合同軍事演習
合同軍事演習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:05 UTC 版)
指針の枠組みのもと日本の統合幕僚会議と在日米軍司令官は両国の3軍を合同軍事演習を統括するための長期計画を策定した。1980年代には毎年陸上自衛隊は、アメリカ軍との合同演習において、各地域軍からなる演習を指揮した。海上自衛隊はアメリカ海軍との合同演習に1955年から参加していたが、1980年、日本のタスクフォースの艦隊と航空機がアメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの海軍との包括的な合同軍事演習である環太平洋合同演習(RIMPAC)に参加することが許可された。日本はまた、1988年のリムパックに8隻の護衛艦、1隻の潜水艦、8機の対潜哨戒機P-3C、1隻の補給艦を参加させた。航空自衛隊もまた、防空・戦闘・救援と指揮所演習など数多くの演習をアメリカ空軍と行った。海上保安庁とアメリカ沿岸警備隊もまた合同演習を行っている。 1992年には本州・九州と沖縄に展開する21300人の海兵隊員・10300人の空軍・5500人の海軍・2200人の陸軍を含む5万人以上の在日米軍が日本に駐留していた。これらの数字は1990年の水準と比較してかなり減少している傾向を示していた。 安全保障の緊密な関係は日本とアメリカ双方にとって極めて重要であると思われていた。1994年3月に冷戦後の地域的・世界的な安全保障の問題について話し合う為、日本の外務大臣と防衛庁長官、アメリカの国務長官と国防長官の2プラス2による初めての会談が東京で行われた。両国はともに日米安保条約を全面的に支持した。さらにアメリカは日本に駐留するアメリカ軍に対する思いやり予算について日本に謝意を表し、また両国は1996年に期限を迎える思いやり予算の見直しの作業を開始することで合意した。
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