オーストラリアワイン 歴史

オーストラリアワイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 02:49 UTC 版)

歴史

ワイン生産の先駆者たち

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オーストラリアに初めてブドウを植えたフィリップ初代総督

1788年のファースト・フリート (1788年にオーストラリアに着いた最初の囚人船団、「最初の植民船団」)とともに、ブドウの樹もオーストラリアに持ち込まれた[18]アーサー・フィリップ初代総督は、ブラジルのリオデジャネイロや南アフリカのケープタウンブドウの挿し木を積み込み、ニューサウスウェールズ地方の流刑地(現在のシドニー王立植物園近く)に植えた[19][1]。降水量の多いシドニーの気候はブドウ栽培とワイン生産に不向きであり、フィリップ総督は良好な土壌と乾燥気候の内陸部にブドウ畑を移動させた[20]。1791年にはシドニーの西25kmのパラマッタ川英語版沿いに約1ヘクタールのブドウ畑を築き、フランス人戦争捕虜がブドウ栽培にあたった[1]。フィリップ総督は1792年にイギリス本国に帰国しているが、1795年にはオーストラリアで初めてワインが生産されたとされている[1]。1820年代までにはオーストラリアの植民地内向けのワインの販売が可能となった[21]。1820年から1840年にかけて、ニューサウスウェールズ地方、西オーストラリア地方、ビクトリア地方、最後に南オーストラリア地方に、入植者たちが徐々にブドウ畑を設立していった[5]

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オーストラリア産ワインをはじめて輸出したブラックスランド

グレゴリー・ブラックスランドはケープタウンから持ち込んだブドウの木をシドニー西方のパラマッタ・ヴァレーに植え、ボルドースタイルのワインを生産した[22]。1822年には136リットルのワインを船に積んでロンドンに向かい[5]、1823年にはこの酒精強化ワインが商工業奨励会(王立協会の前身団体)によって銀賞を授与された[22][5]。ブラックスランドは海外で賞を勝ち得たオーストラリア初のワイン生産者である[23]カリフォルニアワインが初めて輸出されたのは1840年であり、オーストラリアはカリフォルニアに18年先んじている[22]。5年後にはさらに多くのワインを積み込んでヨーロッパに赴き、今度は金賞を獲得した[24][5]。これはオーストラリア産ワインが国際ワインコンクールで獲得した初の金賞である[5]

1792年にオーストラリアにやってきたジョン・マッカーサーは、国外追放を命じられた後にフランスでブドウの木を収集して栽培技術を習得し、1817年に再びオーストラリアに渡った[25]。1820年にはシドニー南方のカムデンで、後にはシドニー西方のペンリスでワインを生産した[25]。マッカーサーはオーストラリアで初めて商業ベースのワイン生産を行った人物であり、1827年には9万リットルのワインを生産した[25]。ジョンの息子ウィリアム・マッカーサーは1844年に『ブドウの栽培、発酵及びワインの貯蔵に関する書簡』を出版している[26]

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「オーストラリアワインの父」と呼ばれるバズビー

「オーストラリアワインの父」と呼ばれるジェームズ・バズビーは1824年にイギリスからオーストラリアに渡り、シドニー近郊のハンター・ヴァレーでワインを生産した[19]。1828年にウィンダム・エステートが設立されたハンター・ヴァレーはオーストラリア最初の商業ワイン産地である[18]。1825年には『ブドウ栽培法及びワインの製造技術』を、1830年には『NSW州におけるブドウの栽培とワインの製造に関するマニュアル』を出版[27]。1831年からはフランスとスペインのブドウ畑を視察して発酵法を学び、各地のブドウの木の収集を行った。650品種をオーストラリア行きの船に積み込むと、1833年にオーストラリアに戻った時には362品種が長旅を耐えた[18]。シドニー、カムデン、アデレードの各植物園や兄が経営するブドウ畑などにこれらの木が植えられた[19][27]。バズビーの尽力の結果、ハンター・ヴァレーには1852年に186ヘクタールのブドウ畑があり、年間27万2000リットルのワインと4,500リットルのブランデーを生産。アデレード植物園英語版に植えられた木から得られた苗木が南オーストラリア地方の各地に伝わった。オーストラリアで古くから栽培されている品種の多くはバズビーのコレクションにルーツを求めることができる[18]

国際舞台での成功

1839年のCarmichael Irrawangブドウ畑

1840年までには、イタリア人によってリヴェラーナに、スイス人によってビクトリア地方に、ダルマチア(現クロアチア)人によって西オーストラリア地方に、ルター派ドイツ人によって南オーストラリア地方にブドウ畑が設立された[18]。1844年には南オーストラリア地方アデレード・ヒルズ英語版で生産されたワインがイギリス本国のビクトリア女王に送られたが、女王がオーストラリア産ワインを注文した証拠は残っていない。1850年までには今日のほとんどの州で商業ブドウ畑が設立されている[18]。1854年には6,291リットル(1,384ガロン)のワインが、オーストラリア産ワインとして初めてイギリスに輸出された[18]

