さんまのSUPERからくりTV 番組のコーナー

さんまのSUPERからくりTV

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 19:09 UTC 版)

番組のコーナー

ご長寿早押しクイズ(からくりチャンス)

30分時代の1994年11月6日に開始し、2008年までの14年間に渡って断続的に放送され、放送回数は全388回、全出場解答者数は1132人を数えた[2]。本番組の全盛期を支えた名物コーナーであり、本番組のスペシャル時には、過去に本コーナー内で特に面白みのある解答をした(番組内では『名人』と称される)解答者らを集めて、「ご長寿早押しクイズ名人戦」が行われた。

構成・ルール

フニクリ・フニクラ」の替え歌(開始当初は原曲)[注釈 9]のオープニングと同時にコーナーが始まり、オープニング時にはロケ地の市町村[注釈 10]と旅館宿泊券などの優勝者の商品が紹介をされる。当時TBSのアナウンサーであった鈴木史朗1998年春からフリー)が司会を担当[注釈 11]し、80歳以上の高齢者(ご長寿)の解答者3名が自己紹介を終えた後に、全10問の早押しクイズを行い、一番多く正解した解答者が優勝となり、賞品として旅館宿泊券などがプレゼントされる。最終問題(第10問目)終了後にトップが複数いた場合には同点決勝を行う。ある程度時間が経っても正解が出ない場合は次の問題に移るが、最終問題や同点決勝は正解が出るまで続行する。スタジオではコーナー前半でVTRが中断され、トップ賞受賞者が解答者の誰が優勝するのかを予想[注釈 12]し、CMを挿んで後半のVTRが再開され、優勝者が決定するとからくりチャンスの結果が紹介される。

内容

本コーナーは通常の早押しクイズとは異なり大喜利の要素が強く、解答者となるご長寿らの珍解答や珍言動およびに、珍行動をピックアップし、淡々と進行する司会の鈴木と解答者らとの掛け合いが話題となり、一躍本番組の人気コーナーとなった。そして、名人戦では番組スタッフにより本コーナーから選考された、特に面白みのある解答をした解答者(名人)が出場するため、通常の放送回よりも過激なやりとりが顕著に表れた。本番組スタッフによると、このような珍解答などが生まれる理由として、「事前に町のご長寿を集めて面接と予選テストを行い、面接や予選テストで面白い解答や行動をした人の中から出演するご長寿を会議で決めています。そのため、全く予想もつかない珍解答、珍行動が飛び出しているわけです。」と説明しており、鈴木自身も「1問の解答時間が10分にも及ぶ」と発言していた。ただし、前述のように、ご長寿らの予想もつかない珍解答や珍行動が多いため、始まった当初から、一部ではやらせ疑惑が持ち上がっていて[注釈 13]、また、実際に出た解答を編集によって繋ぎ替えて珍解答に見せているのではないかと指摘されることもある。

放送の減少・事実上のコーナー廃止

開始から2003年10月頃まで本コーナーはほぼ毎週放送が行われていたが、同年11月以降は数週間に一回の放送に減少、2006年春スペシャル以降は放送回数が数ヶ月に一回とさらに減少。2009年春スペシャル(2009年3月15日)で過去に出場した名人を加えて久々に放送が行われ、これが実質的に最後の本コーナーの本編の実施となった。
本コーナーの放送が減少・事実上の廃止となった理由としては、前述のやらせ疑惑に加えて、ロケする市町村が合併などでほとんど行き尽くしてしまったり(そのため、北日本方面(北海道・福島県以外の東北)もしくは西日本方面(静岡県以外の東海北陸関西中四国九州沖縄)に遠征しない限りロケは難しい)、本番組のタイムテーブルの不安定さからやむを得ずほかのコーナーを放送しているなど、様々な要因が挙げられ(後期から末期にかけては中継クイズや他のコーナーをベースにした三択問題に差し替えられ、末期は通常のクイズ問題に変更されていた)、また、『高齢者を笑いの対象にして良いのか』という人権的な指摘や、当初は下ネタで回答した際はそのままテロップや音声で流していたが、2001年ごろからモザイクや信号音などで処理されていたように、番組内では公開出来無い様な解答が飛び出す事もある為、放送されなくなったという指摘もある。

