イギリス領インド帝国 女性運動

イギリス領インド帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 08:11 UTC 版)

女性運動

植民地化以前のインドにおいて、女性の地位は、従属されたものであった。それは、ヒンドゥーのみではない。ヒンドゥーにおいてはサティーの慣習、幼児婚、女性は男性とは異なり、生涯で1回のみしか結婚ができないこと、相続権がなかったことが挙げられる。イスラームにおいても、一夫多妻制、相続権は女性に関しては、男性の半分しかなかったことが挙げられる[48]。加えて、女性は、教育を受ける権利を保有していなかった[48]

そのような中、インドでも社会改革者が登場することとなり、数多くの改革協会、宗教組織が、女性のための教育の普及、寡婦の再婚を認めるための活動及び彼女たちの生活条件の改善、幼児婚の抑制、一夫一婦制の実施、女性の社会進出を進めるようになった[48]パンディター・ラーマバーイー英語版のように、ボンベイ、プーナに寡婦のための学習塾を設立した女性も登場した[49]

女性解放運動は、20世紀になると独立運動と合流し大きな運動となる。独立運動に参加した著名な女性では、サロージニー・ナーイドゥーであり、彼女は、1925年には国民会議の議長を務めた。

カースト制度に対する闘争

イギリスによるインド支配は、従来のインドに残っていたカースト制度を根本的から覆した。その背景には、近代産業や鉄道、バスがインド国内に導入されたこと、加えて、都市化の進展により、異なるカースト間同士の接触を回避することが困難になったことが挙げられる[50]。また、伝統的産業以外の産業が勃興したこと、加えて、医者や軍人といった機会を奪われることを高カーストのものは嫌った[50]

さらに、イギリスは「法の下の平等」を植民地政策で推進したこと、教育制度の開放がカースト制度を破壊することとなった。

以上のような背景から、ブラフモ・サマージ、ラーマクリシュナ・ミッションといった当時のインドの改革主義者はカースト制度に対して、反対運動を展開していった。19世紀後半に活躍した活動家としては、マハーラシュトラのジョーティバー・ラーオ・プレー英語版がいる。彼は、低カーストの解放には近代教育を普及させることが最高の武器となると信じて運動を指導した[50]

女性解放運動と同様に、カーストに対する闘争は、民族運動に合流することで、強大な勢力を持つこととなった。ビームラーオ・アンベードカルは、インド独立期に活躍した政治家であり、彼は、全インド被抑圧所階級協会(バヒシュクリット・ヒタカーリニー・サバー)の創設に尽力した[50]

文化

文学

ムガル帝国の宮廷で用いられたのは、ペルシャ語であったが、帝国の衰退に伴い、各地方で、様々な文学が花開いた。ウルドゥー語ベンガル語シンド語などがその代表例として挙げられる。また、南インドでは、イギリス東インド会社時代以来からのタミル古語を探す動きが続き、タミル文学が構成されていった。

ウルドゥー文学

ウルドゥー語は、トルコ語で「軍営」を意味する言葉であるが、その名の通り、ムガル帝国の宮廷そばにあるシャージャーハーナバードで発達し、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語の語彙を包括した北インドの言語である。とはいえ、19世紀半ば以降のウルドゥー文学の中心地はデリーからラホールへと移った[51]。1860年以降、パンジャーブ地方での出版量が増大し、パンジャーブの民話やシク教に関する書籍、1万部を越える教科書が発行されるようになった[51]。また、ラホールでは大学が8校設立されたことも、ラホールをウルドゥー文学の中心地として発展させる要因となった。

20世紀に入ると、『宝庫』や女性向けの『女性文化』、子供向けの『花』といった文芸誌、雑誌がラホールで発行されるようになった。ウルドゥー文学が花開く中で登場したのが、後にパキスタン建国の詩人ムハンマド・イクバールサアーダト・ハサン・マントー英語版、チュグターイー、グラーム・アッバース、クリシャン・チャンダルといった人々たちであった[51]

ベンガーリー文学

ボンキムとタゴール

インド大反乱(1858年)の後のベンガル地方では、都市の知識人層を中心にインドの古典文化や歴史に関心がもたれ(ベンガル・ルネサンス英語版)、特に1860年代から1870年代にプラーナ神話インドの歴史に題材をとった長編の叙事詩が制作された[52]。ベンガルには英領インドの首府カルカッタがあったため、文学に表出されたベンガル・ナショナリズムと全インド・ナショナリズムの差異は明示的でない場合がある[52]。当時の代表的な叙事詩作家としてはボンキム・チョンドロ・チョットパッダエ英語版がいる[52]。1880年代以降、独立まで、ベンガル文学の主流は叙事詩から抒情詩に移った[52]。この時代の詩人の中でも、ラビンドラナート・タゴールカジ・ノズルル・イスラムはベンガル語圏で多大な影響力を持った[53]。タゴールはアジア人で初めてノーベル文学賞を受賞して世界的にも高い知名度を得ることとなった[54]。タゴールの歌(ロビンドロ・ションギート英語版)と、ノズルルの歌(ノズルル・ギーティ英語版)は、21世紀前半の現在でもベンガルの二大歌謡である[54]

スィンディー文学

1843年にイギリス領に組み込まれたシンド地方もまた、17世紀から18世紀にかけて、スィンディー文学の黄金期を迎えた経験を持っていた。とはいえ、この時代のシンド語は、決まった文字体系を持っていない。近代言語としての発達が見られるようになったのは、イギリス領に組み込まれてからである[55]

イギリスはシンド地方においても英語教育の徹底を図ったが、地元住民の大きな抵抗にあい、イギリス人のほうがシンド語を勉強しなければならないという状況になった。そのため、イギリス人によるシンド語研究が進み、1853年にはアラビア文字を採用した正書法が確立した[55]

タミル文学

イギリス東インド会社は、インドの支配を確立するために、現地諸語の研究を行ってきた。初代ベンガル総督であるウォーレン・ヘースティングズ以来の研究の伝統と宣教師によるキリスト教布教が結果として、在地インド人に自らの言語へと古典の関心を喚起するのに十分であった[56]。その結果、1842年には、『トルハーッピヤム英語版』と呼ばれる最初のタミル語古典が出版されるにいたった[56]

その伝統が引き継がれ、タミル語は、インド・ヨーロッパ語族とは異なる語族であるという研究結果が導かれると同時に、タミル人の非バラモンによる上級カーストへの闘争が展開されるようになった。また、カールキー・クリシュナムルティ英語版などのタミル語小説を書く小説家も登場することとなった。

テルグ文学

ヒンディー語を中心とするインド・ヨーロッパ語族圏に属する北インド、あるいは、ドラヴィダ語族圏に属する南インドと異なり、現在のアーンドラ・プラデーシュ州は、両方の文化の影響を受けてきた[57]


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  48. ^ a b c Metcalf (2001)pp.236-239
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  56. ^ a b 志賀美和子 著「第7章第3項 タミル・ルネサンス --タミル人意識の源流」、辛島昇編 編『南アジア史_3』山川出版社、2007年、pp.298-306頁。ISBN 978-4-634-46210-6 
  57. ^ 山田桂子 著「第7章第4節 テルグ語とアーンドラ人の近代」、辛島昇編 編『南アジア史_3』岩波書店、2007年、pp.306-314頁。ISBN 978-4-634-46210-6 





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