つのだ☆ひろ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 06:38 UTC 版)
経歴
両親の疎開先・福島県東白川郡塙町で生まれる[1]。兄4人と姉3人を持つ8人兄弟の末っ子[1]。生後1歳4ヵ月で東京に戻り[1]、以降は新宿十二社で育った[1]。次兄に漫画家のつのだじろう、末兄(四兄)にリュート奏者のつのだたかしがいる。実家では両親が理髪店を営んでおり、両親は子供たちを食いっぱぐれのない理容師にする教育方針だったが、次兄のつのだじろうが漫画家として売れっ子となったため「食べていける職業ならいい」と方針を変更したという[2]。
中学時代からドラムを始め、高校2年のときにジャズドラムとリズム理論を富樫雅彦に師事。高校3年で鈴木弘とハッピー・キャッツでプロデビューを果たす。卓越したテクニックと日本人離れしたパワフルなドラミングが評判を呼び、1960年代後半からジャズ・ピアニスト佐藤允彦のトリオとの活動を皮切りに、渡辺貞夫カルテット、ジャックス、岡林信康、成毛滋、フライド・エッグ、ストロベリー・パス、五つの赤い風船、赤い鳥、サディスティック・ミカ・バンド、浅川マキ、加藤登紀子、中島みゆき、矢野顕子など、日本を代表するさまざまなミュージシャンたちと共演しドラマーとしての地位を確立する。
また、1971年には歌手として『メリー・ジェーン』をロングヒットさせ、そのソウルフルな歌声で一躍脚光を浴びる。1972年には結成当初のサディスティック・ミカ・バンドに参加したが、短期間で脱退し高橋幸宏が後任となった。同年に「キャプテンひろ&スペースバンド」を結成し、1972年12月24日のテレビ神奈川『ヤング・インパルス』に出演[3]している。
その後も、清水健太郎のヒット曲『失恋レストラン』『帰らない』をはじめ、研ナオコの『風をくらって』、南沙織の『街角のラブソング』、田原俊彦の『騎士道』など、作詞・作曲家としても活動し、さまざまな歌手に楽曲提供も行っている。
各国の著名ミュージシャンと共演するなど幅広い活躍を行うほか、現在はドラムスクールを開催したり、東京都文京区で音楽スクール「WILD MUSIC SCHOOL」「ULTRAC(ウルトラック)」を開設している。
注釈
出典
- ^ a b c d 「つのだ☆ひろインタビュー」『リズム&ドラム・マガジン』、リットーミュージック、2009年10月、22頁。
- ^ 『いつみても波瀾万丈』ゲスト出演時の発言より
- ^ 朝日新聞テレビ欄、1972年12月24日付
- ^ 例によって|つのだ☆ひろブログ「つのだ☆ひろだとおめでたい」 - アメーバブログ
- ^ “愛と罪と”. テレビドラマデータベース. 2021年11月16日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “君は長いね”. NHK みんなのうた. 2024年3月13日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “がんばれマイ・ボーイ”. NHK みんなのうた. 2024年3月13日閲覧。
- ^ a b c d 幻の歌に新たな息吹 古関さん作曲の常磐炭礦の社歌と応援歌 つのだ☆ひろさん編曲 福島民報(2020年11月2日)2020年11月3日閲覧。
- ^ “風を見た少年”. メディア芸術データベース. 2016年8月16日閲覧。
固有名詞の分類
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