その後、2010年9月19日放送分の本番組のコーナー「からくりグランプリ」内にて、「ご長寿ベストオブ名人は誰だ!」と題して傑作選が放送され、出演者の投票により、紹介された名人の中から『ベストオブ名人』が選出された[注釈 14]そして、本番組の最終回スペシャル(2014年9月7日)では、「大爆笑! ご長寿早押しクイズ傑作選」と題して傑作選が放送。さらに、2015年10月12日放送の特番『TBSもさんまも60歳 伝説のドラマ&バラエティー全部見せます!夢共演も大連発SP』の終盤でも当コーナーの傑作選が放送された。

2016年12月29日の「爆笑! 明石家さんまのご長寿グランプリ2016」番組内で復活した[3]。各地で予選が行われ、その中から選ばれた3人(2018年以降は5人)が決勝へ進出。予選の司会は山本匠晃(TBSアナウンサー)、決勝戦の司会はレギュラーと同じく鈴木史朗が担当した。なお、決勝戦はレギュラー当時よりも少ない全8問で行われた。

その後も毎年12月下旬に「ご長寿グランプリ」として放送。同特番のセットも本番組末期のセットを手直ししたものが使われているほか、クイズの合間にはレギュラー時代の傑作選や「からくりビデオレター」などの企画をご長寿に絞ったものも放送されている。2023年にはホームビデオとスタジオでのクイズが復活。当時の効果音も殆どそのまま使われた(正解のファンファーレだけ再制作され、「正解!!」のCGは使われていない。また正解VTRに入るジングルは使われていない)。

2018年は同コーナー開始当初から司会を務めてきた鈴木が80歳を迎えて「後進に譲りたい」という本人の希望から、決勝戦の司会をこれまで2回予選の司会を務めてきた山本に譲り勇退することとなった。鈴木は2019年に、スペシャルゲストとしてメインスタジオに登場した。

からくりホームビデオクイズ

『さんまのからくりTV』時代から続く、この番組の原点ともいえるコーナー。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の「おもしろビデオコーナー」を実質引き継いだもの。外国から仕入れたホームビデオ家庭カムコーダ)映像や視聴者から投稿されたホームビデオ映像から面白いものを厳選して放送。それらの中でも特にインパクトがある映像からクイズを出題する。
決まったコーナータイトルはなく、ホームビデオ映像の内容に合わせて以下のようなタイトルで放送される。1時間枠初期の頃は1回の放送で3問程取り上げられたが、他のレギュラーコーナー開始につれ、第1問のみに減少。末期になるとこのコーナーがない回も増えていった。大抵は数年〜十年以上前の海外のホームビデオ映像を寄せ集めたものだが、視聴者の投稿を受け付けており、採用されると10万円、問題に採用されると30万円が贈られる。 2023年の『ご長寿グランプリ』で復活。ただし視聴者投稿ではなく海外からの映像のみとなった。

  • からくりウォッチング — 面白い映像を披露する。
  • からくりFAMILY — 家族内での面白い映像を披露する。
  • からくり動物園 — 面白い動物の映像を披露する。
  • からくり世界のトピックス — 世界各国の面白い映像を披露する。
  • KARAKURIこどもCLUB — 子供の面白い映像を披露する。
  • からくり今週の傑作ビデオ — 様々な面白いホームビデオ映像を披露する。
  • からくりわがやのニュース — 家族のニュースを紹介する。
  • からくり衝撃の事件簿
  • ANIMAL WORLD
  • わんぱくKIDS
  • からくり慣用句辞典
  • からくりドタバタ特集
  • からくり親子物語
  • ぼくらの街の人々
  • からくりビデオ絵日記

からくり熱中少年物語

元々は「『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』で登場した『ギター少年』こと山岸竜之介のその後が見たい」という視聴者のリクエストに答える形でスタートしたコーナーで、野球ギター将棋など様々な事に熱中している子供の様子を特集、紹介する内容。第1問で取り上げられることも多い。『ギター少年編』はドラマチックな展開からか女性からの人気が高く、『将棋少年編』は将棋少年の精神年齢の高さや、まるで大御所の落語家のような喋り方をすることから必ず笑いが起こり、男女問わず人気が高い。さんまは将棋少年をとても気に入っているらしく、ギター少年編になると「将棋少年見たかったなぁ〜」といつもがっかりする。関根勤は「人生の先輩にしたいですね。」とまで言った。将棋少年の時には視聴率が高かったらしいが、将棋少年は学業に専念するため番組を卒業した。さらに栃木県の『農家少年編』とインド人の父親と日本人の母親とのハーフの『ボクシング少年編』、『芸術少年』も登場した。このコーナーに出演した並木瑠璃は後に歌手デビューを果たし、並木のバンドメンバーだった宮澤佑門オジー・オズボーンのライブに何度か飛び入り参加したりと海外での活動も展開[4]、「世界最年少プロギタリスト」としてギネスブックに記録されている[5]

