380年代
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380年代(さんびゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)380年から389年までの10年間を指す十年紀。
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380年代
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詳細は「380年代」を参照 380年 - ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教と定める(テッサロニキ勅令)。 380年頃 - 「エスクイリーノの財宝(英語版)(大英博物館蔵)」が埋蔵される。 381年 - 第1コンスタンティノポリス公会議。アポリナリオス主義を排斥し、三位一体論の定義やニカイア・コンスタンティノポリス信条を採択。 382年ローマ皇帝グラティアヌスが異教と異教神官の特権を剥奪し、元老院議場から勝利女神ウィクトリアの祭壇の撤去を命じる。同時にグラティアヌスは「最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)」の称号を拒否し、この称号は教皇に譲渡される。 ローマ教皇ダマスス1世に命じられヒエロニムスが聖書のラテン語訳に着手する(ヴルガータ、完成は405年頃)。 383年 - 淝水の戦いで、東晋が前秦に勝利する。前秦の苻堅は求心力を失い、以後華北は分裂する。 384年慕容垂が自立し後燕を建国。 東晋の慧遠が廬山に入り東林寺を創建。 東晋から百済に仏教が伝来する。 アルメニア王国が東西に分割され、それぞれサーサーン朝とローマ帝国の支配下に置かれる。 385年エジプトのアレクサンドリア市のセラピウム(セラピス神殿)が破壊される。 後秦の姚萇が苻堅を殺害する。 386年 - 鮮卑の拓跋珪(道武帝)が自立し、盛楽を都とする北魏を建国。
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