コスモ ポップス ベスト10
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『ポップス ベスト10』としての番組開始から終焉まで
1974年3月より歌謡ベストテンと分離する形で、ヤマギワ提供の『ヤマピット ポップス ベスト10』として放送開始。パーソナリティは引き続きシリア・ポールが担当。東京・外神田のヤマギワ東京本店ビル5階にあったサテライトスタジオより公開録音を行っていた。この時から放送時間は毎週土曜日の14時からとなり、以後36年にわたりこの時間での放送となった[1]。
その後、同年7月いっぱいでヤマギワはスポンサーから降板、8月より三菱電機[注釈 1]提供の『ダイヤトーン ポップス ベスト10』となる[1]。
1992年4月4日よりコスモ石油が新たにスポンサーとなり[注釈 2]、『COSMO ポップス ベスト10』に改称。1993年6月19日より渋谷スペイン坂スタジオからの生放送となる。引き続き光岡が登板し、その後鈴木万由香、中田美香、Filizがパーソナリティを歴任。2007年9月1日より放送の拠点を六本木のMidtown Studioに移行する。
2010年4月改編によりカウントダウンステーションが解体され、4月3日より15時台前半枠の『SOUND IN MY LIFE』と枠交換、30分短縮での放送となる。また、俳優の中野裕太が9代目パーソナリティに就任。当番組としては初の男性レギュラーパーソナリティである。さらにFMぐんまが1985年の開局以来初のネットとなり、ようやくJFNフルネットとなった[注釈 3]。改編に伴い、番組開始から36年間続いた14時の1時間枠時代に終止符を打ち、同時に初代のシリア・ポールから続く女性パーソナリティ路線[注釈 4]も8代目のFilizを最後に途切れた。
2011年3月12日の放送は、前日に発生した東日本大震災により、JFN全参加局が非常態勢に入ったため休止された(報道特別番組)。翌週3月19日から放送が再開されるが、地震の影響を考慮し東京ミッドタウンからの放送は中断されている。また、大震災後しばらく、コスモ石油が番組提供を見合わせ、4月30日から再開した。
2017年3月18日のエンディングで翌週(3月25日)の放送が最終回になることが発表された[2]。これにより前身番組を含めると47年間の歴史に幕を閉じた。最終回エンディングでは、翌週(4月1日)からの後継番組が「COSMO POPS STATION」であることが発表された。
注釈
- ^ 提供クレジットは「ダイヤトーン」名義。
- ^ アースコンシャスキャンペーンを後援している。
- ^ 旧Kiss FM KOBEは2010年4月付でJFNを除名されたが、後継会社の兵庫エフエム放送により2010年11月4日再加盟。
- ^ ピンチヒッターとして過去にTOKYO FMの男性アナウンサーが担当したことがあった。
- ^ a b かつては独立放送局
- ^ JFNを2010年4月30日付けで除名され、また同年5月31日をもってJFNからの番組供給が停止される予定だったが、9月まで供給延長が決まり、続行されることになった。更に、9月28日に供給延長が再び決まり、11月4日の新規加盟まで続行された。なお、2010年9月30日までの社名は「株式会社Kiss-FM KOBE」であった。
- ^ ちなみにネット開始初日はKiss-FM KOBEのスタジオからの生放送だった。
出典
- 1 コスモ ポップス ベスト10とは
- 2 コスモ ポップス ベスト10の概要
- 3 『ポップス ベスト10』としての番組開始から終焉まで
- 4 歴代パーソナリティ
- 5 脚注
固有名詞の分類
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