からくり熱中少年少女スカウトキャラバン

「からくり熱中少年物語」の予備軍を探すべく、スタッフが日本全国の幼稚園を訪れ、子供に「熱中していること」を聞いてまわる。「からくり熱中少年少女スカウトキャラバン・追跡編」として、面白い受け答えをして過去に番組で紹介した子供のその後の様子を放送することもある。

からくりみんなの! かえうた

2003年 - 2014年放送。司会はTBSの安住紳一郎アナ(〜2008年9月) → 山本匠晃アナ(2008年10月〜)。日頃のうっぷんや悩み、忘れられない思い出などを替え歌で発表してもらう。OL主婦サラリーマンの3人が審査を行い、歌いきったら3万円分の食事券がプレゼントされる(スペシャル時は7万円)。しかしいつも貰えるわけではなく、審査員が歌詞に品がない(下品である)と判断すると、歌っている途中で赤の×が描かれた黒幕が降ろされてしまい、失格となる。

内容は「サラリーマンかくし芸コンテスト」から引き継がれており(音質が向上した)、3問目に取り上げられることが多い。スペシャル時には「紅白歌合戦」・「全国大会」・「家族対抗歌合戦」・「オールリクエスト大会」・「レコード大賞」・「あなたが選ぶスキウタ」・「替え歌ワールドカップ」・「かえうた甲子園」などのサブタイトルがつき、スペシャル版が放送され、当時同局アナウンサーだった小林麻耶(現在フリーアナウンサー)もアシスタントとして登場していた。

前身コーナーの「かくし芸コンテスト」の頃からスタジオ出演者の対決企画の罰ゲームに指定されており、さんま・うつみ・玉緒ほかゲストも含めて、全員この舞台に立っている。

稀に強烈なキャラを持つ出演者(例:演歌が趣味の高校生、オネエ系教師など)が登場し、その後番組自体の企画に抜擢されるケースが多い。前述の「演歌が趣味の高校生」として出演していた大江裕は企画に抜擢後、「のろま大将」で演歌歌手デビューすることになった。

また、『芸能人かえうた王決定戦』という2時間スペシャルも放送された。予選(決勝大会出場権獲得を賭けたもので、タレントや芸人、アイドルなどが出場する)を開催して(行われないこともある)、そのあとの決勝大会は予選を勝ち抜いた者(予選で落ちたが特別審査枠で出場したケースもある)だけでなく、予選には出ていない芸人やタレント、人気アイドルグループや大ヒット曲を出した歌手なども替え歌を披露する。水木一郎率いるアニソンユニットや坂本冬美のようにスタジオではなく中継場所で替え歌を披露することがある。2015年4月26日19:00 - 20:57にこのコーナーの復活特番「明石家さんまの芸能人かえうた王決定戦SP」が放送された。

からくり・それってホント?

雑誌、ブログなどで紹介されている、芸能人の隠れた特技、趣味が本当なのかをスタッフが探り、芸能人に特技を披露してもらうコーナー。「からくりけん玉同好会」は本コーナーから生まれた。

からくり・うちの子大丈夫?

芸能人の子供が留守番ハウスで、留守番を体験するコーナー。「知らない人を家の中に入れてはいけない。」など、約束通りに守っているかを芸能人である親が別室のモニターで観察する。9月13日放送分から駄菓子屋を借りた「店番編」が始まった。

小倉優子の苦手克服企画

小倉が苦手としているダンス水泳ゴルフに挑戦するコーナー。

小倉優子音楽隊

サザエオールスターズの項を参照。

GTO下地先生のウキウキ家庭訪問→帰ってきたGTO下地先生の3者面談

前述の「からくりみんなの! かえうた」に登場していた「オネエ系教師」下地敏雄先生(中学校教諭)が赤荻歩アナウンサーと共に悩みを持つ中学生の家庭を訪問して、悩みを解決する。なお、ロケ地は下地先生の勤務先(福岡県久留米市)の関係で福岡県大分県熊本県など九州でのロケがほとんどである。「GTO」はGreat Teacher Onee(オネエ)の略。

