コンスタンティウス2世
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コンスタンティウス2世(Constantius II, 317年8月7日 - 361年11月3日[1])は、ローマ帝国の皇帝(在位:337年 - 361年)。当初は帝国を3分割して東方を担当したが、353年に単独の統治者になった。キリスト教を優遇し、猜疑心の強さから粛清をたびたび行なった。父帝コンスタンティヌス1世と同様、熱心なキリスト教徒であったが、父帝とは反対にアリウス派を支持し、司教アタナシウスを迫害した。
- ^ Constantius II Roman emperor Encyclopædia Britannica
- ^ 南川2015、p.22。
- ^ 尚樹1999、pp.52-53。
- ^ a b c 尚樹1999、p.53。
- ^ a b c d e 南川2015、p.30。
- ^ 南川2015、p.32。
- ^ a b 南川2015、p.34。
- ^ a b c 尚樹1999、p.34。
- ^ 南川2015、pp.56-57。
- ^ a b c d 南雲2018、p.151。
- ^ a b 根津2008、p.7。
- ^ [ローマ史]『ブリタニカ国際大百科事典』第2版、TBSブリタニカ、1993年。
- ^ 南川2015、p.13。
- ^ 尚樹1999、p.56。
- ^ コンスタンティヌス1世の時代に元老院が設けられたとする記録もあるが真偽は不明である[14]。
- 1 コンスタンティウス2世とは
- 2 コンスタンティウス2世の概要
- 3 生涯
- 4 コンスタンティノープルとの関係
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
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