エンジン供給
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1983年からはロータスやティレル、リジェなど、当時の強豪チームへのエンジン供給も行ない、ロータスのアイルトン・セナとエリオ・デ・アンジェリスにより計5勝をものにした。 1983年途中からルノーエンジンを搭載したロータスが、1984年には早くも同じエンジンを積む本家ルノーを選手権順位で上回る結果となったことで、ルノーの車体性能の劣勢が露わとなる。プロストが1983年限りで離脱したこともあって、チーム力の低下は否めず、コンストラクターとしての参戦は1985年に終えた。エンジン供給は1986年まで行ったものの、コンストラクターとしてのルノー、そしてエンジンサプライヤーとしてのルノーともに選手権でのタイトルを何も獲得できないまま、ルノー本社の一時的な経営不振を受け、ルノーにとっての最初のF1挑戦を終えた。
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エンジン供給
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「ブリティッシュ・レーシング・モータース」の記事における「エンジン供給」の解説
他の英国系チームがコヴェントリー・クライマックスやフォード・DFVなどの市販レーシングエンジンを使用していたのに対し、BRMは一時期を除いて、一貫してシャシーとエンジンを自社製作するフルコンストラクターとして参戦していた。他チームへのエンジン供給も行っており、1962年から1965年にかけては、1,500ccのP56エンジンをBRP、ギルビーなどのチームが搭載した他、ロータスやブラバムのシャシーと組み合わせて、多くのプライベーターが使用した。 1966年に開発したH型16気筒のP-75はロータスも使用したが(タイプ43)、BRM同様に低迷の原因となり、ジム・クラークがアメリカGPでこのエンジン唯一の勝利を得るに止まった。この他、V型12気筒のP-142をマクラーレン、クーパーなどグランプリF1チームやスポーツカーレースのミラージュが使用した。
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