はじメシ(恥飯)

「人前では恥ずかしくてできないけれど、一人でいる時に限って思わずやってしまう」という、自分だけの美味しい食べ方を紹介するコーナー。また、出演者たちから紹介されたものの多くが(一般的に)想像できない程の仰天メニューが大多数を占める。

田中みな実企画

TBSの田中みな実アナウンサー(放送当時)のぶりっ子キャラを直そうといろいろな所へ社会勉強をする。この番組を見て南海キャンディーズ山崎静代が不快感を示し、因縁の相手となっている。

女子高生スペシャル

2012年7月1日開始。司会はTBSの山本匠晃アナウンサーが行いパネラーに女子高生が出演し、本音を発表する。

からくりビデオレター

1996年7月7日にスタート。地方からビデオで子供にメッセージを送る。その日のゲストの地元へ出向き、家族や恩師などからのビデオレターが放送されることもあった。このコーナーの「野球部を辞めてソフトボール部に入った。」というVTRから、さんまの代表ギャグの1つである「意味ないじゃ〜ん!」が誕生し、[注釈 15]明石家マンション物語』でこれを題材にした「大日本意味なし教」という定番コーナーができた。2005年春からは「からくりビデオレターリターンズ」という続編コーナーがスタートした。開始時のBGMは、ふるさとを模したBGM。内容によっては感動的なものがあり、回答者が公の場を忘れて号泣することもある。前述した「ご長寿グランプリ」でもメッセージを送る相手を子供から過去の自分に変えて復活しており、こちらはBGMが竹原ピストルの「よー、そこの若いの」に変更されている。

からくりビデオレターリターンズ

かつて「からくりビデオレター」のコーナーに出演した家族が番組にビデオレターを送る。5年前など結構前に取り上げられた家族も多いのだが、誰かが亡くなっていたりすることは全くなく、逆に子供が増えていたりする。4問目に取り上げられることが多い。

玉緒が行く

1996年4月21日スタート。中村玉緒がいろいろな事に挑戦する[6]。初回の職業は、コンビニでのアンパン販売だった。このコーナーで玉緒は『197種もの職業』を一週も休まずに挑戦し続けた。もちろんスタジオ収録を欠席しても、VTR出演という形でこのコーナーは通常通り放送していた。2000年に終了した。後にこのコーナーで玉緒に大工仕事を教えた石澤盛男が「からくりお悩みパビリオン」や「棟梁のお悩みエリート塾」に抜擢、出演した。後期には番組の最後に「玉緒が行く未公開シーン」を放送していた。このコーナーからの出題の大方は「玉緒がまた何かをしでかしましたが、何をしでかしたのでしょうか?」というもので、常に一般人にはとても考えつかないような行動が正解となるため、さんまからは「お母さん、何考えてまんねん」と呆れられる。ただ、ごく初期の頃は、「玉緒は今回どんな職業体験をするのでしょうか?」というものであり、コーナーの冒頭に出題されていた。

玉緒と行く

「玉緒が行く」の続編。玉緒がその道のプロと共にいろいろな事に挑戦する。前作の「玉緒が行く」ほどの長続きはしなかった。

玉緒の結婚相談所

玉緒が未婚の相談者の相談にのるコーナー。前述の2コーナーよりも長続きはしなかった。

からくり残像クイズ

1時間枠拡大後すぐの1996年5月頃に放送。さんまが「右から左に文字が流れるタイプの電光掲示板は、文字が流れる機能が壊れても見ている人が首を右から左に振れば流れている文字が読める」という発見をしたことから始まった期間限定のクイズ。

文字が流れる機能を停止させた右から左に文字が流れるタイプの電光掲示板に何と書いてあるかを早押しで当てる。

VTRはなく、スタジオのみで行うというこの番組では珍しいタイプのクイズで、解答者が文字を読むために必死に左右に首を振る姿が好評だった。

からくりお悩みパビリオン

2000年10月8日(秋の特大号)にスタート。特設ボックスで加藤淳・青木政司・石澤盛男ら3名が、人生や進路の悩みを解決する。キャラクターの濃い加藤の人気が最も高く、石澤の出番は驚くほど少なかった。青木は稀に悩みを解決することができたものの、加藤に関しては本質的な回答にはほとんどいたらなかった。一方、石澤は十分解決することができたものの、これが石澤の出番が少なかった理由の1つでもあった。

