韓国軍の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:22 UTC 版)
「江原道高城郡兵長銃乱射事件」の記事における「韓国軍の対応」の解説
韓国軍の対応に、さまざまな問題や疑いが指摘されている。 6月21日、兵長が兵舎で銃撃した際、哨所長の中尉が現場にいたはずであるが、なぜこの中尉が銃撃時に対応しなかったのかも調査された。調査により、現場で指揮をとるべき立場にあった小哨長の中尉Kが、銃撃で負傷した部下たちを放置して現場から逃走していたことが判明した。特殊軍務離脱容疑などで拘束令状が出された。 兵長の乱射直後、軍と中央119救助本部間との連絡が適切でなく、負傷兵士達を病院に運搬するためのヘリコプターの到着がおよそ52分も遅れていたことが報道される。原因は飛行の承認を出すべき責任者への通信回線が全て使用中だった事とされ、このために兵士達が出血多量で死亡したとの疑いがもたれている。事件直後の21日午後9時28分頃、軍用ヘリコプターが老朽化していたため、国防部はドクターヘリの出動要請をし、救急本部側は15分で準備を終えたという。しかし当初軍に指定されたヘリポートが軍事境界線にあるために軍用以外は進入できず、軍側は改めて飛行禁止区域の外にあるヘリポートを指示したが、今度は飛行承認の担当者が全員通話中で連絡が取れず、およそ30分を無駄にし、ようやく繋がった時も担当者は不在だったとされ、携帯電話も通話中だったという。最終的にドクターヘリは午後10時35分頃に離陸し、11時37分頃に現場へ到着したという。 乱射した兵長が、事件のあった場所から10km離れた高城郡明波里付近の山中で発見されていることから、逃走ルートを遮断できていなかったとの批判があがっているという。この指摘に対し、国防部は7月1日、「兵長は3重の包囲網のうち最も内側の包囲網内で捕まった」などと述べた。ただし軍は、兵長が供述した「逃走の途中で捜索チームと3回出くわしたが、使い番を頼まれて行くと話したら制止されなかった」という発言に対して、満足な回答ができていないと指摘される。国防部の報道官キム・ミンソクも、7月1日の定例記者会見の中で、逃亡中の兵長が捜索チームに3度遭遇したが制止されなかったとする報道について質問されると「兵長が逃走中に別の兵士と遭遇する可能性もあるし、遭遇しない可能性もある」などと言葉を濁した。7月15日、韓国軍は、逃走中の兵長と6度出くわしていたがそのまま通していた事を認めたと言う。 兵長の追跡には、心理不安などから軍務の適応に問題のある関心兵士も投入された。その一部はK-2小銃などの火器は支給されたが、実弾が支給されてない空砲だったとされる。 兵長逃走からおよそ2時間後、軍は最高レベルの非常態勢である珍島犬1号を発令したが、警察に連絡を忘れており、現場を管轄していた高城警察署は、翌日の午前2時25分頃にニュースで初めて事件発生を知ったという。 6月22日午後2時23分頃から銃撃戦が幾度か繰り返されたが、軍は住民の避難措置をとっておらず、午後5時20分頃になってから近隣住民540人を付近の小学校などに避難させたとされる。 6月23日の朝鮮日報電子版において、明波里の住民の証言が掲載された。住民によると、中尉と兵士3名が集落内の建物屋上で兵長を待ち伏せしていたが、中尉が撃たれて負傷すると、兵士3人は中尉を置き去りにして逃亡、後から一人の兵士が来て、血を流して倒れていた中尉を連れて降りたという。二日後の6月25日の朝鮮日報の報道によると、このとき兵長と遭遇した兵士の1人も関心兵士とされ、実弾を支給されず、空砲だったとされる。また中尉は1人で兵長を追って負傷(弾が腕を貫通)、1人で避難したと伝え、兵士による置き去りはなかったという。7月15日の発表で、韓国軍は兵長の逃走中に交戦はなく、負傷者の全てが誤射であったことを認めた。軍捜査当局は7月2日、中尉のキムの腕を貫通した弾が、捜索部隊の誤認射撃によるものだと明かしたという。軍は当初、兵長の銃撃を受けて負傷したと発表していた。 6月23日午後、乱射した兵長を捜索していた兵士が、別の兵士を兵長と誤認して射撃し、1人が負傷したとされる。既に兵長を包囲して投降を呼びかけている時間帯であり、また兵長とも離れた場所であった事から、作戦行動に問題があったとの指摘がされている。負傷したのは上等兵とされ、こめかみを負傷したという。 自らを撃って負傷した兵長を病院に搬送するさい、軍当局が兵長の代役を仕立てて、メディアを攪乱したとされる。この結果、韓国の新聞各社や放送局は、誤った情報と姿を伝える結果になったという。23日午後2時55分頃に自殺を図った兵長は、国軍江陵病院までヘリコプターで搬送され、CTスキャン撮影後、江陵峨山病院へと搬送されたが、峨山病院に搬送される過程で代役が使われたという。 韓国軍は救急車4台用意、2台ずつ別の病院に向かわせる一方、兵長は地下物流倉庫から応急室へ向かわせたとされる。メディアの前を担架で運ばれた代役は、頭からつま先まで水色の毛布を被っていたという。この搬送での替え玉行為について、当初韓国軍当局は「取材陣対策のため峨山病院側から対策を講じてほしいと要請があった」などと説明していたが、病院広報室側から「我々から先に要請した事実はない」などと反論されると、「救急車側からの要請であった」などと証言を変えたとされる。しかし峨山病院側は「救急車に問い合わせたがそのような事実はなかった」と否定したという。 事件後、韓国軍は緊急部隊診断を実施し、GOP勤務に適していない兵士約150名を後方に職務調整したとされる。
※この「韓国軍の対応」の解説は、「江原道高城郡兵長銃乱射事件」の解説の一部です。
「韓国軍の対応」を含む「江原道高城郡兵長銃乱射事件」の記事については、「江原道高城郡兵長銃乱射事件」の概要を参照ください。
- 韓国軍の対応のページへのリンク