ティピー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 13:09 UTC 版)
概要
ティーピーはスー族を始め、カナダ南部、北米平原部、北西部の、移動しながら狩りを行う文化を持つ部族の野営用の住居である。小さいものでは1~2人、大きいものでは数世帯が居住できる巨大なものもある。たいていの場合、入り口は太陽の昇る東向きに建てられる。テントと決定的に違うのは、中で火を焚くことが出来ることである。
天幕は折りたためば、座布団程度の大きさになり、また構造が簡単であるため、必要となる建材も極めて少なくて済む。サバイバルにおいては生活のために風雨を避けるシェルター(避難場所)が必要となるが、ティピーはその簡便性において理に適っており、アメリカ軍の軍事教練のうちサバイバルを扱ったマニュアルには、パラシュートの布と紐とを使ってこのティピーを作る方法も記載されている。
平原部族は一年中ティピーで暮らしていたわけではなく、夏の間ティピーを使って移動狩猟をおこない、平原が雪に覆われる冬の間は、「冬の村」(ウィグワムの集落)で生活していた。
語源
もともとはスー族の言葉で、「住居(house)」の意味。正しい発音は「ティーピー(tee-pee)」である。これが「丸太小屋」なら「チャン・ティーピー(木の家)」、「教会、寺院」なら「ティーピー・ワカン(聖なる家)」となる。つまり本来は単なる「家」を現す言葉である。
構造
円錐形構造で、一端を束ねた木の棒を広げて地面に建てて支柱とし、その周囲にバッファローのなめし革やキャンバス布を被せ、十数本の木の杭で前面を留めたものである。天幕にはバッファローの皮が使われたが、19世紀になって軽いキャンバス布が交易で手に入るようになると、そちらに取って代わっていった。大きなティピーにはそれだけたくさんのバッファローの皮が必要であり、ティピーの大きさは個人の勢力をも表した。
構造が簡単で、しかも頭頂の開口部が排気口となるため、内部で火をくべて暖房や煮炊きが可能である。長年いぶされた頂点部分の革は、モカシン(革製の袋状になった靴)の底革に再利用された。普段は頭頂部を襟のように折り返して棒で支えているが、雨や強風の際には、風上の側の折り返しで覆うことでこれを防ぐことが出来る。
内部には、裾に内張りを張り、夏には外部の裾をめくり上げることで風を通すことが出来る。かつて有力な戦士は、ティピーに自らの戦功、武勲や所有する馬達を、美しい色彩で描いた。
出入りには、円形に開けられた出入り口をまたいで通る。入り口の覆いにはバッファローの毛皮が使われることが多かった。また、バッファローのひづめが呼び鈴代わりに吊るされた。(これが鳴るたびに、バッファローを呼び寄せるという呪いの意味もあった) 床面は中央部分は炉のために地面を露出させ、それ以外は敷物を敷いて居住空間とする。入り口と反対側には、祭壇を作る。
解体・移動と設置
移動の際には周囲を囲む天幕を外して畳み、支柱は束ねて括り、敷物を片付けるだけで済み、設置も撤去も短時間のうちに行うことが可能である。平原部族はかつてバッファローなどの狩猟のため移動を繰り返していたため、モンゴル遊牧民のゲルのように(むしろゲルより頻繁に)移動することが当然の生活スタイルとして定着していたため、このような住居が発達した。
柱は一まとめにされてトラボイ(Travois)として犬や馬に引かせる荷台(末端を地面につけて引きずるソリのようなもの)とし、荷物や赤ん坊を載せた。車輪よりもこの引きずり方式のほうが、あらゆる地形に対応できた。このような使用のため、柱は擦り減って次第に短くなるものだった。保留地時代になると、ティピーはみんな大型のものばかりになっていったが、これは移動生活が白人によって禁止されたために、柱が磨り減ることがなくなったためである。
ティピーを建てるのは女性の仕事だった。19世紀にインディアン戦士たちと狩りに出た白人が、野営の際、男たちがティピーの建て方を全く知らなかったという記録を残している。
正式なティピーの建て方は、まず地面に穴を開ける許しを精霊に請い、呪い師が清めの儀式を行い、柱を挿す穴を円形に掘り、柱を円錐形に立てる。これをロープ(昔はバッファローの腱)で巻いてまとめるが、この際、柱の周りを一回りするごとに祝詞を上げる。その後ロープの先端を中央部に下ろし、木の杭でしっかりと地面に留める。それから天幕を被せる。
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