れい‐しょ【隷書】
隷書
隷書体
隷書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 07:25 UTC 版)
古隷の創始者:「邈、字は元岑(げんしん)、始めて衙県(がけん)の獄吏と為るも、罪を始皇に得て、雲陽に幽繋さる。獄中に覃思すること十年、大小篆の方円を益して、隷書三千字を為り、之を奏す。始皇之を善しとし、用いて御史と為す。」(程邈が隷書(古隷)をつくったと記しているが伝説とされている)…『書断』 「開通褒斜道刻石は、隷の古なり。」(この刻石を古隷と称している)…『芸概』 八分の創始者:「上谷の王次仲、後漢の人。八分の楷法を作る。」(八分の創始者を王次仲としている)…『古来能書人名』 八分の創始者:「按八分者,秦羽人上谷王次仲所作也。」(八分は王次仲が作った)…『書断』 「隷書なる者は、篆の捷(しょう、はやいの意)なり。」(隷書は篆書の速書きから生まれた)…『四体書勢』 「秦は既に篆を用うるも、秦事繁多にして、篆字成り難し。即ち隷人をして書を佐へ令(し)め、隷字と曰う。漢は因りて之を行い、独り府・印璽(いんじ)・幡信・題署のみ篆を用う。」(隷書の名は下級役人の呼称に由来する。漢代では特別な用途以外は隷書が用いられていた)…『四体書勢』 「霊帝の書を好むに至り、時に能くする者多く、而して師宜官を最と為す。」(後漢の霊帝の時代は隷書の爛熟期で、その時の名人は師宜官である)…『四体書勢』
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隷書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/21 14:35 UTC 版)
いわゆる八分隷ではなく、古隷を土台にした独創性溢れる洒脱な書風。魅力的な書風だが、隷書の学書が出来ていないと単なる「デザイン隷書」に陥ってしまう危険性がある。
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隷書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)
漢字の書体を初めて示した『説文解字』の序文に、秦の書体として8体が記され、最後に隷書体を取り上げているが、隷書は漢代のものとする異論があった。しかし、1975年に始皇帝時代の雲夢秦簡という竹簡が発掘されて、この時代に隷書の原形ができ上がっていたことが証明された。隷書は秦の正体でなかったため、永久に残る金石や碑刻には使用されなかったのである。 秦は大帝国であったために公文書も膨大な量に及んだと考えられるが、始皇帝が制定した正体の小篆は、字形は美しいが書写に時間がかかり実用には不便であった。ここに円から方へ、曲線から直線へと省略整理され、書写に便利な新書体が生まれた。これが隷書であるが、最初に現れた隷書を古隷と呼ぶ。古隷の次に出現するのが、今日一般に隷書と呼ばれている八分である。 後漢の王次仲が小篆や古隷を改変して八分を作ったと書論にある(中国の書論#八分の創始者を参照)が、新資料の発掘により前漢時代の八分の筆跡が発見されて王次仲の伝説は完全に否定されている。
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