F1参戦・エンジンサプライヤー(1994年 - 2009年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「F1参戦・エンジンサプライヤー(1994年 - 2009年)」の解説
メルセデス・ベンツは1991年をもってスポーツカーレースから撤退し、自社チームによるF1参戦計画も中止していたが、イルモアに資本参加したことを契機としてF1とインディカー(CART)にエンジンサプライヤーとして復帰した。1996年をもってそれまで参戦していたツーリングカーレースのDTM/ITCが終了したため、メルセデスAMGを通じてFIA GT選手権に参戦し、2年にわたって席巻。 1994年3月、ザウバーにエンジン(イルモア製)を供給する形でF1に復帰する。(→#ザウバー) 5月、インディ500(英語版)でメルセデス・ベンツ・500Iエンジン(イルモア製)を搭載したペンスキー・PC-23(英語版)が優勝する(ドライバーはアル・アンサーJr.)。(→#1994年インディアナポリス500) 1995年F1エンジンの供給先をザウバーからマクラーレンに変更する。(→#マクラーレン) 5月、ロイターに代わって、ユルゲン・シュレンプがダイムラー・ベンツの取締役会会長に就任する。シュレンプはロイターによって分社化された組織の再統合と、クライスラーとの合併を推し進める。 1996年6月、F1に公式セーフティーカーとメディカルカーの供給を開始する。以降、2020年まで、メルセデスAMG車両がF1のセーフティーカーとして独占供給される。(→#セーフティカーとメディカルカーの供給) 国際ツーリングカー選手権(ITC)のシーズン半ば、競合メーカーだったオペルとアルファロメオがこの年限りで撤退することを表明し、選手権に残るのがメルセデスだけとなったため、翌年の選手権自体が消滅してしまう。 1997年3月、マクラーレンがF1開幕戦オーストラリアグランプリで優勝し、メルセデスエンジン搭載車としては1955年以来のF1レース優勝を遂げる(ドライバーはデビッド・クルサード)。この年は計3勝を挙げる。 4月1日、組織再編により、メルセデス・ベンツ社(Mercedes-Benz AG)がダイムラー・ベンツ社(Daimler-Benz AG)に吸収される。 4月、DTM/ITC消滅で行き場を失ったため、FIA GT選手権に参戦することが前年中に急遽決定し、CLK-GTRを急造で開発し、スポーツカーレースに復帰する。(→#GT1/LMGTP) 9月28日、ニュルブルクリンク(ドイツ)で開催されたルクセンブルクグランプリの決勝レースを1-2体制で走行していたマクラーレン・メルセデスが、2台ともエンジントラブルで相次いでリタイアする。この失態の汚名をすすぐため、ダイムラー・ベンツはすでに資本関係を持っていたイルモアへの関与をより一層強めることになる。 FIA GT選手権でAMG・メルセデスチームがチームチャンピオン(GT1)となる。 1998年 ミカ・ハッキネンとマクラーレン・MP4-13(1998年) 11月12日、ダイムラー・ベンツとクライスラーが合併し、「ダイムラークライスラー」(DaimlerChrysler AG)が設立される。 マクラーレン・メルセデスがF1コンストラクターズタイトルを獲得する。同チームのミカ・ハッキネンがF1ドライバーズタイトルを獲得し、マクラーレン・メルセデスはダブルタイトルを制覇する。 FIA GT選手権でAMG・メルセデスチームが10戦全勝でチームチャンピオン(GT1)となる。しかし、2年連続でメルセデスチームがあまりにも圧勝してしまったため、GT1クラスに参戦していた他メーカーは全て撤退してしまい、FIAは翌年の選手権ではGT1クラスを設けないことを決定する。 1999年1月1日、ダイムラークライスラーがAMGの株式の51%を取得して子会社とし、同社の社名を「メルセデスAMG」(Mercedes-AMG GmbH)に変更する。この際、AMGの創業者であるハンス・ヴェルナー・アウフレヒトはAMGのレース部門を分離してHWA社(ドイツ語版)(HWA AG)を設立し、以降はメルセデスAMGのレース活動はHWAが担う体制となる。 6月、ル・マン24時間レースでCLRが空中を舞うアクシデントを三度起こし、同レースから撤退するとともに、その後は自社チームによるスポーツカーレース活動を停止する。(→#CLR: ル・マンの事故と撤退) 7月、ダイムラークライスラーがマクラーレン・グループ(英語版)の株式の40%を取得することを発表する。 マクラーレン・メルセデスのミカ・ハッキネンがこの年もF1ドライバーズタイトルを獲得し、連覇を達成する。マクラーレン・メルセデスはコンストラクターズ選手権では2位となる。 2000年2月3日、ダイムラークライスラーがマクラーレンに資本参加し、発行済み株式の40%を取得する。 5月、ドイツツーリングカー選手権(DTM)の再開に伴い、参戦を開始。2018年まで同選手権への参戦を続ける。(→#新DTM) 2002年フォーミュラ3(F3)向けにエンジン供給を始める。(→#フォーミュラ3) 9月20日、ダイムラークライスラーがイルモアの発行済み株式の55%を取得して傘下に置き、同社の社名は「メルセデス・イルモア」(Mercedes-Ilmor Ltd.)に変更される。 2005年1月1日、ダイムラークライスラーがAMGの株式を100%取得して完全子会社にする。 6月、メルセデス・イルモアがメルセデス・ベンツ・ハイパフォーマンスエンジン社 (Mercedes-Benz High Performance Engines Ltd.) に改名する。この際、ダイムラークライスラーは同社を完全子会社とする。 2007年10月4日、ダイムラークライスラーがクライスラー部門を分離し、社名を「ダイムラー」(Daimler AG)に変更する。 2009年 ジェンソン・バトンとブラウン・BGP001(2009年) それまでマクラーレンのみに供給していたF1エンジンを他チームにも供給するようになり、この年はフォース・インディアとブラウンGPにもエンジンを供給する。 3月29日、F1開幕戦のオーストラリアグランプリをブラウン・メルセデスが1-2フィニッシュで制する。F1デビュー戦で1-2フィニッシュを達成するのは1954年フランスグランプリのメルセデス以来の快挙となる。 10月18日、ブラジルグランプリまでの結果により、ブラウン・メルセデスがF1コンストラクターズタイトル獲得を確定させる。同レースで同チームのジェンソン・バトンのF1ドライバーズタイトル獲得も確定し、ブラウン・メルセデスは参戦初年度にダブルタイトルを制覇するというF1史上前例のない記録を打ち立てる。 11月、ダイムラーがブラウンGPを買収し、メルセデス・ベンツ・グランプリ社(Mercedes-Benz Grand Prix Limited)を設立し、翌年からF1に自社チームを参戦させることを発表する。
※この「F1参戦・エンジンサプライヤー(1994年 - 2009年)」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「F1参戦・エンジンサプライヤー(1994年 - 2009年)」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。
- F1参戦・エンジンサプライヤーのページへのリンク