過去に稼動していた車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/17 07:04 UTC 版)
「ZIPANGバス」の記事における「過去に稼動していた車両」の解説
特別車サロン(ハイグレード車) 1983年に導入された22人乗りの車両。当地での新規参入基準に合わせた車両選択の中で、可能な限り贅を尽くした造りとなっていた。トリコロールラインとゴールドラインの2台があった。正席は拡幅機能を備えたものが採用された。 オリエントエクスプレス(ハイグレード車) 1983年に導入された、車番1843、1844、1845の3台と、1984年に導入された、車番1945の4台が存在した。ベース車種は日野・レインボー。1983年車と1984年車との違いは、その内装にある。1983年車は、大阪に合わせてデビューさせるべく、内装生地も当初の大阪のオリエントに合わせてベージュカラーを採用し、オーディオもソニーを採用していたが、1984年に大阪でオリエントVIPが運行開始されるにあたり、岐阜でも同じようなオリエントを造ろうとして、社員にオーディオマニアがいたことから音響装置にヤマハを採用したり、内装生地色も青を基本として製作した。岐阜の社長のバスに対するこだわりは、本家の大阪をも凌ぐもので、1945号車についてはほぼ毎日富山の工場に通い、納得のいくまで手直しをさせた。とにかくありとあらゆる部品を金鍍金させ、当初は大阪の124号車でもやらなかったシフトレバーやウインカーレバーまで金鍍金を施させた。車体表面のクリアー塗装も、通常は3回くらいで終えるものを10回も重ね塗りをさせて、「表面にガラスを貼り付けたような」光沢を実現させた。勿論その作業には社長本人が立会ったことは言うまでもない。磨き工程もポリッシャーを使わせず、あえて手作業による磨きを入れさせたその車体は、まさしく工芸品であった。必ず車庫内保管を徹底させ、社長自ら車体やエンブレムを磨くという溺愛ぶりであった。なお岐阜中央観光バスの車体の拘りとして、車体の左右それぞれを、100Vと24Vの専用として分離した配線を行っている。 ハレーエクスプレス 1986年に当時のグループ企業であったバウルC・S・B商事が輸入元となり2台が導入されたネオプラン・ジェットライナーN208は、日本全国でも岐阜中央観光だけであった。。25人乗りで同社唯一の輸入車であり、トイレつき車両でもあったが、運用中は一度もトイレを使わせたことは無かった。片方は早期に払いだされたが、一台は同社でその後も運用されていたが、悪戯による投石などのために車体の破損が起こり、解体された。 ジパング・ハレーサルーン 1986年に2台が導入された。日野・レインボーで、16人乗り。片方は早期に払いだされたが、残された個体はバスロケットを下ろされ、色もシルバーに全塗装されて保管されていた。払出し後も個人所有によって動態保存されている。 ジパング・GCTサルーン 1988年に2台が導入された。日野・レインボー7Mで22人乗り。 ロイヤルエクスプレス(ハイグレード車) 1989年に1台のみが導入された。日野・レインボーで20人乗り。トヨタ・センチュリーのシートをベースにした座席を装備するなど、オリエントエクスプレスに匹敵する豪華さを放った。現在はバスロケットを載せられ、自家用登録されて動態保存されている。
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