さんまのSUPERからくりTV 出演者

さんまのSUPERからくりTV

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 16:32 UTC 版)

出演者

司会

  • 明石家さんま(『さんまのからくりTV』から引き続いて出演。出演開始時期のないものは『さんまのからくりTV』第1回から出演。)

番組終了まで出演したレギュラー回答者

  • 中村玉緒 — 1994年3月20日にゲストとして初登場。1996年4月からレギュラー出演し、番組のご意見番を担当[注釈 7]。この役柄から、(カメラ側から)向かってさんまの左側に中村専用の解答席が設けられていた[注釈 8]。さんまからは「お母さん」の愛称で呼ばれていた。スケジュールの都合で欠席するケースもあり、その際は等身大写真パネルが解答席に置かれた。
  • 関根勤(『さんまのからくりTV』から引き続いて出演。出演開始時期のないものは『さんまのからくりTV』第1回から出演。) — 1992年5月31日にゲストとして初登場。矢崎滋の後任として同年10月からレギュラー出演。欠席時には高田純次もしくは小堺一機本村健太郎が代役を務めた。
  • 浅田美代子(『さんまのからくりTV』から引き続いて出演。出演開始時期のないものは『さんまのからくりTV』第1回から出演。) — スケジュールの都合で欠席する事もあり、その場合は空席となっており、代理の出演者はなかった。
  • 渡辺正行(『さんまのからくりTV』から引き続いて出演。出演開始時期のないものは『さんまのからくりTV』第1回から出演。) — 欠席時にはラサール石井が代役を務めた。
  • 西村知美(『さんまのからくりTV』から引き続いて出演。出演開始時期のないものは『さんまのからくりTV』第1回から出演。) — 番組開始時は相原勇と週替わりでの出演だったが、1997年3月23日を以て相原が降板。1997年4月6日からは毎週出演になった。2003年8月から2004年2月は産休の為欠席。
  • 長嶋一茂 — 1997年2月にゲストとして初登場。1998年4月19日からレギュラー出演。現在は「巨人球団代表特別補佐」(実父が古巣・読売巨人軍の終身名誉監督に就任したため。2011年からは野球振興アドバイザーを務めている)ということもあり、春季キャンプの時期などに稀に番組を欠席する事があった。その際、スタジオからの電話中継で出演することもある。
  • 小倉優子 — 2003年 - 。もとは準レギュラーだったが、うつみ宮土理の降板後は毎回出演している。
  • つるの剛士 — 小倉優子音楽隊に入団して以降、準レギュラーになり、定期的にスタジオへ出演していたが、2009年5月よりスタジオパートにも毎回出演。2009年7月26日・2010年7月25日はFNS26時間テレビ出演のため欠席。

途中で降板したレギュラー回答者

  • 相原勇(『さんまのからくりTV』から引き続いて出演。出演開始時期のないものは『さんまのからくりTV』第1回から出演。) — 西村知美と交代で出演、1997年3月23日を以て降板。
  • TOKIO城島茂山口達也国分太一松岡昌宏長瀬智也) — 1時間枠になった1996年4月21日から出演。メンバー2名が交代で出演していたが、初回と最後の出演時などスペシャルでは当時のメンバー全員で出演(代役として同じ事務所V6、それ以外にキャイ〜ンが出演した回もあった)していた。それまで深夜で放送されていた『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)が、『からくり』の裏番組として日曜19時台へ進出が決定したことに伴い、1998年3月29日を最後に降板。なお、『DASH』は本来1997年にゴールデン進出が予定されていたが、事務所関係者が「さんまに対する恩義もあるため、1年遅らせて開始する」とさんまに伝えていたことが、本番組終了後の2014年10月15日に放送された『TOKIOカケル』(フジテレビ)にさんまが出演した時にさんま本人から語られた。この際にさんまは「あの番組(『DASH』)やって、『からくり』が終わりを迎えるようなことにしたのは、お前ら!!恩を仇で返された!」と(もちろんネタとして)訴えていた[1]
  • 水野真紀 — 30分時代にゲスト出演後、1996年4月21日からレギュラー出演。菓子作り修行のため、1998年10月4日に降板。
  • 酒井彩名 — 1999年10月 - 2000年3月
  • うつみ宮土理 — 30分時代の1996年2月4日にゲスト出演後、1996年4月 - 2007年3月にレギュラー出演。2007年4月より、韓国に留学のため出演を休止したが、日本に帰国後も出演していないことから事実上の降板。
  • 矢崎滋 — 1992年4月26日 - 9月27日