棟梁のお悩みエリート塾

「玉緒が行く」で登場し、「からくりお悩みパビリオン」にも出演していた石澤盛男が、子供の悩みを解決する。我妻泰熙や吉田昌平が出演しタレントに転進した。

加藤淳の日本浪漫紀行

「サラリーマン早調べクイズ」や「からくりお悩みパビリオン」で評判だった加藤淳が日本国内を旅する。

大青木越前

「ご長寿早押しクイズ」や「からくりお悩みパビリオン」に出演していた青木政司が若者の悩みを解決する。青木本人の希望で行った一回きりのコーナー。コーナー名の由来は同局がナショナル劇場(当時)枠で放映していた『大岡越前』が元である。

からくり隣の若奥さま!

司会はTBSの安住紳一郎アナウンサーで、審査員は加藤淳・青木政司で理想の嫁を選ぶ。あまり長続きしなかった。

サラリーマン早調べクイズ

1999年10月3日(秋の特大号)にスタート。司会はTBSの安住紳一郎アナウンサーで新橋駅前若しくは西新宿にある公衆電話の前で、2人の酔っ払っているサラリーマンに問題を出題し、公衆電話を使い知人に電話を掛け、調べて解答してもらう。そのやり取りからクイズを出題する。正解者には、土産として高級寿司がプレゼントされる。

安住アナが酔っ払いのサラリーマンを相手に奮闘する司会ぶりが好評で、このコーナーをキッカケに安住アナはTBSの看板アナウンサーとして名前を知られることとなった。さらにとある回で因縁をつけてきた回答者の要求で、『司会者と回答者が入れ替わる』という前代未聞の事態が発生。このことは放送当時のクイズとなったほか、オールスター赤面申告!ハプニング大賞でピックアップされた。また、加藤淳がこのコーナーから「からくりお悩みパビリオン」・「加藤淳の日本浪漫紀行」に出演をしタレントとしても活動している。このコーナーに出演していた人たちは、現在もリニューアルしたコーナーに出演することが多い。2003年に終了した。

なお、TBSのドラマ『木更津キャッツアイ』最終回に、サラリーマン早調べクイズのシーンがあり、安住アナがドラマ出演を果たしている(回答者はうっちー役の岡田義徳で、天津丼が分からず「かに玉丼」と答えていた。)

サラリーマンかくし芸コンテスト

「サラリーマン早調べクイズ」の続編としてスタート。司会は安住アナで出演者が自慢のネタを披露する。出演者のほとんどは「サラリーマン早調べクイズ」に出演した人が出演している。このコーナーで多くの人が披露した替え歌が人気だったため、「からくりみんなの!かえうた」に引き継がれる形で終了した。

からくり外国人日本王

2007年4月15日スタート。司会はTBSの蓮見孝之アナウンサー又は伊藤隆太アナウンサーで日本になじみのある外国人が日本に関する問題を出題し、チャンピオンが答える。そのやり取りからクイズを出題。万が一、チャンピオンが答えられなかった場合は新たなチャンピオンが誕生となる。

初代チャンピオンは、ロバート・ボールドウィンだったが、2008年2月3日の放送にてロシア出身のエレナ・ビノグラドワについに敗れ、2代目の日本王誕生の幕開けとなった。また、同年2月24日の放送では「からくり外国人日本王・特別編」として、初代日本王・ロバートの追跡編が放送された。その後2代目の放送を1回挟み2008年4月27日の放送にてロバートが日本王に返り咲いた。

なお、そのロバートは後日、他局の番組(『笑っていいとも!』)にゲスト出演し、一躍話題を呼んだ。

からくり列島中継

2003年2月9日スタート。「サラリーマン早調べクイズ」でパニックになり、スタジオを爆笑の渦に巻き込んだ桜田さん(通称、玉ちゃん)が日本国内の名所をパニックになりながら中継する。その様子からクイズを出題。また、桜田のフォロー役としてJNN各局の女性アナウンサー(CBC加藤小百合など)も登場している。