1852年にはオーストラリア東部で金鉱が発見され、一時的にニューサウスウェールズ地方とビクトリア地方の労働者がブドウ畑から鉱山に移った[5]。しかし、人口が拡大するにつれてブドウ栽培・ワイン生産も拡大した[5]。植民地における土地選択法が制定されると、1860年から1872年にはブドウ畑が急速に拡大した[5]。1851年に2,510ヘクタールだったブドウ畑は1871年には6,880ヘクタールとなり、1854年から1863年の期間に年平均31,850リットルだったイギリスへの輸出量は1863年から1885年の期間に年平均145,600リットルにまで劇的に増加した[5]

初期の生産者はなじみのないオーストラリアの気候などのために多くの困難に直面したが、最終的には成功を収めている。1873年のウィーン万国博覧会ではフランスの審査員がブラインドテイスティングを行い、ビクトリア州産のワインを称賛した[28]。しかし、このワインの出所が明らかにされると、これだけ良質なワインの産地はフランスであるに違いないとして、審査員は抗議とともに審査を取り消した[28]

オーストラリア産ワインはフランスで開催されたワインコンクールで好成績を残し続けた。ビクトリア地方産のシラーズ種ワインは1878年のパリ万国博覧会で、ボルドーシャトー・マルゴーに例えられた[28]。1882年のボルドー国際博覧会ではあるオーストラリア産ワインが金賞を受賞し、1889年のパリ万国博覧会では別のオーストラリア産ワインが金賞を受賞した[28]。これらはすべて、フィロキセラの流行でオーストラリアのワイン産業が破壊的な影響を受ける前のことだった。

フィロキセラと南オーストラリア州の台頭

20世紀の豪州産ワインを牽引したバロッサ・ヴァレー

1863年にフランスで初めて確認されたフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)は、1875年にオーストラリアにも到来し[29]、1870年代には一部の地方で流行した[18]。ビクトリア地方メルボルン近郊のジロングで発見され、ラザグレンやゴールバーン・ヴァレー英語版を含むビクトリア地方のワイン産業に決定的な打撃を与えた[29]。ニューサウスウェールズ地方の一部でもフィロキセラが発見されたが、州間の検疫制度によって他州では被害を免れた[30]。1901年にオーストラリア連邦が成立すると、州間の取引時に発生していた関税が撤廃されたことで、オーストラリアのワイン市場は拡大した[5]。安価な南オーストラリア州産のワインが各州に流入。フィロキセラの蔓延と合わせて、それまでオーストラリアのワイン産業をリードしていたビクトリア州は停滞を余儀なくされた[29]。この時期にはより巨大なワイナリーが誕生しており、マクウィリアムス、ペンフォールズ、セッペルトなど、今日も名声を得ている老舗ワイナリーのいくつかが設立されている[5]

20世紀初頭には南オーストラリア州がオーストラリア産ワインを主導する位置に立ち、特にバロッサ・ヴァレーはオーストラリア最大のテーブルワイン産地に成長した[31]マレー川の最下流部にある南オーストラリア州のワイン産地では他州とは違って灌漑設備が導入され、ブドウの他にもプラムやオレンジなどの果樹が栽培されるようになっている[32]

この頃にイギリスに向けて輸出されるワインは酒精強化ワインがほとんどであり、国内の需要も甘口のワインや酒精強化ワインの比率が高まった[33]第一次世界大戦後にはイギリスとともに戦った帰還兵がブドウ栽培地域に入植し、オーストラリア政府は1924年に輸出奨励金制度を設けて輸出を促進したが[33]、生産過剰などの影響でワインの価格が下落し、多くのブドウ畑が崩壊している[5]。1925年にはイギリス政府が大英帝国内産ワインの優先的な輸入を義務付け、オーストラリアの酒精強化ワイン業界を刺激した[5]。1921年にはイギリス向けの輸出量が244万リットルだったが、1927年には1590万リットルにまで飛躍的に増加している[34]。1929年からの世界恐慌などに影響され、1927年に9300万リットルだった総生産量は1931年には5950万リットルにまで落ち込んだが、第二次世界大戦が開戦すると再び輸出量が増加しはじめ、オーストラリア国内のワイン消費量も伸びた[34]。1900年代初頭から第二次世界大戦の終わりまで、オーストラリア大陸のワイン生産者は干ばつ、害虫フィロキセラ、経済苦境などの苦難を経験した[20]

第二次世界大戦後

高級豪州産ワインの代表格であるペンフォールズ(左)

