフコック・ポジションにする。一種の安全装置でありハーフコック・ポジションでは引き金を引けない。
  • この状態でニップルへ雷管を取り付ける。
  • 撃鉄をさらに起こしてコック・ポジションにする。これで発砲準備は完了。
  • 引き金を引く。
  • 撃鉄が作動して、ハンマーが雷管を叩いて発火させる。
  • 火門を通して雷管の爆発が伝わり、銃身内の装薬が点火する(火縄銃と同じ)。
  • 弾丸が発射される。

パーカッション式リボルバーの射撃動作

パーカッションロックを用いる回転式拳銃の射撃動作に関して、

詳細は『コルトM1851#パーカッション式のリボルバーにおける装填と射撃動作について』を参照のこと。

特徴

  • 一世代前のフリントロック式に比較すると発火が確実に伝火され、しかも天候に左右されず、発砲のタイムラグがほとんどない[2]
  • フリントロック式の機関部をそのまま流用可能であったので、安価で製造でき、フリントロックからの改造も楽である。
  • 発火部分が単純でかつコンパクトにまとめられるので、試作は成されていたが高価で実用的ではなかった回転式拳銃のような連発式の銃器が、実用可能なレベルかつ比較的安価で製造可能となった。

歴史

1806年頃、アレキサンダー・ジョン・フォーサイスは雷汞(起爆剤の一種)を利用した新しい発火法を考案する。これはセントボトル・ロック(Scent-bottle lock セントボトルとは香水瓶の意味)と呼ばれ、雷汞を火皿に載せて叩いて発火されるものであった[3]。しかし、雷汞は非常に不安定な塩化物で変質しやすく貯蔵が難しかったため、続いてイギリスの銃工ジョセフ・マントン(en:Joseph Manton)が1816年に雷汞を練ったアラビアゴムで包み、鉄のチューブに詰めたそれを用いて発火させるピルロック(Pill lock)を考案する[3]

更にそれを改良したのがアメリカ人ジョシュア・ショウ(en:Joshua Shaw) によって鉄を銅のキャップに変更したパーカッションロックである。これは1822年に特許が取られている[4]。しかし、1818年にフランスでプリラットの名で特許が取られている説や[4]、前述のマントンの時点で完成している(事実、ショウとマントンの間には法的係争があり、専門家はショウの発明を認めていない)などの諸説があって、最終的にパーカッションロックを完成させた者ははっきりとしない。だが、最初の発明者はフォーサイスであるのは間違いない。

画期的な発明ではあったが、民間はともかく軍での採用は遅れた。原因は雷管の入手に関する補給上の不安(フリントロックの燧石は、まだ現地での調達が可能だった)[5]と、馬上などで小さな雷管を装着することに関しての取り扱いから来る危惧である[6]。だが、19世紀の中頃になるとその抵抗感も薄れ、パーカッションロック式はフリントロック式を駆逐する。しかし、その天下は実包を用いるメタリックカートリッジの出現によって長く続くことはなかった。

日本におけるパーカッションロック式 

日本では江戸時代尾張藩蘭学者吉雄常三が天保13年(1842年)頃から雷管の研究を開始し、雷粉銃を完成させたが実験で暴発して命を落としている。彼の著した『粉砲考』は我が国初の雷汞専門書である[7]

その他、松代藩の銃工、片井京助が製造した傍裝雷火銃や、日本で初めて歯輪銃を開発した久米通賢が造った先火銃などもあるが[7]、天下太平の世にあっては実用銃として普及することはなく、幕末に大量の輸入雷管銃が導入されるとその存在は埋没していったが、中には手動回転型三銃身ペッパーボックスピストル[8]などもあった。

日本におけるオリジナルは以上の通りであるが、旧来の火縄銃または輸入されたフリントロック式ゲベール銃を雷管式に日本で改造した銃、コルト製パーカッションリボルバーをあからさまにコピーした拳銃[9]なども存在する。なお、改造またはコピーに際して、これらにライフリングを施したのかどうかは不明である。


  1. ^ 『別冊Gun 素晴らしきGunの世界』206頁。
  2. ^ それ以前の発火法では引き金を引いても瞬時に発砲せず、やや間を置いて遅発するのが常識だった。
  3. ^ a b c d 『別冊Gun 素晴らしきGunの世界』207頁。
  4. ^ a b 『別冊Gun 素晴らしきGunの世界』208頁。
  5. ^ 米墨戦争メキシコシティの戦い1847年)において、ウィンフィールド・スコット将軍は隷下の部隊にフリントロック銃を使用することを求めた」とされるのも雷管の入手に不安があったせいである。
  6. ^ 「小指の爪先よりも小さな雷管を、戦場において兵士達が、こぼしたりせずに正しくニップルへ装着出来るのか」との心配があったようである。『ピストルと銃の図鑑』(小橋良夫・関野邦夫共著、池田書店)211頁。
  7. ^ a b 『ピストルと銃の図鑑』(小橋良夫・関野邦夫共著、池田書店)235頁。
  8. ^ 『ピストルと銃の図鑑』(小橋良夫・関野邦夫共著、池田書店)29頁。
  9. ^ 『ピストルと銃の図鑑』(小橋良夫・関野邦夫共著、池田書店)237頁。


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