知識の泉

2000年4月2日(春の特大号)にスタート。浅田美代子長嶋一茂西村知美(西村が産休のときは松嶋尚美)が高級レストラントークをする。時折、非常識ともいえる発言も飛び出した。トーク中、さんまを馬鹿にする発言を行い(特に、長嶋・西村)、さんまを激怒させたこともあった。このコーナーに限って浅田・長嶋・西村・松嶋にはスタジオでの解答に制限があるものの(解答開始時は解答ができない)、自分自身でも何を言ったのか忘れてしまい、本人も正解できないこともしばしばあった。

コーナー終了からしばらくして、復活したがその後再び終了した。

新しい知識の泉

上記の『知識の泉』と概要はほぼ同じだが、ゲストを招いていた。

知識の小泉

上記の『知識の泉』と概要はほぼ同じだが、準レギュラーであるTBSの安住紳一郎アナウンサー、セイン・カミュ鈴木史朗アナウンサーが、ロケの苦労話を交えつつトークをしていた。

KARAKURI FUNNIEST ENGLISH

『さんまのからくりTV』時代~『SUPER』初期に稀に出題されていた「からくり基礎英語」のリニューアル版として1996年10月27日にスタートした。 セイン・カミュ日本人英語で質問をして、英語で回答を求める。返ってくる英語は日本語訳すると珍回答になるものが多く、それが人気を博した。稀に外国人が近くを通りかかった際、セインは勝手に進行を外れて、外国人と英語で楽しく会話していた。後述のセイン進行によるコーナーの開始により発展的に終了した。コーナー終了後も数回放送され、ファニエスト外語学院にも出演するボビーもセインとともに進行したことがある。

KARAKURI FUNNIEST JAPANESE

2000年10月8日(秋の特大号)にスタート。セイン・カミュが日本在住の外国人に英語で質問をして、日本語で回答を求めるというもの。慣れない日本語に珍発言もあった。このコーナーでボビー・オロゴンなどが初登場した。

セインのファニエスト外語学院・日本語学科

セイン・カミュが「KARAKURI FUNNIEST JAPANESE」に出演した外国人に日本語を教えたり、様々な職業体験を実践させる。その外国人たちの言い間違いや悪ふざけにセインがツッコミを入れる、というのが主流だった。後にこのコーナーのメンバーだったボビー・オロゴンアドゴニー・ロロがタレントデビューした(ボビーはタレント兼格闘家、アドゴニーはタレント兼映画俳優)。このコーナーの初期メンバーで槇原敬之より提供された楽曲「ハトマメ 〜Say Hello To The World〜」でポニーキャニオンよりCDデビューしている。2005年3月に「セインのファニエスト外語学院」が終了した。「KARAKURI FUNNIEST ENGLISH」に出演して面白い回答をした日本人に英語を教える「セインのファニエスト外語学院・英語学科」を行なったこともあったが、実質「セインの実践英会話」と同じ内容になってしまったため、こちらは僅か数回で終了した。出演者は次の通りである。

  • 2002年度 セイン・カミュ ボビー・オロゴン エリック・ロビンソン アドゴニー・ロロ
  • 2003年4月~2004年1月 セイン・カミュ ボビー・オロゴン アブドゥール・ハキーム・アミール アドゴニー・ロロ
  • 2004年2月~2005年3月 セイン・カミュ ボビー・オロゴン アドゴニー・ロロ

ファニエストトークショー

様々な分野の人を招待し、「セインのファニエスト外語学院・日本語学科」のメンバーとトークをする。僅か数回で終了した。

セインの実践英会話

セイン・カミュが街頭インタビューで見つけた英語に興味のある日本人や面白い回答をした日本人に英語を教える。

からくり母子手帳

かつて「セインの実践英会話」に出演し、珍回答を連発していた加治佐朱美が子供を出産するまでを取材し、そこからクイズを出題する。

セインのからくりイングリッシュジャーニー

セイン・カミュが日本各地を旅して町の人と英語で話す。問題は三択で、町の人とのやり取りがこの後どうなるか解答する。2006年10月頃から始まった。

からくりお宅訪問

取材に協力してくれた家の人にスタッフが指示したものを持って来てもらい、「何を持ってくるか」を三択クイズで出題する。トップ賞になった解答者は持ってくるものを予想する。かつては「からくりチャンス」の問題は「ご長寿早押しクイズ」のみだったが、2003年冬から『さんまのからくりTV』時代に「からくりチャンス」として出題されていた「お宅のアレ、もってきてください!」のリニューアル版として復活した。最近では「国際下宿訪問」など、学生寮を訪問することもある。ごくまれだが通常問題として出題される場合もある。こちらも最近はほとんど放送されていない。

