のう‐きょうげん〔‐キヤウゲン〕【能狂言】
能・狂言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:43 UTC 版)
能の世界での真行草の初出として、世阿弥の聞書『申楽談儀』では謡の習得順について、名人の草書は真似できるものでは無いから、まず楷書を学ぶことを喩えとして引いている。室町時代中期の金春禅竹の頃には、真行草は稽古順よりも演能に望む心構えとして意識されるようになった。禅竹の孫禅鳳は、普通なら平常心を草、楽屋に入り緊張しはじめた心持ちを行、舞台に上がり幕を離れたときに真になると考えそうだが、それを逆にせよと説いている。狂言の理論書は成立が遅く、江戸時代初期の『わらんべ草』が初めてのものだが、「狂言は能のくづし、真と草なり」として、能と狂言の関係を真行草になぞらえている。
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能、狂言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:00 UTC 版)
能や狂言は、能舞台で上演される。ここでは明治以降に成立した能楽堂の様式に基づいて説明する。 主舞台となるのは柱に囲われた三間四方の板張りの空間。向かってその右側には、「地謡座(じうたいざ)」と呼ばれる場所があり、シテ(主役)の演技に会わせて合唱をする地謡が座る。主舞台の奥には「後座(あとざ)」があり、楽器の演奏者である「囃子方(はやしかた)」が位置する。さらにその奥は「鏡板(かがみいた)」と呼ばれる老松の絵が描かれた壁がある。後座の向かって左側には「橋掛り(はしがかり)」と呼ばれる廊下がある。ここで演技が行われることも多い。橋掛かりの前には、主舞台に近い順に、「一の松」「二の松」「三の松」と呼ばれる松の若木が植えられている。橋掛かりの奥には、「揚幕(あげまく)」もしくは切幕(きりまく)」という幕越しに、鏡の間と呼ばれる部屋がある。 いわゆる能舞台が定着したのは室町時代末期頃と考えられている。それ以前、即ち現在の能が成立する以前は、神社内の建築物や芝生、屋外に仮設置された舞台などで演じられた。舞台が屋内に入ったのは明治時代からで、この屋内型の能舞台にも屋根があるのは、能が屋外で演じられていた頃の名残である。現在各地で薪能が盛んになり、屋外での公演がなされているので、以前の能の雰囲気も知られる。 能舞台は細かく様式化されており、柱一本一本や地謡座・後座内の位置などに全て名称が付けられているが、ここでは省略する。舞台の下の地面には数個の甕を埋めて、音響効果の工夫がしてある。 古い神社などに残るものや、新設された屋外型の能舞台も、主舞台があり橋掛りがある空間の基本構造はほぼ上述の能舞台と同様である。
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能狂言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:27 UTC 版)
能 狂言 『鬼滅の刃』というタイトルで、2022年夏に東京にて、2022年冬に大阪にて上演予定。演出・出演は野村萬斎。
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