音楽観
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「メロディーは、誰かの心の原風景。懐かしい場所からのメッセージ。 リズムは、死へ向かう生命の行進の音。 歌は祈り、願い、誓い。 音楽は、慈悲。」 — 宇多田ヒカル、「点 -ten-」(2009年) 自身のメロディに関して宇多田は、活動休止以前は「音楽の表面的な意味でのいいメロディを、こう行くとなんか気持ちいいなっていうメロディを、探って探ってつないでいた」という。一方、活動再開(アルバム『Fantome』)以降のメロディは、「マグマが湧いて出てくるみたいな、うねりのようなもの」「ゆっくり、べたべた、地を這う、蛇のようなもの」だと話した。また、そのようなメロディには「日本語がほんとに合う」としており、「沈んでいくタイプの心の残り方をする」とも語っている。また、宇多田はメロディ自体をリズムと捉えているといい、「私からしたら(メロディとは)リズムにピッチついてるみたいな感じ。」とも語るなど、楽曲におけるリズムに対するこだわりを話している。また、アルバム『HEART STATION』リリース時のインタビューでは「音楽のジャンルは、キックとスネアの音で決まる」と語っている。その他にも、子供は大人よりも「変拍子も癖のあるリズムの取り方も素直に受け入れることができて尚且つおもしろがる」ので、「子供と一緒に音楽を聴くのが楽しい」とツイートしている。 作詞は、宇多田が楽曲制作において最後に取りかかる作業である。歌詞集「宇多田ヒカルの言葉」(2017)の序文では、「『誰か』の気持ちを描くことで、自分の意識下にあった気持ちに触れる」ことが宇多田にとっての作詞だと綴っている。そこではまた、それまでの自身の歌詞を次のように3期に分けている。 初期は「自分の無意識にあるものを表面にすくいあげる行為」を無意識にしていた。 第二期ではそれを意識的に行うようになり、すくい上げるというより、潜りに行くようになった。 活動休止を経た第三期では、自らに課していた様々な検閲を取り払うことで表現の幅が広がり、それまでになく己をさらけ出すような作品も、それまでになくフィクション性の高い作品も登場する。 自身の考える日本語表現については、萩原朔太郎の『詩の原理』で語り尽くされているという。また宇多田は、2018年の小袋成彬と酒井一途との座談会で、デビュー曲「Automatic」に関して「言葉の途中の一瞬に間が空くことへの評論があって、『?? だって音楽じゃん? 言葉?』ってなった。」と語っている。「言葉に対して、ここが良い切れ目とか、ここが切っちゃいけないとかが自分にない」という。「音楽が第一言語」とも語っており、作詞は「音楽を日本語に翻訳する」ような作業だという。また宇多田は、2008年の雑誌のインタビューで「悪いポップはコビだけど、いいポップは思いやり」だと述べているほか、別の場所では「"媚び"は音楽自体の終焉を招く」と、自らの音楽に対する姿勢を表明している。
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音楽観
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「ISAKICK (ミュージシャン)」の記事における「音楽観」の解説
音楽のルーツはオフスプリング、グリーン・デイ 「青春パンク」とひとくくりに言われるのが嫌いだった。当時ロードオブメジャー、FLOW、MONGOL800はみんな全然「青春パンク」とは思ってなかったと思う。6年ぶりに175Rが復活したとき、改めて「青春」って良いなあと思えたという。LIVEを見たファンが「この人達、まだこんな感じやっているんだ」と言われたいと音楽メディアの取材で答えている。 「鴬谷フィルハーモニー」を通してLIVEは気楽にできることに気づかされた。175Rの時代は1本1本、魂を込めたLIVEしかしてこなかった。もともと飲み友達のチュートリアル徳井や、俳優の柏原収史と集まってワイワイ曲を作る。気楽なベースの弾き方があることを教わったという。『ノンストレス』がテーマなバンドで、みんな好きなようにストレスを持たず、スケジュールがあえばやるスタンス。
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音楽観
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「慶應義塾マンドリンクラブ」の記事における「音楽観」の解説
慶應義塾マンドリンクラブの選曲の傾向として、マンドリンオーケストラのために作曲された曲だけでなく、ヴァイオリンオーケストラのために作曲された曲の編曲ものを取り上げることが多い。近年では交響曲をプログラムに取り上げることも増えてきている。これは打楽器や木管楽器などのパートを自前で抱えているためであり、他のマンドリンオーケストラとは一線を画した特徴であるといえよう。
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