長安で死すとは? わかりやすく解説

長安で死す

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 22:19 UTC 版)

董卓」の記事における「長安で死す」の解説

初平2年191年)、胡軫呂布らが率い董卓軍孫堅戦い華雄討たれるなど大敗した陽人の戦い)。このため同年4月董卓洛陽焼き払い長安撤退した董卓長安に着くと太師称し董旻董璜一族を皆朝廷高官就け外出するときは天子同様の青いのついた車を乗り回すようになった長安でも暴政布き銅貨五銖銭改鋳したために、貨幣価値乱れた長安近くの郿に長安城と同じ高さの城壁をもった城塞築き(郿城・郿塢と言われる)、30年分の食糧蓄えていたという。董卓暴虐ぶりはあいかわらずで、逆らった捕虜は舌を抜かれ、目をえぐられ熱湯煮えた大鍋苦しみながら殺された。捕虜泣き叫ぶ声は天にこだましたが、董卓はそれをみて笑い、なお平然と酒を飲んでいたという。董卓信任されていた蔡邕董卓暴政諌めたが、一部除きほぼ聞き入れられることはなかった。 董卓太師就任する儀式の際に、壇上上る自分皇甫嵩一人だけが頭を下げなかったことに気づき董卓は「義真皇甫嵩の字)、まだかな?」と改め促し皇甫嵩果たして「これは失礼した」と従っていた。皇甫嵩があくまで遜り忍従する態度貫いたため、董卓皇甫嵩和解したという(『山陽載記』及び『漢紀』)。 一方で、かつての上司である張温憎み袁術通じていたという理由殺害した董卓大鴻臚の韓融、少府の陰脩、執金吾の胡毋班らを関東への使者として送ったが、袁術王匡に韓融を除いてことごとく殺害されたという。 関東諸侯らは袁紹派と袁術派に分かれて互いに争うようになっていた。また、長安遷都反対した朱儁中牟において挙兵し献帝奪還狙っていた。董卓袁紹背後幽州劉虞公孫瓚官位爵位贈って袁紹への牽制とする一方で娘婿牛輔李傕郭汜張済らを部下につけて関東派遣した牛輔らは中牟朱儁破り兗州陳留郡豫州潁川郡諸県攻略し略奪殺戮誘拐行ったかねてより荀攸は議郎の鄭泰何顒侍中种輯共に董卓暗殺しよう計画したが、失敗した鄭泰逃亡し荀攸何顒投獄された(『三国志』魏志荀攸伝」)。 このような情勢下で、董卓都において信任したのは蔡邕の他、司徒王允と、養子呂布であった董卓王允尊敬して朝政任せと共に武勇優れた呂布身辺警護させていた。しかし、王允もまた心中では董卓暴虐憎み尚書僕射士孫瑞と共に謀議めぐらせていた。あるとき、小さな過失から呂布董卓殺されかけたことがあり、それ以来恨みを持つようになっていた。王允らは呂布不安に付け込み暗殺計画一味加担させた。 初平3年192年4月董卓献帝快気祝いのために、未央宮呼び出された。呂布は詔を懐に忍ばせて同郷騎都尉である李粛と共に、自らの手兵に衛士格好をさせて董卓が来るのを待ち受けた董卓李粛らに入門阻止され怒って呂布呼び出そうとした。呂布は詔と称して董卓殺害した事件後、長安・郿に居た董旻董璜はじめとする董卓一族は、全員呂布部下や袁一族縁者の手によって殺害され90歳になる董卓母親殺された(『英雄記』)。また、董卓によって殺され袁氏一族に対して盛大な葬儀が行われる一方、董氏一族遺体集められて火をつけられた。董卓平素からかなりの肥満体で、折りしも暑い日照りのために死体からは脂が地に流れだしていた。そのことから夜営の兵が戯れ董卓のへそに灯心挿したが、火はなお数日間燃えていたという(『英雄記』)。長安士人庶民は、董卓の死を皆で喜んだ王允董卓与党みなした人物に対して粛清する態度臨み名声高かった蔡邕含めて殺害された。董卓娘婿牛輔にも追討軍を差し向けた牛輔李粛追討軍を破ったが、逃走図って部下殺害された。残され李傕郭汜らは王允降伏願った拒絶されたため、6月に軍を率いたまま長安進撃した李傕らの軍勢膨れ上がり10万になり、王允呂布迎撃させたが敗れ呂布逃走する李傕らはそのまま長安乱入し殺人略奪ほしいままとし、王允殺害し死体晒し者とした。 董卓葬儀のため、部下だった兵士死体の灰をかき集めて納めて郿城に葬ったという(『英雄記』)。董卓の墓はまもなく暴風雨のため、流れ込み浮かび上がるほどの被害遭った

※この「長安で死す」の解説は、「董卓」の解説の一部です。
「長安で死す」を含む「董卓」の記事については、「董卓」の概要を参照ください。

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