からくり世論特捜隊

道行く人に質問をし「イエス」か「ノー」で回答してもらい、その理由を聞く。問題は三択で出題される。こちらも同じく、ごくまれに通常問題として出題されることもある。なお、質問の結果は集計し円グラフにする。

からくりこだわりインタビュー

2006年5月頃にスタート。こちらも上記のコーナー同様、道行く人に質問をするが、こちらは「もし、○○だったら何をするか」という質問をし、回答してもらう。三択問題で出題される。また、ごくまれだが通常問題として出題される場合もある。

からくりザ・ランキング

現在、流行のものや自分だけのブームなどを道行く人に聞き、ランキングを制作。面白い回答をした人の回答やその理由を当てる。通常問題として出題されることもあり、その場合、2・4問目辺りに出題する事が多い。

からくり中継クイズ

スタジオ出演者の家族が生中継で三択クイズを出す。ごくまれだが通常問題として出題される場合もある。これはアンタッチャブル山崎弘也がとある日の同番組収録中に山崎の実母が「さんまのファンだ」と言っていたことを告白、この事からこのコーナーが誕生したものとみられる。なお、これまでのシリーズものとしてこの山崎の家族(夫妻)シリーズのほか、プロレスラー中西学シリーズがこのコーナーで登場している。

松岡修造の人間とは何だ?!

松岡修造が相談者の悩みを解決する。松岡本人の持ち込み企画だったが、相談者の応募が少なかった上に、松岡が暴走し相談者が困惑するという、さんまも唖然とする内容だった。
すぐに松岡本人が「松岡修造の父とは何だ!? 」に企画変更した。

松岡修造の父とは何だ!?

松岡が子供との会話の無い父親の手助けをするコーナーで、松岡本人の持ち込み企画の続編。やはり、さんまも唖然とする内容で、僅か数回で終了した。

からくりテニス同好会

さんまが「打倒・松岡修造」を目的に結成した同好会メンバーが、プロの指導を受けてテニスの練習をする。その様子からクイズを出題。スペシャルでは、実際に松岡とテニス対決を行なった。

熱いプロレスラー中西学のお悩み相談焼肉相談亭

司会はTBSの駒田健吾アナウンサーとおぎやはぎが務める(かつてはアシスタントとして山上友梨や南明奈も登場した)。中西学が相談者の悩みを聞き悩みを解決する。中西本人の希望で「熱いプロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」にリニューアルしたが、内容は全く同じだった。

からくり卒業文集

2003年9月28日(秋の特大号)にスタート。小学校時代や中学校時代の面白い卒業文集を発表する。長嶋一茂やガレッジセールゴリの卒業文集が発表された。

おともだちをつくろう

お互い初対面の小学生数人のグループ2組を招き、仲良くなる過程を観察するコーナー。仲良くなった小学生は特設ボックスで、番組ADの「(通称)ぼたんちゃん」のガイダンスにしたがって改めて自己紹介を行い、それらの過程からクイズを出題する。開始当初は子供ならではの自然な無邪気さが好評で、面白い子供が続出した「棟梁のお悩みエリート塾」のような人気コーナーになるかと思われたが、しばらくすると特設ボックスでネタとも取れるような(いかにもテレビに映ることが目的の)わざとらしい演技や踊りをする子供があらわれ、その上、「内気で最後まで初対面の小学生に話しかけられず、気まずくしている子供がかわいそう」という意見も出たため早々に終了した。

熱いプロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭

2005年10月に放送開始、司会はTBSの駒田アナウンサーとおぎやはぎで、中西が相談者の悩みを解決する。ただ本質的な解決には至らず、中西の珍発言に注目が集まる。外に出て決闘したりすることもある。リニューアル前のこのコーナーは中西が熱血発言で元気をもらうのも目的だったが、「格言」がなくなったためか、人気は落ちているらしい。
このコーナーは、おぎやはぎが「この番組にどうしても出演したい」と言った結果まかせられたコーナーであるが、本人達は「(中西さんとは関係のない)他のコーナーがよかった」と愚痴を言っている。2問目あたりで出題されることが多い。2007年10月頃からはほとんど放送されていない。

