降下実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 10:12 UTC 版)
「プロジェクト・エクセルシオ」の記事における「降下実験」の解説
最初の実験(エクセルシオI)は1959年11月16日に行われ、キッティンジャーは高度23,300 mからの降下を行った。この実験ではスピン対策用のパラシュートが早く開きすぎたため、120回/分のスピンが発生した。このためキッティンジャーは意識を失ったものの、自動的に高度3,000 mで減速パラシュートが展開したため命に別状は無かった。 この事故にもかかわらず、キッティンジャーは2度目の実験を3週間後の12月11日に行った。この実験(エクセルシオII)においては高度22,800 mからの降下を行い、高度16,800 mからパラシュートを用いないフリーフォールに移行した。 3度目となる最後の実験(エクセルシオIII)では右手グローブの不良による気密漏れが発生し、キッティンジャーが右手に激痛を訴えた。しかし彼は実験が中断されることを恐れてこの事故を地上クルーに報告せずに実験を強行した。気密漏れによって右手の温度が低下し右手が使えないにもかかわらず1960年8月16日、1時間31分で31,300 mに達し、デイビッド・シモンズ(David Simmons)空軍大尉による気球の浮上高度記録(30,942 m、1957年)を塗り替えた。この高度でキッティンジャーは12分間、気球が降下予定地点に移動するまで待機した。降下開始後、スピン対策用のパラシュートを展開させた後4分36秒降下し、高度5,300 mで減速パラシュートを展開させニューメキシコ州の砂漠に着地した。降下時間の総計は13分45秒であった。 これはパラシュート降下開始高度の当時の最高値となり、2012年10月まで破られなかった。但し高々度での姿勢安定にパラシュートを使用したためフリーフォールとしての高度記録は樹立できなかった。パラシュート高度に関する国際航空連盟公認世界記録は現在フリーフォール距離24,500 m(1962年エフゲニー・アンドレーエフ(英語版)、ソビエト連邦)のみである。超高々度からのフリーフォールを目指す計画は複数存在し、宇宙空間からのフリーフォール競技の議論もある。 実験中の気温は最低で-70℃に達し、フリーフォール中の速度は988 km/hに達した。(尚、のちにキッティンジャーはインタビューに答え、最高速度は1,149 km/hに達したと発言している)しかし、キッティンジャーは「雲圏に突入するまでスピードを感じなかった」と述べた。高空における音速は低温のため(気圧は直接には関与しない)地上よりも遅くなるが、このフリーフォール中の速度については614 mphを714 mphとした誤記から超音速という伝承が生じたもので、米空軍の記録614 mphに基づくマッハ数は0.9となり本人も手記で音速の9割と述べている。 この実験が高空における航空機からの安全な脱出法の研究に与えた功績により、キッティンジャーはアイゼンハワー大統領からハーモン・トロフィーを授与された。また同様に、殊勲飛行十字章、J・J・ジェフェリーズ賞(J.J. Jeffries Award)、A・レオ・スティーヴンス・パラシュートメダル(英語: A. Leo Stevens Parachute Medal)、ウイングフット・ライター・ザン・エア・ソーシェイティー記念賞(Wingfoot Lighter-Than-Air Society Achievement Award)などを受賞した。
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