アスンシオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 14:59 UTC 版)
概要
パラグアイ川の東岸に位置し、港が設置されている。市の中心付近には高層建築が見られるがそれ以外には10階以上の建築物は少ない。
Mercer Human Resource Consultingの発表によると、5年連続で世界一物価の安い都市となっている。(2007年現在)
歴史
1537年に、ラプラタ川からアルト・ペルー(現在のボリビア)への陸路を探す遠征の途上に、フアン・デ・サラサール (Juan de Salazar) らによって建設された。当初は砦であり、1541年に先住民の攻撃のため放棄されたブエノスアイレスからの避難者を迎え、市としての体裁が整えられた。市は南米の都市の中でも歴史の古い部類に属し、スペイン人やクリオーリョたちに大陸中南部の征服と植民地建設の足掛かりを提供した。同市からの植民団がラプラタ川流域内外の広い範囲に都市を建設したため、諸都市の母 (Madre de Ciudades) と呼ばれる。 1731年アンテケラ=イ=カストロ (José de Antequera y Castro) の率いる市民がスペインの支配に対して蜂起した。
三国同盟戦争(1865年-1870年)中の1869年、市はブラジルの軍隊に占領され、首都はルケに、さらにそこも危険になると60kmほど東のピリベブィ (Piribebuy) に移転した。戦後、ロペス政権によって国外に追放されたりヨーロッパに留学したりしていた人々が帰国し、ブラジルの傀儡政権を立てた。国の成人男性が戦死・病死・無差別な殺戮によって著しく減少していたからである。ブラジル軍の占領は1876年まで続いた。
アスンシオンからの植民団により建設された主な都市
- サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ(ボリビア)1561年
- サンタフェ(アルゼンチン)1573年
- ブエノスアイレス(アルゼンチン)1580年(再建)
- コリエンテス(アルゼンチン)1588年
- コンセプシオン(パラグアイ)1620年
隣接する県
- ^ "Paraguay Facts and Figures". MSN Encarta. 2009年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
- ^ “World Weather Information Service - Asuncion”. World Meteorological Organization. 2012年11月8日閲覧。
- ^ “ASUNCION Climate Normals 1961-1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2012年11月8日閲覧。
- ^ “Paraguay - Asuncion (pg 208)” (Danish). Climate Data for Selected Stations (1931-1960). Danish Meteorological Institute. 2012年12月18日閲覧。
アスンシオンと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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