生徒だけの学級会

生徒が教師について思っていることを発表する。時には先生と問題発言(?)をした生徒が実際に向き合って対決することもある。2問目、4問目に取り上げられることが多い。

からくりみんなの部室

女子高生が部室などであるテーマについて自由に話し合う。そこでの発言からクイズを出題。

からくり奥様だけのティーパーティー

仲の良い奥様達に集まってもらい、お互いに自分の旦那への愚痴や治して欲しい所について自由に話し合う。そこでの発言からクイズを出題。

お父さんのためのメール添削講座

仲の良い女子高生(後に進学して女子大生になった)4人組に集まってもらい、携帯電話のメールで娘とうまくコミュニケーションが取れなくて困っているお父さんに、メールのテクニックを教えたりアドバイスをしたりする。そのやり取りからクイズを出題する。「からくりチャンス」として三択問題で出題されることもある。

からくりメッセージボード

悩みを持つ人が街頭で通りすがりの人からアドバイスや励ましの言葉をかけてもらう。そのやり取りからクイズを出題する。「からくりチャンス」として三択問題で出題されることもある。

からくり川柳

司会はTBSアナウンサーの伊藤隆太アナで、出演者が男女に別れ川柳を発表し合う。定期出演者として、若手芸人と一般人、コギャル風の女子高生2名がいる。審査員には関根勤、加藤淳、やすみりえがいる。1問目、4問目に取り上げられることが多かった。

からくりご両家顔合わせクイズ

司会はお笑いコンビのおぎやはぎでこれから結婚しようと考えているカップルの両家族が初対面し、クイズを出し合う。4問目に取り上げられていた。

若手芸人が全国各地でクイズ探し

「からくりチャンス」として出題された。お笑い芸人がクイズを探し、問題は三択で出題される。レイザーラモンHGが出演した。わずか一回で終了した。


注釈

  1. ^ スタジオ映像と一部VTR
  2. ^ ロート製薬の一社提供(ただし、1991年10月から1992年3月29日までの期間は、同社を含む複数社提供)だった。
  3. ^ それ以前の改編期や年末は「傑作リクエスト大会」として過去に取り上げられたホームビデオの総集編を放送。
  4. ^ それ以前の30分時代初期は魚のさんまの形を象ったもので、頭と尾の間(胴体部)にタイトルが書かれていた。
  5. ^ 30分時代初期の頃は視聴者に対してもテロップで流す形で正解を見せており、中期以降も解答者からなかなか正解が出ない場合は視聴者に対してテロップで正解を見せることがあった。
  6. ^ なお、当選した視聴者から見ればこの「残念」という演出には矛盾が生じる。
  7. ^ 元々席には早押しボタンは設置されていなかったが、本人の希望により1997年頃に早押しボタンが設置され、ご意見番兼解答者という形に定着した。
  8. ^ 稀に、他の出演者らと同じく通常の席で参加するケースもあった。
  9. ^ 初期は鈴木のタイトルコールでスタートしていた。名人戦の場合は別専用オープニング曲を使用。
  10. ^ ロケ収録は主に関東地方とその周辺の市町村を訪れて行われた。群馬県栃木県茨城県千葉県山梨県福島県静岡県など。ただし、名人戦の場合は初期は東京都内のホテルなど行われ(例:第5回名人戦は「目黒雅叙園」開催)、その後は関東近郊の旅館や料亭などで開催することが定着していた。
  11. ^ 大抵は司会席が用意されているが、初期の頃は会場の都合で襷付きの板を机代わりにする場合が多かった。
  12. ^ 初期の頃は、解答者が何と答えたかを3つの選択肢から予想。
  13. ^ この番組の性格上(あくまで娯楽番組であり事実を伝えることが主目的ではない)、仮にこのようなやらせまたはやらせまがいの演出がされていたとしても即問題になるとは言い切れない面もあるが、日本におけるメディアリテラシーの観点から好ましくないと見られていることから、このような議論が常につきまとっている。
  14. ^ ノミネート候補者の中には罰ゲームで参加した浅田美代子も挙げられた。
  15. ^ 野球部を辞めてソフトボール部に入った息子に対して、父親(一般男性)が「(似た競技で転部した)意味ないじゃん」とコメントした場面がスタジオの出演者や観客の爆笑を誘った。野球とソフトボールは同じような競技と思われやすいが、いくつかの相違点がある

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