駆落ちとは? わかりやすく解説

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かけ‐おち【駆(け)落ち/×駈け落ち/欠(け)落ち】

読み方:かけおち

[名](スル)

結婚許されない相愛男女ひそかによその土地逃れること。「親に結婚反対されて—する」

ひそかに逃げること。逐電出奔

「あとに残った人は自分の—の為に助かるに違いない考えた」〈漱石坑夫

欠け落ち近世重税貧困悪事などから、居住地離れてよその土地逃げること。


駆落ち

作者藤井邦夫

収載図書赤い馬―秋山久蔵御用
出版社ベストセラーズ
刊行年月2007.10
シリーズ名ベスト時代文庫


駆落ち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 16:26 UTC 版)

諸九尼」の記事における「駆落ち」の解説

松尾芭蕉門下一人志太野坡は主に西日本教え門下1000と言われた。その弟子一人、湖白は医業傍ら福岡を主に俳諧教えていた。湖白は本名有井新之助といい、元禄15年1702年福岡直方生まれた父親福岡藩士であり、新之助文武両道優れ神童といわれた。15歳の時、志太野坡入門20歳時に喀血した。師匠認められるのに10年かかったという。選集などにも選ばれ始めた。旅で俳諧教えていたが、41歳時に出会った庄屋の妻・なみと駆け落ちをした。二人は、不義ということで、間道などを使い駆け落ち京都の同じ俳門出版業者頼ったその後大坂移動した。湖白は浮風と改名し医業棄て俳諧集中した師匠覚えよくなかったが、その後頭角現し師匠13回忌取り仕切った京都移動した蝶夢援助で湖白庵を設けた。なみも浮風に俳諧手ほどきされ上達した宝暦12年1762年)に浮風が没す百日後、なみは剃髪した。浮風の追善集「その行脚」を編集するその後、なみ(諸九尼)は女宗匠目指す明和3年1766年)、諸九尼は初の歳旦帳発行する歳暮新年の句を集めたのである

※この「駆落ち」の解説は、「諸九尼」の解説の一部です。
「駆落ち」を含む「諸九尼」の記事については、「諸九尼」の概要を参照ください。

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