400年代
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400年代(よんひゃくねんだい)は、
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400年代
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詳細は「400年代」を参照 400年代初頭 - 大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。大仙古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)が代表例。副葬品に人物埴輪が現れる。 河内平野には茨田堤や難波の堀江などの土木工事跡も残る。 401年 - クチャの仏僧である鳩摩羅什が後秦の姚興に迎えられ長安に来訪。 402年柔然の社崙が初めて可汗を称する。 柴壁の戦いで北魏が後秦に勝利する。 西ローマ皇帝ホノリウスがミラノからラヴェンナへ遷都。 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコがポルレンティアの戦い(英語版)で西ゴート族の王アラリック1世に勝利。 403年 - 桓玄が東晋の安帝から帝位を簒奪( - 404年)。 404年倭軍がもとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される(広開土王碑)。 コンスタンティノポリス大主教ヨハネス・クリュソストモスが追放される。この追放に伴う混乱で、皇帝コンスタンティウス2世に奉献された初代のハギア・ソフィア大聖堂は焼失する。 修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが剣闘士観戦を禁止し競技場を閉鎖。 405年頃 - ヒエロニムスがラテン語訳聖書「ウルガータ」を完成させる。 406年 - ヴァンダル・スエビ・アラン族などの集団がライン川を渡りガリアに侵入。 408年 - 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコが処刑される。 409年 - 北魏の道武帝が息子拓跋紹に殺害される。
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