カラカルパクスタン共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 14:41 UTC 版)
名称
「カラカルパク」とは「黒い(カラ)帽子(カルパック)」のことで、「カラカルパクスタン」とは「黒い帽子を被る民族の国」を意味する。旧ソビエト連邦(ソ連)が同地を支配したとき、それまでウズベク族かカザフ族の方言と考えられていた同地の民族の言語を詳細に研究した旧ソ連の言語学者が、「同地の民族の言語は、ウズベク語とは異なりカザフ語と発祥を同じくする別の言語である」と認定したことにより、「カラカルパク族」が創出された。それ以前までは、ホレズム帝国を構成する部族であり、口承叙事詩(ダスタン)を元に、ロシアのサラトフやカザフのキジルカラ(en:Sherkalaの麓)から移動してきたという伝承のみが同民族のアイデンティティを支えてきた。
地理
同国の西部に位置し、ホラズム州、ブハラ州、ナヴォイ州に隣接するほか、カザフスタン、トルクメニスタンと国境を接する。また共和国北部は「縮小する湖」と呼ばれるアラル海に面している。
歴史
1924年の民族境界画定により、旧ヒヴァ・ハン国領の一部、およびロシア帝国領だったザカスピ州、 シルダリヤ州の領域の一部から、1925年にカラカルパク自治州(1925年 - 1932年)が設置され、現在のカラカルパクスタン共和国の領域が成立した。1930年にカラカルパク自治州はキルギス自治ソビエト社会主義共和国(現在のカザフスタン)の管轄下に置かれたが、1932年にカラカルパク自治共和国(1932年 - 1936年)に昇格した。1936年にウズベク・ソビエト社会主義共和国管轄下のカラカルパク自治ソビエト社会主義共和国(1936年 - 1992年)に移管された。
ソビエト連邦の崩壊に伴う1991年のウズベキスタンの独立後、1992年にカラカルパクスタン共和国に改組された。
国家機関
カラカルパクスタン共和国は、独自の憲法を持ち、国旗、国章、国歌を制定しているほか、国語としてカラカルパク語とウズベク語を規定している。国家の代表者はカラカルパクスタン共和国最高会議(ジョカルガ・ケンギス)の議長であり、行政府は閣僚会議議長(首相)が統括する。
ウズベキスタン共和国とカラカルパクスタン共和国との関係はウズベキスタン共和国憲法の枠組みの中において、両国の締結した条約と協定によって調整される。カラカルパクスタン共和国はカラカルパクスタン国民全体の国民投票に基づいて、ウズベキスタン共和国から脱退する権利を有する、と憲法第1条に規定している。つまり、ウズベキスタン憲法の枠を超えることはできないし、外交権なども有していない。
この離脱の権利を否定する項目が含まれたウズベキスタン共和国憲法改正案に対する数千人規模の抗議デモが首都ヌクスで2022年7月1日に発生したため、シャフカト・ミルジヨエフ大統領は翌日現地入りしてカラカルパクスタン選出議員と会談して当該項目を撤回する一方で、治安部隊にデモ隊を取り締まらせ、同3日から一カ月間の非常事態宣言を布告して沈静化を図った[1]。
- ^ a b c “ウズベクで改憲反対デモ 大統領、一部条項を撤回”. 産経新聞デジタル. (2022年7月3日) 2022年7月5日閲覧。
- ^ Citypopulation.de/Republic of Uzbekistan
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