ブラバム
イギリスのコンストラクター。F1で2度チャンピオンに輝いたオーストラリア人ドライバーのジャック・ブラバムが、同郷の設計者ロン・トーラナックと1961年に設立。62年からF1に参戦する一方、F2、F3などのフォーミュラマシンを製作・市販した。F1では66、67年にコンストラクターズタイトルを獲得、市販フォーミュラの分野でも一時は世界最大のシェアを誇った。70年にブラバムが引退したあと、71年末には現在のF1界のドン、バーニー・エクレストンがチームを買収。70年代中盤からはゴードン・マーレー設計の独創的なマシンでF1に専念し、81、83年にはネルソン・ピケがドライバーズ・チャンピオンに輝いた。しかし、その後の成績は下降線をたどり、88年にエクレストンはチームを売却。やがて資金難に陥り、92年を最後にF1界から姿を消した。
ブラバム
ブラバム
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ブラバム・モーターレーシング(英: Brabham Motor Racing Developments Ltd.、別名: Brabham Racing Organisation)は、1962年から1992年まで存在したレーシングチーム・コンストラクターである。F1を中心に活動し、フェラーリやロータス同様に名門チームのひとつに数えられていた。
注釈
- ^ チームとしては第1戦オランダGP、コンストラクターとしては第6戦ドイツGPがデビュー戦となる。
- ^ 結局このコンセプトは、ゴードン・マレーがマクラーレンへ移籍後1988年にデザインしたマクラーレン・MP4/4によって、高いレベルで実現されることになる。
- ^ FOCAが更なる開発競争、市販車の宣伝効果を狙いF1のサポートレースとして1988年に企画したカテゴリ。NA3.5リッターエンジンを搭載し、25000台以上を生産する量産車のスタイルを保っていればボディの材質やメカニカルな部分の制限は一切無いというWRCのグループSと同等のレギュレーションであったが、マシン製作間によるWRCグループB、S自粛の余波もありマシンを製作したアルファ・ロメオ以外のエントラントが現れず、企画が立ち消えしてしまった。
出典
- ^ 『ピラニア・クラブ F1マネーに食らいつけ』 ティモシー・コリンズ著、熊倉重春訳、二玄社
- ^ ブラバム急転ミドルブリッジGr.がオーナーに グランプリ・エクスプレス 1990ブラジル号 30頁 1990年4月14日発行
- ^ 『Racing on No.421』 イデア、2007年、p67。
- ^ “名門『ブラバム』復活へ。来季WECへの参戦を計画”. AUTOSPORT web. (2014年9月25日) 2014年9月27日閲覧。
- ^ “2019年、ブラバムの名がF1に復活する可能性もあった?”. motorsport.com (2018年2月8日). 2019年2月9日閲覧。
- ^ 2019 BRITCAR CHAMPION TO RACE HIS BRABHAM BT62 FOR 2020 CAMPAIGN – Brabham Automotive
- ^ BRABHAM BT63 GT2 CONCEPT COMPLETES SHAKEDOWN PRIOR TO RACING DEBUT – Brabham Automotive
- ^ 『レーシングオン ブラバム特集号』 イデア、2011年。
- ^ 「歴史を語るチームの顔“エンブレム”」『GPX 1992年』 山海堂、p15。
ブラバム
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「チャーリー・ホワイティング」の記事における「ブラバム」の解説
直後にブラバムへ加入し、後にチーフ・メカニックに昇格。ネルソン・ピケのメカニックを担当していた。1981年と1983年にピケ、ブラバムがダブルチャンピオンを獲得した事とBT52の開発にも貢献した事を買われてチーフ・エンジニアに昇格した。ホワイティングは当時のチームオーナーであるバーニー・エクレストンがチームを売却するほぼ同時期の1987年まで10年間ブラバムに在籍した。
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「エターナルアルカディア」の記事における「ブラバム」の解説
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ブラバム(1972年~1973年)
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「ウィルソン・フィッティパルディ」の記事における「ブラバム(1972年~1973年)」の解説
前年の活躍により、翌1972年はブラバムからF1デビューすることとなり、非選手権レースとして初開催されたブラジルGPでデビューを飾った(ブラジルGPは翌年以降正式にF1の選手権に組み込まれる)。ブラバムには翌年まで在籍したものの中団に埋もれ、F2以前のような活躍を見せることもなく、ポイントも1973年のアルゼンチンGP(6位)、ドイツGP(5位)で獲得した3ポイントに留まった。
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