自由将校団とは? わかりやすく解説

自由将校団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/31 04:42 UTC 版)

自由将校団(じゆうしょうこうだん、英語: Free Officers Movement)は、エジプトガマール・アブドゥル=ナーセルアンワル・アッ=サーダートら青年将校を中心として結成された政治組織である。1952年7月23日クーデターエジプト革命)を主導し、その後エジプトの政治の中心を担うようになった。




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自由将校団

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ムハンマド・ナギーブ」の記事における「自由将校団」の解説

1918年1月23日士官学校卒業したナギーブは、2月19日、第17歩大隊附となりスーダン派遣された。偶然にも、かつての父と同じ大隊配属であった1919年エジプト革命起きると、軍紀違反にも拘らずカイロへ赴き、国会階段前でエジプト国旗掲げ座り込み行ったその後ハルツーム州シェンディ(アラビア語版)の騎兵大隊転属となるが、1921年同大隊の廃止に伴いカイロ西部師団自動車部隊に転属適性証明のため2か月警察学校研修行い卒業後はカイロ市内の警備部隊配属され、アブディーン(英語版)、オールド・カイロ地区、ブーラーク(英語版地区ヘルワン地区などで勤務1922年、第13大隊附となり、バハル・アル・ガザール地方ワーウでの勤務経てマラカル機関銃部隊転属1923年4月28日カイロ近衛部隊経てマーディ(英語版)の第8大隊附。 1924年中尉昇進1927年結婚軍務並行して法学学び続け1923年法学部学士号を、1927年にはエジプト軍士官として初め法学士を、続いて29年には経済学ポストグラデュエート・ディプロマを得る。1931年博士論文獲得のため除隊決意するが、直前になり除隊思い留まった。なお、法学学んでいる1929年時の首相モスタファ・エル=ナハス英語版)の講義受けた事があるが、本来国王近しい立場与党議会政治によって国王暴走抑止出来ており、軍は政治関与すべきでないと彼は説いた。これはのちのナギーブ政治スタンス生かされていく。 1931年12月大尉昇進1934年アリーシュ沿岸警備隊異動しシナイ砂漠横断する密輸業者摘発任務従事した1936年英埃条約ののち軍機監督委員就任1937年より軍機関誌の発行携わる1938年5月6日少佐同年マルサ・マトルーフでの英軍との合同軍事演習誘いを受けるも拒否した1940年国王ファールーク1世謁見するが、二人良好な雰囲気謁見が行われたにも関わらずナギーブファールーク1世の手キスすることを拒み代わりに握手交わした1942年2月、駐エジプト大使マイルズ・ランプソンが宮殿英軍包囲させ、ファールーク1世反英政権解体を迫るという事件が起こると、国王態度憤慨し、「陛下護衛できなかった私は制服をまとう事が恥ずかしくございますので、軍から身を引かせいただきます」と辞表叩き付けるまた、酔っぱらった英兵に財布抜かれる事件遭う第一次中東戦争では指揮官として参戦し戦場での活躍により国民的人気集めた1949年夏、少将国境軍総司令官1950年中将参謀総長となり、心ならずも国王身辺警護任に当たる事となる。この頃、軍内部秘密組織自由将校団へ加入した。この組織は親英路線を採っていたエジプト王国政府打倒目的に、1949年ごろにガマール・アブドゥル=ナーセル中心とした青年将校によって結成され集団である。ナーセル青年将校結束強化するために国民からの人気が高いナギーブ団長推薦しナギーブ副官であったアブドルハキーム・アーメルを介して将校団革命実行委員会メンバー相次いで接触ナギーブ青年将校たちに試されていたことを悟るが、それを不快に思わなかった彼は就任承諾したまた、1952年1月将校クラブ会長選挙国王派破り当選した。これにより自由将校団は軍内部勢力拡大し危機感抱いたファールーク1世ナギーブ解任画策するが、実現する前に自由将校団によるクーデターで失脚してしまう。

※この「自由将校団」の解説は、「ムハンマド・ナギーブ」の解説の一部です。
「自由将校団」を含む「ムハンマド・ナギーブ」の記事については、「ムハンマド・ナギーブ」の概要を参照ください。

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