2008年秋の戦闘
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詳細は「2008年北キヴ戦争(英語版)」を参照 2008年10月26日、ンクンダ側の舞台がヴィルンガ国立公園沿いにあった軍事拠点を制圧した。この公園内には主要都市ゴマへと通じる幹線道路があり、その戦略的価値の高さから攻撃対象となった。翌日にはゴマにある国連混成軍基地周辺で暴動が発生し、人々は国連軍が反乱軍鎮圧に何の貢献もしていないと主張して建物に石や火炎瓶を投げつけた。また政府軍もこの反乱により撤退を余儀なくされた。これに対しゴマから7マイル(11km)以内にいるとされる反乱軍の進撃を止めるため、MONUCの攻撃ヘリと武装車両が使用された。国連事務総長特別代表のアラン・ドスは、「人口密集地が脅かされることは許されない。国連は関与せざるを得ない。」と述べ、反乱軍との交戦の必要性を説いた 10月28日、キブンバ難民キャンプとルツルとの間で両軍の戦闘が行われた。この戦闘でルツルへの道路を守る国連軍の車列に5発のロケット弾が撃ち込まれ、装甲兵員輸送車2台を直撃した。インド軍部隊が乗っていた輸送車自体の被害は警備だったものの、乗車していた中佐ら2名が負傷し、また戦闘によってルツルも占領された。一方で市民の暴動も引き続き行われ、退却する政府軍が石を投げつけられる場面もあった。しかし国連広報官のシルヴィ・ヴァン・デン・ウィルデンベルクは、国連がこの地域で「存在を強化」していると表明した。 10月29日、ゴマに近づいた反乱軍は一方的に停戦を宣言したが、依然として街を占領する意思を持っていた。同日フランスがEUに対して行った1,500人の増派要請は複数国の反対により実現しそうになかったが、駐留する国連軍は市街地の占領を阻止すると表明した。その日は一日中市内の道路に難民や撤退する部隊が溢れ、戦車や軍用車両までもがそこに加わっていた。また政府軍による車の略奪や徴用も報告された。その夜、国連安保理は匿名での採決を行い、拘束力はないが数日間の反乱軍の作戦を非難し、進軍の停止を求める決議を全会一致で採択した。また米国国務省はアフリカ問題担当国務次官補のジェンダイ・フレーザーを特使として派遣した。 10月30日、コンゴ人兵士による略奪と暴力・飲酒は依然としてゴマ市内で続いていたが、他部隊や警察が見回りを行って事態の収集を図った。ンクンダはコンゴ政府との直接交渉を要求した一方、「停戦や安全の保証、平和への手続きに進展がなければ」ゴマを占領するとも述べた。その翌日にはコンゴの国連対策本部の同意を得て人道回廊の設置を宣言し、家を追われた人々の帰還を可能にした。ンクンダはゴマ周辺の国連PKO部隊と協力し、直前の戦闘によって発生した負傷者を移送することを希望した。一方でMONUCの報道官は自軍がゴマ市内外の治安維持のため展開されているため手薄になっており、さらにコンゴ人兵士による略奪が負傷者の移送をより難しくしていると述べた。国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」はゴマ市内で一晩に20人以上が殺害されたと報告している。一方で当時米国国務長官だったコンドリーザ・ライスはルワンダ大統領のポール・カガメと接触し、中長期的な解決策について話し合った。また同じく10月31日には英国外相だったデイヴィッド・ミリバンド、フランス外相のベルナール・クシュネルも事態の解決のため現地へと飛び立った。 11月6日、反乱軍側が停戦を破棄し、政府軍と戦闘の上でコンゴ東部の町を占領した。紛争について地域で議論する予定だった日の前日だった。人民防衛国民会議(CNDP)がニャンザレ(英語版)中心部を占領し、以降はここがCNDPの北キヴ州における活動拠点となった。住民の報告によると、CNDPの兵士たちは親政府系武装組織を支援していると疑われる市民を殺害したという。
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