裸体美人とは? わかりやすく解説

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裸体美人〈萬鐵五郎筆/油絵 麻布〉

主名称: 裸体美人〈萬鐵五郎筆/油絵 麻布
指定番号 1984
枝番 0
指定年月日 2000.12.04(平成12.12.04)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 1面
時代区分 明治
年代
検索年代
解説文:  緑の野草生い茂った丘の斜面に、下半身朱衣覆った裸婦手前足を向け左手横臥している。裸婦左側を下に両足をほぼ揃えて軽く膝を曲げるが、右手は肘と手首屈しぎこちなく右腹の上乗せる。丘の向こうに遠景と空が広がる。丘の上越えた辺り画面左右上端から樹木伸ばし、さらに黄色丘陵とその向こうに紫色呈する遠山の山なみが見え白雲その上にたなびく青空には大きな赤み帯びたぽっかり浮かんでいるが、楕円形赤色塗られ隠され太陽示唆されている。
 萬鐵五郎一八五-一二七)は岸田劉生中村彝らと並び大正期日本洋画代表する画家である。明治末年雑誌白樺』や高村光太郎らにより自我解放謳う新思潮とともにフランス後期印象派絵画紹介されたが、美術学校在学時にその感化受けたは、四一年の生涯の間にフォーヴィスム影響受けた「裸体美人」やキュビスム取り入れたもたれて立つ人」(大正六年)などを制作し西洋の新様式触発されながらも一貫して独自の表現追求した。その画業は、西洋から移入した近代的芸術理念日本化する先駆的な業績として評価されている。
 明治四十東京美術学校西洋画科に入学したは、アカデミックな洋画技法を学ぶとともに新たに紹介されマチスフォーヴィスムをも含むフランス後期印象派絵画いち早く共鳴し明治四十四年にアブサント会、翌年には岸田劉生高村光太郎らの結成したフュウザン会参加している。「裸体美人」はその最中明治四十五年(一九一二)に卒業制作として描かれた。
 本図日本フォーヴィスム記念碑的作品として評価が高いが、絵画の特徴端的に示す代表作でもある。本人認めるようにゴッホマチスといった画家たち感化指摘される正面観の強い構図輪郭線を多用する画面構築背景の山なみやにみる造形感覚色感、さらにどこか諧謔的ともいえるモチーフなどは独自のものである。ここで単なる新様の模倣ではなく自己の内的な必然に即した表現をすでに追求しているといって良い
 黒田清輝中心とする外光派主流であった時代にあって本図極めて斬新前衛的であり、個性的な芸術家たちを輩出した大正時代劈頭を飾る作品として、日本近代洋画史上重要な位置占めている。



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