進行

  • 山本匠晃(TBSアナウンサー)(2008年 - 2014年) 2008年10月26日より出演。当初は「からくりみんなの!かえうた」の2代目コーナー司会だったが、2011年からはスタジオでの進行を担当している。2016年から放送されている派生番組『ご長寿グランプリ』では、『ご長寿早押しクイズ』の司会を担当している(2017年までは予選のみ)。

その他の主な出演者

  • 鈴木史朗(1998年まではTBSアナウンサー、以後フリーとして出演、1994年11月6日 - 2009年「ご長寿早押しクイズ」司会)
  • 安住紳一郎(TBSアナウンサー、1999年10月3日 - 2008年「サラリーマン早調べクイズ」→「からくりみんなのかえうた」司会、「からくり列島中継」キャスター)
  • 小林麻耶(当時TBSアナウンサー、2003年 - 2008年スペシャルのみ「からくりみんなのかえうた」司会)

ナレーション


注釈

  1. ^ スタジオ映像と一部VTR
  2. ^ ロート製薬の一社提供(ただし、1991年10月から1992年3月29日までの期間は、同社を含む複数社提供)だった。
  3. ^ それ以前の改編期や年末は「傑作リクエスト大会」として過去に取り上げられたホームビデオの総集編を放送。
  4. ^ それ以前の30分時代初期は魚のさんまの形を象ったもので、頭と尾の間(胴体部)にタイトルが書かれていた。
  5. ^ 30分時代初期の頃は視聴者に対してもテロップで流す形で正解を見せており、中期以降も解答者からなかなか正解が出ない場合は視聴者に対してテロップで正解を見せることがあった。
  6. ^ なお、当選した視聴者から見ればこの「残念」という演出には矛盾が生じる。
  7. ^ 元々席には早押しボタンは設置されていなかったが、本人の希望により1997年頃に早押しボタンが設置され、ご意見番兼解答者という形に定着した。
  8. ^ 稀に、他の出演者らと同じく通常の席で参加するケースもあった。
  9. ^ 初期は鈴木のタイトルコールでスタートしていた。名人戦の場合は別専用オープニング曲を使用。
  10. ^ ロケ収録は主に関東地方とその周辺の市町村を訪れて行われた。群馬県栃木県茨城県千葉県山梨県福島県静岡県など。ただし、名人戦の場合は初期は東京都内のホテルなど行われ(例:第5回名人戦は「目黒雅叙園」開催)、その後は関東近郊の旅館や料亭などで開催することが定着していた。
  11. ^ 大抵は司会席が用意されているが、初期の頃は会場の都合で襷付きの板を机代わりにする場合が多かった。
  12. ^ 初期の頃は、解答者が何と答えたかを3つの選択肢から予想。
  13. ^ この番組の性格上(あくまで娯楽番組であり事実を伝えることが主目的ではない)、仮にこのようなやらせまたはやらせまがいの演出がされていたとしても即問題になるとは言い切れない面もあるが、日本におけるメディアリテラシーの観点から好ましくないと見られていることから、このような議論が常につきまとっている。
  14. ^ ノミネート候補者の中には罰ゲームで参加した浅田美代子も挙げられた。
  15. ^ 野球部を辞めてソフトボール部に入った息子に対して、父親(一般男性)が「(似た競技で転部した)意味ないじゃん」とコメントした場面がスタジオの出演者や観客の爆笑を誘った。野球とソフトボールは同じような競技と思われやすいが、いくつかの相違点がある

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