第二次世界大戦後には、ブドウ栽培の知識を持つフランス、イタリア、ドイツからの移民が急成長の起爆剤となった[20]。新たな技術が導入されたり開発され、ワインの品質が向上したことでワイン消費量が成長した[5]。1950年代頃の生産と消費の中心は酒精強化ワインだったが、海外に旅行した若者が持ち帰った知識や、戦後に多く受け入れた南欧系移民などの影響で、1960年代には生産も消費もスティルワインへの転換が進んだ[35]。白ワインの生産技術が向上したことで白ワインブームが生じ、日常消費用のカスクワイン(硬質紙箱入りワイン、バッグ・イン・ボックス)が家庭に普及[36]。1970年代中頃にはテーブルワイン(スティルワイン)の消費量が50%を超え、1975年には白ワインの消費量が赤ワインを超えた[36]

1960年代には供給過剰や販売不振に対抗する手段として、豊作時に生産されるノンラベルのクリーンスキンワイン英語版がオーストラリアに導入されている。1960年代末から1970年代初頭、オーストラリアのワイン業界は国際市場での競争力を高めるために、多額の投資を行って生産技術の向上に努めた[20]。1970年代後半から1980年代にかけてワイン生産者の統合が進み、ワイン産業以外からの資本参加や海外資本の参入が行われ、家族経営のワイナリーが大きく減少した[37]。1980年代末にはワイン用ブドウの過剰供給を乗り越えるために、オーストラリア政府が農家に奨励金を支払ってブドウの株の引き抜きを行った。1980年代後半から1990年代には輸出が急速に拡大し、1985年に1000万リットル程度だった輸出量は1993年には1億リットルを超え、1994年には1億8000万リットルに達した[38]。1994年の輸出量は世界第6位であり、アメリカの約1.6倍である[38]

オーストラリアのワイン業界は巨大ではあったが、1970年代末まではもっぱら甘口ワインと酒精強化ワインからなっていた。しかしそれ以後には、オーストラリアは急速に質と量の両面で世界を牽引する存在となった。1990年代から2000年代前半には輸出量が急上昇し、ブドウの植樹ブームが起こった[6]。例えばアメリカ合衆国への輸出量は、1990年の57万8000ケースから2004年には2000万ケースにまで増加し、2000年にはイギリスへの輸出量が史上初めてフランスワインを上回った。

2000年代

国立ワインセンター

アデレードにある国立ワインセンターや国立ワイン醸造・ブドウ栽培センターは、世界を代表するワイン研究機関・教育機関である[5]。この大学ではブドウ栽培とワイン醸造を学ぶことができ、卒業生は世界中から引く手あまたである[5]。高等教育機関のブドウ栽培・ワイン醸造学過程を修了した人材が増えており、他業種出身者や退職者が経営する小規模なブティックワイナリーもオーストラリア中に見られる[5]。今日のワイナリーはエノツーリズム英語版(ワインツーリズム)の対象地となっている[5]。テイスティング・オーストラリアというオーストラリア最大のワインフェスティバルは隔年開催だが、一般的にワイン産地では毎年ワインフェスティバルが開催される[5]

現代の豪州産ワインの象徴的存在のシラーズ

2000年代には再び赤ワインが白ワインの生産量を上回っている[4]。1996年にはブドウ栽培・ワイン生産に関する新戦略を策定し、オーストラリア産ワインの世界的な認知度向上や、生産量・販売量・市場占有率などに関する具体的な数値目標を掲げたが、2025年を基準としたその新戦略は20年も早く2005年に達成してしまった[2]

しかし、生産過剰によって2005年と2006年にはブドウ価格が低下し、再び政府主導による株の引き抜きを求める声が高まった[39]。2004年には8,570のブドウ栽培者が登録されていたが、2012年には6,250まで大きく減少している[6]

2000年代にはイギリスの輸入業者がオーストラリア産ワインの価格上昇に抵抗を示した。2008年には輸出量が初めて前年を下回ったうえに、2012年にはバルクワイン(樽詰め)がボトルワインの輸出量を上回った[6]。2005年の輸出単価は3.98豪ドル/リットルだったが、2010年度には2.7豪ドル/リットルに低下した[40]。これらは世界的な経済危機の影響に加えて、国内の生産過剰がバルクワインの輸出に回ったことも理由に挙げられる[40]。強い通貨の影響でニュージーランド産ワイン英語版も多く流入しており、2000年代にはオーストラリアでもっとも販売額の大きい銘柄がニュージーランド産という逆転現象まで起こった[6]

近年には世界的なトレンドであるブドウの有機栽培およびバイオダイナミック農法によるワインの人気が高まっている。2004年には第1回国際バイオダイナミックワイン会議がビクトリア州ビーチワース英語版で開催され、オーストラリアに世界中のバイオダイナミックワイン生産者が集まった。特にヨーロッパ市場で高価格ワインの生産者がオーストラリアの有機栽培・バイオダイナミック栽培によるブドウを買い付けてくれることから、ブドウの生産過剰にもかかわらず、多くの有機栽培・バイオダイナミック農法農家が需要を享受している。


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