バスキン・ロビンス 歴史

バスキン・ロビンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 01:05 UTC 版)

歴史

創業者はバート・バスキン英語版アーヴィン・ロビンス英語版の2人。バスキンはロビンスの姉の夫だった。2人ともアイスクリームが好きで、店を持つことを夢見ていた。ロビンスの父はワシントン州タコマでアイスクリームショップを経営しており、ロビンスは店を手伝うのが好きだった。第二次世界大戦中、ロビンスは1942年から1945年にかけて陸軍に入隊、バスキンは海軍に志願しそこでアイスクリームを作っては同僚に配った。戦後2人はロビンスの父親の薦めで別々に店を開くことにした。まず1945年に、ロビンスがカリフォルニア州グレンデールに「Snowbird(スノウバード)」を開業した。そして翌年には、退役したバスキンが同州パサデナに「Burton's(バートンズ)」を開業した。

その後、バスキンとロビンスの両者はカリフォルニア南部で勢力を伸ばし1953年に合体して「Baskin-Robbins(バスキン・ロビンス)」となった。1960年代中盤には全米400店舗を達成、1967年にバスキンとロビンスはバスキン・ロビンスをユナイテッド・フルーツに推定1200万ドルで売却し、1970年代からは順次海外出店が始まった。現在はすべての店舗がフランチャイズである。

創業者(バスキンは1967年、ロビンスは2008年に死去)の手を離れ、様々な親会社の下を転々としたが1973年にイギリスの食品会社J.ライオンズ(後のアライド・ライオンズ→アライド・ドメク)が買収した。1994年にはアライド・ドメク・クイック・サービス・レストラン(後のダンキン・ブランズ英語版)の傘下となる。

2005年に、アライド・ドメクをフランスの酒業メーカーペルノ・リカールが買収した際、ダンキン・ブランズの売却が発表された。ダンキン・ブランズ・グループは、2005年12月に投資ファンドベインキャピタルカーライル・グループおよびトーマス・H・リー・パートナーズ英語版による共同所有となった。

2020年10月31日インスパイア・ブランズ英語版はダンキン・ブランズを113億ドルで買収すると発表した。同年12月15日に買収が完了し、現在はダンキンドーナツおよびミスタードーナツとともにインスパイア・ブランズの傘下となっている。


注釈

  1. ^ 社名の「B-R」は半角文字で表記されるが、日本の商号は半角文字と全角文字を混在して登記することはできないため、登記上は「B-Rサーティワンアイスクリーム株式会社」と全角で表記される。
  2. ^ 看板に「サーティワンアイスクリーム」と書かれているのは日本だけだが、「サーティワン(31)」の呼称が通じるのは日本と中華民国フィリピンの3ヶ国のみであり、近隣国である中華人民共和国(特別行政区の香港マカオを含む)や韓国ロシアは「サーティワン」ではなく「バスキン・ロビンス」と呼ばれる。なお、台湾とフィリピンへは、日本のB-Rがアメリカの本社との契約によって台湾とフィリピンの民間企業とフランチャイズ契約を結んだことで出店された。

出店

  1. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 17』講談社、2006年。 
  2. ^ IR情報内 内部統制基本方針 - B-Rサーティワンアイスクリーム株式会社
  3. ^ BCN+R. “サーティーワン初の「フレーバー総選挙」実施中! 期間限定キャンペーン”. BCN+R. 2021年4月6日閲覧。






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